![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/141921505/rectangle_large_type_2_82853017727c775de930b208180f2bf4.png?width=800)
そんなはずは……ない。
自分語り。
と言っても、どこの馬の骨ともわからぬ人間の話なんか、誰も見向きもしない。ただ、自分のなかの“遺品整理”として書きたいんだ。ただ、それだけ。
つくづく思う。『信頼関係』って、なんだろな? って。一方通行では成り立たないのは、なんとなく思う。
自分はどうしても人を信じることができない。なにしろ実の両親にさえ、信用できなかった。かわりに罵られ、虚仮にされ、挙げ句の果てには、ふざけられて約束を反故にされてばかり。
『信用』や『信頼』なんて、まやかしにすぎないんだ、と学習してしまう。自分には無縁のモノ。褒められた記憶も、愛情に満ちた腕に包まれた思い出もない。
そりゃああったかもしれない。嫌な事しかなかったがゆえに、微かなそれらは埋もれてしまっただけなのかも。
人との繋がりは学ばなかった。学校でも、昨日見たテレビの話すらできないのだから、誰も寄りつかない。至極当然な結果。
確かに友人と呼べる人たちはいた。そう、過去形になってしまう。卒業とほぼ同時に、友人関係もサヨナラを告げる。各々の人生なのだから、時間や都合が合わせにくいから致し方ないと状況に甘んじてしまう。
人と密に接することを疎かにしてきたツケ。幼児のころは「〇〇ちゃんはダメ」「△△ちゃんなら良い」などと、親の好みに振り回された。もともと引っ込み思案だったのがさらに地味になり、誰も寄りつかなくなった。ある意味人払いは完了した。不潔感もかもせばなおのこと効果てきめん。
こんな昔話はどうでもいい。成人してもいまだに人を信じることができない欠陥人間は、社会で通用するわけがない。疑心暗鬼はシミとなって君臨している。漂白剤があっても落とせないだろうな。
数年前に、ある歳下の方とSNSサイトで知り合う。最初は当たり障りない会話で終わる。ホントに薄っぺらで、博識である相手に申し訳ないほどの浅はかな内容。
相手ご本人からもはっきり「あなたのことは信用しない」と、かったるそうに念のこもった言霊をいただいている。
それでいい。それで構わない。
それまでの自分の対応や態度を判断しての評価がそれならば、構わない。受け入れようと思った。それが相手の望みならば。
その方は意志堅固で、ご自身の定めた信念信条は変えられないし、曲げられないと断言している。無駄なことは何ひとつしたくないとも。
まだ社会人歴が浅いけど、精神年齢は自分をはるかに越えている。自分の知らないところで、たくさんの辛酸や苦汁を呑んできたのは想像に難くない。本当の意味である“優しさ”を携えている。
世界を目指す。そういった夢もある、前途有望な青年。
――あぁ、生きる世界がちがう。
そう思わずにはいられなかった。圧倒的な差が、そこに在る。壁や線でなく谷がある、もしかしたら岸かもしれない。
どれほどの鍛錬を課したのか。微塵も感じさせず、飄々としていて、どこか茶目っ気があって周りから慕われて。
人を信じることができない。
そんな自分はきっと、相手から疎まれているだろう、辟易されているだろう。自分の悪いクセの負の感情が思考を支配するようになった。
「信用しない」の言霊がずっと貼りついている。
【相手を信用しないのならば、何をされてもちっとも嬉しくない】
そう。嬉しくもないはずなんだ。むしろ迷惑極まりない。
なのに、相手はその程度のことで喜んでいた。ちっぽけな施し、ささいな低額の心付け。
なぜ?
機能不全家族育ちの自分の感覚が歪んでいるからおかしいのだが、そこが理解できなかった。誰かに何かをしても、大抵は当たり前のような態度で返されたから。それが世の基準だと身を以て把握した。
その相手も無言·無反応と読んでいたのに。予想は大きく覆される。
理由がわからなかった。
なにせ相手は自分を信用しないと仕分けているはずだから。まさか礼を言ってくるなんて、妄想でもあり得ない。
本来ならば、礼を述べられたら嬉しいのだろう。あいにく、自分にはそんな正常な感覚や感情は持ち合わせていない。
言いしれぬ居心地の悪さが取り囲む。
するとピキッ、と薄いガラスか氷にヒビが入るような感覚を聴いた。
ドドドッ。経年劣化した建物が崩れるみたいに“安心感”が砕けたのを見届けた。
信頼関係は一瞬にして崩れる、とはよく耳にする。
その信頼“関係”って、双方が相手を思って認め合うものではないのか。いわゆる両想いのような。
相手には信頼がない、はず。芽生えてもいない。自分は「信用しない」の言霊を信じたんだ。だから、ただの一方通行。
信用や信頼って、崩れるまえに安心感が瓦解していくのだな、と妙に納得がいった。
この人はそんなことを決してしない、と信じてやまなかったモノが、音を立てて崩壊した瞬間。
その途端に不快感と嫌悪感が襲ってきた。
どうやら信用していないのは、自分もだったらしい。心を開いてないから、気を赦していないから、こんなささいなことで亀裂が入って人間関係も消滅した。
いいや、自分は剥がれていったんだ。離れたのではなく。
その相手はかなり憤慨していた。
信用しないの言霊はどこへ行ってしまったのだろうか? そうであれば腹は立つことはあっても、その一時的なモノだと思う。だが、その様子をみると……。
いつの間にか“信頼”されていたのかな? と思えてくる。
相手にとてつもなく悪いことをしたな、と反省している。直に気持ちを言わないから、こちらの勝手な妄想で行動していた。
後の祭り。相手は拒んでいて、接近も許さない状態。
自業自得。それも無意識下の望みだったのかもしれない。
相手にはもう伝わらない、伝えられない。
謝罪はどのようにしたらよいのか。
信頼関係とは、一度崩すとほぼ確実に再構築は不可能。よほどの深い絆がなければ。
これも人生のなかの教訓なんだろうな、と。
ものすごく痛い傷跡を刻んで、今後、このような過ちを犯さないように肝に銘じよう。
ここまでお読みいただき、まことに感謝いたします。
よろしければ支援願います。