芹沢あさひ、その少女が纏うものについて。
個人的に芹沢あさひという少女の存在はとっても儚いのではないのか、と、ふと疑念を抱いた。儚さの根源についてだけれど、彼女は明確に「今」を楽しみ、心待ちにする少女だ。そうであるが故、烏合の少女という肩書きを脱ぎ捨て、偶像崇拝の対象になる、などと非凡ではない選択をいとも簡単に選んだ。その理由はきっと「今」にあるのだろうと思う。生きてきた時間を経て、自分の手中にあるものを捨てるのは惜しい。でも彼女はそれさえも厭わなかった。これから先、崇拝の対象でなくなる、もしくはその選択を迫られたと