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BOGGS: A Comedy of Valuesを読む

あなたはファミレスの店員だとします。飲食を済ませたお客さんが、「これで支払いをしたいんだけど…」と言って、自分で描いた1万円札を差し出しました。さて、あなたならどうしますか?ニューヨーカー誌のライター、ローレンス・ウェシュラーが、J.S.G.ボッグスの芸術活動を紹介します。常識や権威への挑戦と、犯罪スレスレの芸術スタイルは、あのバンクシーにも共通します。

ウェイターとの取り引き

例えば、友人をレストランに誘います。食後のデザート。そしてコーヒー。請求書には87ドル。そこで財布の中から、自作の100ドル札を取り出します。

高品質の紙に細いボールペンで緻密に描かれています。でもオモテだけ。通りがかったウェイターの目に留まります。

ウェイター: 上手に描けてますねぇ!
ボッグス: いやぁー、気に入ってくれてうれしいなぁ!実は、これで支払いたいんだけど…

ウェイターだけではありません。店内の空気が一瞬で凍りつくのがわかります。

ボッグス: いや、もちろんいやなら、こっちでもいいんだけど…

と言って、ホンモノの100ドル札を見せます。よかった…

ボッグス: これ描くの、結構時間かかるし、大変なんだよね。だから、それなりに価値があると思うんだけど… たぶん、額面の100ドルぐらい。だから、もしこの作品にそれぐらいの価値を認めてくれるなら、この食事の支払いとして受け取ってほしいんだよね。もちろん、おつりの13ドルもほしい。どうかなぁ?

このときに、よくある反応は…

ウェイター: いやぁ、確かによく描けていると思うけど、それやっちゃうとオーナーに叱られるから…

従業員にその権限はない、っていう言い訳です。「だったら、ウェイターさんが持っているホンモノの紙幣で、支払いを肩代わりしてもらってもいいんだけど…」ってもちかけても、たいてい受け取ってはもらえません。

成立から完了へ

でも、ごくまれに「いいですよ!」ってことになります。そうしたら、ここからがひと仕事です。

1. ウェイターは、レシートとおつりの13ドルをボッグスに渡す。
2. ボッグスは、ウェイターからもらったレシートの裏側に、取り引き内容(日付・場所・何を購入したのか・ウェイターの名前・住所など)と、自作の紙幣の通し番号を書き込んで、封筒のなかにしまう。
3. ボッグスは、おつりでもらった紙幣にも、同様の取り引き内容と自分のサインを書いて、封筒のなかにしまう。
4. ボッグスは、自作の100ドル札の裏面にも、同様の取り引き内容と、おつりでもらった紙幣の通し番号を書き込む。
5. ボッグスは、自作の100ドル札をウェイターに渡して、ニッコリとほほ笑む。

取り引きが成立してから完了するまで、約15分かかります。

完了から完成へ

ボッグスには、パトロンともいうべき多くのコレクターがいます。ボッグス・ウェイター間の取り引きが「芸術作品」として完成するまでには、コレクターのサポートも必要です。

1. コレクターは、ボッグスに作品を注文する。例えば、どのあたりで、いくらぐらいの、どんな買いもの、という具合に。
2. ボッグスは、その注文の内容に応じて、自作の紙幣でモノやサービスの買いものをする。取り引きが成立したら1日経つのを待って、注文したコレクターに連絡する。
3. コレクターは、ボッグスから教えてもらったウェイターの名前と住所を手掛かりに、作品を探しに行く。
4. 運よくウェイターを見つけることができたら、コレクターはウェイターに商談をもちかける。「ボッグス作の100ドル札を、例えば700ドルで譲ってもらえないでしょうか…」
5. ウェイターは断わるかもしれない。「いやいや!これは誰にも売るつもりはありません!」しかし、その商談に応じるかもしれない。その場合は…
6. 後日、コレクターはボッグスから、例えば500ドルで食事のレシートとおつりの13ドルを買い取り、ボッグス作の100ドル札とともに額縁の中に収める。芸術作品の完成!

マイルールを守る

こうした「芸術活動」に、ボッグスさんは独自のルールを設けています。

① 自分の作品は売らない。
② 自分の支払いに使う。
③ 支払い後24時間は、誰にも教えない。
④ コレクターに、おつりとレシートを売る。
⑤ 店員がレシートとおつりをくれない場合は、取り引き不成立。
⑥ 自作が、少なくとも額面の3~4倍の価値があるという確信がなければ、支払いに使わない。

実は、この6番目のルールが、意外と重要なのではないでしょうか?ボッグス自身、自作の100ドル札にだいたい額面ぐらいの価値があるのでは…と、ごく控え目にアピールします。でも、取り引きの結果、その3~4倍の価値になることを目論んでいる。でなきゃ、単に100ドル札を偽造していることになるから…

