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私が生まれ育ったのは、長野県白馬村です。

子供の頃は、何もない、不便なところだな〜と感じていました。
TVコマーシャルで流れるお店は、東京のお店ばっかりで、映画を見るのにも、大糸線で2時間かけて松本市まで行く必要がありました。

マイコンショップ(1980年頃の名称)も、松本市にありましたが、秋葉原のショップにははるかにおよびませんでした。

そんな事から、自然と都会に出たいという気持ちが芽生えていきました。

大学で情報処理工学を一から学び、希望通り都会の企業に勤めてはや、36年が過ぎました。

そんなおり、父が11月の中旬から入院した事から、一気に私の生活は激変します。

実家のある白馬は、皆さんご存知のように雪が降ります。

それも、大雪が降り、放置すると家が潰れてしまうほどに降るのです。

そんな時、父から、水道の不凍用の電熱ヒーターの電源を入れるように連絡があり、そこから、隔週のように実家に帰る毎日が始まりました。

大雪が降るという予報を見ると、実家まで車を走らせ、白馬まで帰省して、除雪機で雪をかく日々が始まりました。

幸いな事に、コロナの関係で、テレワークが出来るように会社の仕組みが変わり、実家からテレワークで仕事ができるようになっていたのです。

この仕組みを使い、実家に2週間ほど滞在しながら雪をかたつける日々をずっと続けていました。

そういった生活を続けていたところ、父が2月中旬に退院できました。

これは、ありがたかったです。

そんな日々を過ごす中で、田舎で過ごすのもいいな〜と思い始めたのです。

子供の頃は、何もないと思っていた白馬も、都会では感じられない自然が満載なことに気づいたのです。

こんな素敵な場所は無いよと、写真をSNSに投稿するたびに言われます。

今年、友人をスキーに招きましたが、本当に白馬を喜んでくれたのです。

そうか、わたしには、この白馬があるじゃないかと気付いたのです。

じゃあ、この白馬をどう活かそうかと考えていた時、そうか、みんな気兼ねなく過ごせる場所が有ればいいんじゃないかと思い始めました。

そんな事から、白馬にある実家を、コミュニティスペース化する計画を進行させています。

実家に友人を泊めるだけなら、特に何も申請は不要なのですが、なんせこの白馬は旅館やホテル、ペンションが300軒以上もある場所なので、多くの人が出入りして宿泊すると、「旅館業の無断営業」と周囲からみなされてしまうこともあるそうなのです。(これは、相談に行った保健所の職員さんから聞いた話です)

実家は、築50年を経過していますが、まったくびくともしていません。その理由は、鉄骨を建物の中にいれてあり、かつ、大工の叔父さん(2名)と、父と祖父とで作り上げた家だからなのです。

使っている家の柱は、私の家が所有する山で育った杉の木から出来ており、その柱を山から里に下す際、私もその木を下ろす作業をこの目で見ていました。

当時は、山から木を伐りだす際は、夏に木を伐り、冬にその木を「一本そり」そりというものでおろしていました。

その木を千葉まで送り(叔父さんの奥さんの実家が材木問屋をしており、木を柱に加工してくれたそうです)、柱にして白馬に戻して使用したそうです。

壁塗りは叔父さんの友人の方にお願いし、電気配線は、これまた親戚の叔父さんにお願いしたりと、家族総出で作り上げた家なのです。

そんな家を使って、友人が集まれる場所にしたいなと思っています。

そのための準備を着々と進めています。

旅館業の申請、汚濁防止法に基づく申請、防災工事、建築確認などなどやることは山ほどあるそうです。

ちょっとずつ進めてみたいと思います。

進展がありましたら、また、こちらに投稿してみたいと思います。

今日も、良い日でありますように。\(^o^)/



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