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鬱エッセイに手を出す。

鬱エッセイに手を出した。いや出そう。出します。

目を腫らして泣く成人は男女関係無くみっともないですよね。私もそう思います。
キッカケなんてのは無くって。いやあるけれどそれはキッカケと呼べる程大層なものでなくって。
なんてことない、夏と呼べる存在に感情が揺らいだまでのお話です。

ただこうして日々の流れに身を任せるだけで死を間近に感じるのが鬱病の実態。
別段辛くもないけれど、辛いと言ってしまえるのならば辛い。それが鬱。

でもまだ不幸中の幸いと言いますか。怪我の功名とでも言いますか。私が患ったものは躁鬱で、生きる渇欲はちゃっかり持っちゃってて。
何がしたいとかもあるけれど、ふとしたカスみたいな出来事で、なんのやる気もなくなって自滅する。
文字に起こすと滑稽も仕方ない限りですが。わりと満足してるんですよね。
だって鬱ですよ?鬱。めちゃくちゃ面白いじゃないですか。人生飽きません!
死にたいなー、なんて思ったところで、実際に死ぬわけでもないですし。なんというか、癖、みたいなもので。死にたい癖。殺したい癖。良いですよね。ヘンテコな癖!

リスカとか、ああいう生ぬるいものよりも、癖で済ませてしまった方が余っ程エンタメになるし、酷いと思うんですよ。だって癖ですよ?髪触っちゃうーとか、瞬き増えちゃうーとか、そんなのと死が同列ですよ?お笑い草も良いとこですよね!

ハンデはファッション

一言に癖と言ってもいろいろありますけど、大体の癖と呼ばれるものって、かなりどうでも良いものばかりじゃないですか。
でもそんなのと鬱が同列になったらそれこそプチプラの域ですよね。

コミカルに言えば「CANMAKEかよ!」みたいな?

だからなんて言えばいいんでしょうか。そんな安っぽいものをいっぱい持ってる私はお得な訳ですよ。安物買いの銭失いとは良く言いますが、日常で使う消耗品をいっぱい持っていたって損はありませんよね。さっきも書きましたけど、鬱はコスメみたいなものです。
不幸を糧にして、あるいは逃げ道にして。言い訳にして。でも最後は鬱を理由にやってしまうという筋書き。
素敵ですよね。でもこれはハンデですから。順風満帆に物事が進んでいたら楽しめるものも楽しめません。長い目で見れば、自分の限界を測り易くするツールに過ぎないかも、しれませんよ。
だからね、なんかハンディキャップ背負ってるって人って、いっぱい居らっしゃると思うんですけど、気長に気楽にやりましょ。多分、ていうか、ほぼ確実に笑いながらやれるんで!!

というのがエッセイ書いてみた!的な掃き溜めです。

えんじょいまいらいふ

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