やっぱり捕まる

ロンドンのアートギャラリーに、いきなり3人の警官が侵入してきて、作品を押収し、ボッグスを連行します。後に釈放されますが、数十にのぼる作品は没収されたままです。ボッグスは、それらを「スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)コレクション」と呼んでいます。その後、ボッグスは法廷で争うことに。容疑は「偽造及び贋造法」違反。つまり、イングランド銀行の許可なしに英国通貨を複製した罪です。

法というのはことばの世界です。法廷での論争の焦点は、「reproduction(複製)」ということばの意味です。オクスフォード英語辞典によれば、それは視覚的な類似だけでなく、機能的な類似を含みます。顧問弁護士のマーク・スティーブンスは力説します。

スティーブンス: 例えば、友人を自宅に招いたら、アンティークの机をほめられるとします。「いいよ、じゃあ1000ポンドで、この机の複製を作ってプレゼントするよ」たいへん喜ばれて、友人はお金を支払う。一週間後、もし机の絵が贈られてきたら、友人は怒るでしょう。

友人は、見た目だけでなく、その働きも含めて「複製」を期待していたからです。それと同じように、ボッグスの作品は、見た目は似ていても、その働きまでは紙幣の複製ではない。紙幣は価値を「represent(表現)」する。ボッグスの作品に価値はあるけれども、価値を表現はしない、って理屈なんだけれど、どうかなぁ… 私は正直、腑に落ちません。

「ホンモノ」「ニセモノ」「新たなホンモノ」

実は、これよりもわかりやすい解説が日本にあります。岩井克人の「ボッグス氏の犯罪」です。是非、あわせてお読みください。モヤモヤが一気に解消しますよ。

岩井は、ボッグスの作品を「手の込んだだまし絵」と表現します。ボッグスは、「ホンモノ」に見間違えるほどの「ニセモノ」を描いているようでいて、実は、それとはまったく別の「新たなホンモノ」を生み出しているのです。

例えば、「モチそのもの」は食べられます。ホンモノのモチは、食べものとして味わうことができる。でも「絵のなかのモチ」は食べられません。それはニセモノで、食べものとして味わうことはできない。でも、それが「モチを描いた絵」となれば、新たなホンモノ、つまりは芸術として味わうことができるのです。

そのたとえ話がモチなら、混乱することはありません。でも、それが紙幣だったらどうでしょうか?「紙幣そのもの」はホンモノで価値がある。でも「絵に描かれた紙幣」はニセモノで、ホンモノのような価値はない。でも「紙幣を描いた絵」は新たなホンモノで、ホンモノとは違う価値がある。ウーン…

これって、なんか似たようなことがなかったっけ?と思ったら、ありました。おばあちゃんの「修復」でキリスト像のフレスコ画が「台無し」になってしまった、あの事件。オリジナルを描いた芸術家の子孫は怒っています。「けしからん!こんな仕事はニセモノだ!」でも、ネットで人気が沸騰し、見学者があとを絶ちません。「いや、そこがいいんじゃない!なかなか味わいがあって…」ときとして芸術は、ニセモノを新たなホンモノに生まれ変わらせます。

結局、ボッグスは無罪でした。なぜなら彼の芸術活動は、ホンモノの紙幣の額面以上の価値を作り出すことになるから。ホンモノ以上の価値をもつ複製などない。もしあるとすれば、それは複製ではなく、新たなホンモノ(芸術)なのです。

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土地との相性

ボッグスは1955年、アメリカ、ニュー・ジャージー州出身。幼少期はサーカス団と一緒に旅をしながら育ちます。当時の友人と言えば「大男」と「口髭婦人」と「クモ男」。それに比べたら、街での生活は退屈で、退屈で…

高校は卒業せずに退学。学校の講堂で「暴動」を煽った罪で。でも、実は「ぬれ衣」。その後の生き方を暗示するような出来事です。

23歳の頃、フロリダのコミュニティーカレッジで1年間、芸術を専攻します。夏休みのロンドン旅行。人生で初めて、ここが自分の場所だ、と感じます。以後、芸術活動の拠点になります。

29歳の頃、旅先のシカゴのコーヒーショップで、ナプキンの上に何の気なしに描いた1ドル札の絵が、ウェイトレスに気に入られます。

ウェイトレス: 私、それ買うわ!20ドルでどう?
ボッグス: いやいや、売りものじゃないから…
ウェイトレス: じゃあ、50ドル!
ボッグス: 今食べたドーナッツとコーヒーはいくらですか?
ウェイトレス: 90セント。
ボッグス: それじゃあ、その支払いに使わせてください。
ウェイトレス: ちょっと待って。おつり、忘れないで。

「これって、いったい何なんだろう?」そのときにもらった10セント硬貨を、ポケットのなかに入れてずっと持ち歩いていました。それは、アラジンの魔法のランプ。こすると、フッと精霊が現われるように、そのときの記憶がよみがえります。

