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夜行閑話 呪術と日本武道

5、6年前からわたしは常日頃大東流合気柔術という
今の合気道の元とされているものであって、
真伝合気口訣奧秘を惜しみなく学べる稽古に励んでいます。
「なんでも根源をつかなまければならぬ」という家訓通り
枝葉より幹を選ぶという習慣がついていたもので
飛び込んだのでありました。

しかし日本人というのは日本にすごいものがあるということを
知らないものです。

物事飽きっぽい性格のわたしが
どうしてこの武道を学ぶことに夢中になっているのかと
「強くなりたい」とか「凄い人に見られたい」とか
「相手をどうこうしたい」とかの分野の思いは全くなく、
ただ単に
人間の持つ不思議な力にお稽古ごとに実際触れることができること。
自分で体験するできることや
見えない世界への参入することができることであります。


恩師の見事な技にかかってしまえば
今、なにがいったい起こっているのか
自分の理解範疇を超えます。
頭の中で考えていることや
身体はスルリと宇宙空間に全て投げ出されてしまうのであります。

力を振り絞り、力で制されれば
相手も自分も痛みを伴いお互い
其の後はなんとも嫌な気持ちが芽生えるもので、
いつしか仕返ししたくなるという感情を持つものだけれど
見事な技というのは
力エネルギーがまったく感じないところで起こるから
私心が無くなり「無」に即なれる(笑)
即、神の世界へと投げ出されるのである〜
不思議でたまらないので、倒されていながらなぜか笑ってしまうこともある。

これは体験したことがあるか無いかは大きな違いとなること
間違いありません。

自分心を無くしたときに奇跡が起こるという体験を
一瞬の内にできるようになるところが凄いものです。

見事は技のエネルギーを例えるならば
まるで畏れ多い風・雨・川・雷・台風や空気感等々の
自然界の力とまったく同じであって
人間のこちら側では何することもできなくなってしまうもの。

人間なんて自然に比べれば小さなもので
自然は強いのであるということを
まざまざと感じさせられる。

見えない力に敬意を持つことを忘れずになり、
傲慢や圧力的な自分だったことを自ら恥じ、
謙虚になることが
自然な振る舞いでできるようになります。

そういった気持ちを持つことが
実は呪術の世界に効力が出てくるものだと思います。

無形で見えない世界へアクセスしていくには
まず自然界に畏敬の念を心底感じていることがポイントなのではないかと思う。

本格的な呪術というものはたいへん奥深いもので、
「術を施す」となれば掛け手の天地貫通力の強化が大切でありますから、
ここでも武道と共通します。
技の中に「天地投げ」や「天地引き」などがあり
自分が天地と即効に繋がる稽古を繰り返すのでありますから
稽古が修行に匹敵するものとなります。

呪術を施す人になるのであれば
先に自分の気持ちを整えることが大切だと感じています。

どうでしょう自分の「本心」と「行動」と「言葉」は
完全なる一致しているでしょうか!

どこか曲がっていたり
純粋な心でいられていますか。
真実を貫き通せていますか。
やりたいと思ったことを「とにかくやってみよう」と
後回しせず即行動していますか。

それができていなければ
秘伝の呪術を学ぶチャンスがあっても
それこそ自然界の掟通り
災いや難となって現れるのは当然のルール。
神々から観れば
「それじゃ魂と一致してないじゃないのぉ〜」と
お仕置きのご用意が待っているのじゃ。
それで気がついてよ!とあちら側も
愛をもって必死で伝えてくれている。


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