ロンドンに帰って、この体験談を友人のアーティストにすると…

それはアメリカだからだよ。ここじゃ無理だね。

いや、そんなことはない。やってやろうじゃないか!コベントガーデンのパブで試すと、なんとこれが成功!このスタイルの芸術活動を開始することになります。

31歳の頃、ロンドンのアートフェアーに出品した作品が、スイスのアートディーラーの目に留まり、バーゼルへ招かれます。そこで取り引きを試すと、なんと入れ食い状態!ローカルラジオ局で宣伝したもんだから、知名度も上がって、芸術活動に拍車がかかります。

ボッグス: スイス人に自作の紙幣を見せると、それに価値があって、リスクもあって、その価値はどれぐらいなのか、わかるんだよね。まさに銀行家の国。自分で評価することに慣れているんだね。誰かに手を握っていてもらわなくてもいい。

ボッグスは、どこに行っても成功するような人ではないでしょう。人のことは言えません。私だってそう… でも、その人が受け入れられる土地がある。そこに希望があります。ボッグスの半生は、相性の良い土地へ自ずと引き寄せられていく、そのプロセスのようにも見えます。

フリダシにもどる

都市生活者の日常は、それが成立するために欠かせない、たくさんの前提によって支えられています。電気・ガス・水道・電話のようなインフラはもちろんのこと。エアコンが前提の快適生活。泠倉庫が前提の食生活。それらが、例えば自然災害によって「当たり前」ではなくなったとき、人はそのありがたみを知ることになります。

ボッグスの芸術活動は、それに似ています。まず自分がフリダシにもどってみて、普段、われわれが見過ごしている「当たり前」にふり向かせるのです。社会学者アーヴィング・ゴッフマンの名言です。

歩いたり、道を渡ったり、完全な文章で述べたり、ロングパンツをはいたり、靴のヒモを結んだり、タテに並んだ数字の合計を出したり。そうしたあらゆるルーティンのおかげで、人は意識しなくても、ふさわしい行為を達成することができる。でも、それらがルーティンになりかけの初期段階では、冷や汗をかきながら成し遂げていたはずだ。

冷や汗かきかき、ボッグスは作品の価値を伝える。冷や汗かきかき、ウェイターは作品の価値を判断する。冷や汗(あぶら汗?)かきかき、コレクターはウェイターを探し当て、作品を手に入れる。ふさわしい人にめぐり合うのはひと苦労。もし会えたとすれば、それは奇跡です。

お金が「当たり前」の日常では、モノやサービスの売り買いに苦労を感じません。だってわざわざ、「自分が欲しいものを持っていて」かつ「自分が持っているものを欲しい」そんな人を探さなくてもいいから。でも、それがルーティンになりかけの初期段階(物々交換)では、きっと汗水タラタラだったのでしょう。お金を前提とした出会いばかりの現代人は、「奇跡のめぐり逢い」を求めて放浪することを止めてしまってはいないか…

問い続ける人

ボッグス:そろそろわかってきたんじゃない?見た目ほど簡単じゃないってことが。紙幣の絵を描くのに10時間、それを支払いに使うのにもう10時間かかるんだよ。しかも、飲食以外のモノなら、手に入れたところで使えない。芸術作品の一部になるんだから。もらったおつりだってそう。
ウェシュラー: 何でまたそんなことをするんですか?
ボッグス: わからないことが、まだまだたくさんあるから。わかってきたなぁって感じるときは、しっかりやってないって証拠。だから、もっと新しいやり方を見つけるんだ。この芸術活動が、われわれの社会の何かに共鳴しているのはわかってる。でも、それが何だかはっきりしない。「症状」はしっかりと表れるんだけど、いまだにそれが何の「病気」なのかわからない。

世の中は、わからないことだらけです。謎の病気が蔓延すれば、その病気について観察や実験をくりかえし、その予防・治療法や発見する。価値の正体がわからなければ、価値についての著作を片っ端から読みあさって、自分の見解を手に入れる。疑問の対象化と正解の獲得。研究者のアプローチです。

「わからないことがわかりたい」そこがスタートなのは、ボッグスも一緒。でも、わかりそうになってきたら、むしろ、わかりきってしまわないようにする。わかりかけてきたら、むしろ、わからないでいられる方向を見つける。ダンス・ダンス・ダンス。それが芸術家というものなのかなぁ…

One fool can ask more questions than a hundred wise men can answer.
1人のバカが呈することのできる疑問の数は、100人の賢者が答えられる数よりも多い。

ボッグスは問い続ける人です。この世に必要なのは、答える人ばかりではない。

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Lawrence Weschler (1999) BOGGS: A Comedy of Values, The University of Chicago Press: Chicago and London

岩井克人(2000)「ボッグス氏の犯罪」『二十一世紀の資本主義論』より:筑摩書房

本文の引用や会話は、BOGGS: A Comedy of Valuesの表現を基にした翻案です。

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