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読書日記#33 やっときた読書の秋の1人Audibleと本屋の愉しみ

9月■日

朝起きて、ベッドの上で唐突にホーソーンの「緋文字」の第一章から第二章までを音読して、スマホで録音する。

寝起きで口が回らず、また「古色蒼然」なんて久しぶりにというか初めて口にしたみたいな単語が散見されるので、言い直しが多くなってしまった。

時々、文章が頭に入ってこないな、でもけっこう好きになれそうな気がする、と思う本を音読して録音する。そして読み上げた部分をもう1度聞き直す。こうすると、否が応でも内容が頭に入る。

ちなみにこの「緋文字」は柚木麻子さんのエッセイ「名作なんか、こわくない」で紹介されていてKindle Unlimitedで利用を開始した本。

「名作なんか、こわくない」は、日本と世界の名作といわれる文学作品のカジュアルなレビュー本。徹底した女性視点が新鮮だった。
読書日記的なものはよく読むし、参考になるかどうかよりも、その人の読書ライフを覗き見るのが楽しいのだけれども、とはいえ最近読んだレビュー本の中では最も参考になるもので、読みたい本がたくさん増えた。

「緋文字」は当時のアメリカの価値観や女性として生きる上での不名誉の象徴でもある、胸に刺繍された「A」の文字のことを指す。その逆境に負けることなくシングルマザーとして子育てに邁進する女性の話なのだと知り、とたんに興味がわいた。

二章は、子どもを抱えたへスターが、処刑台にあがってAの文字をさらされ、その恥辱に耐える瞬間で終わっていた。音読してみたら演劇調の台詞回しが親しみやすく、また当時の時代性について皮肉のきいた比喩が満載なのがわかってよかった。
できればうまく言えなくて言い直した部分を編集して自分だけのAudible音源にしたい

休日の朝はなかなかベッドから出る気になれずスマホを見て過ごす時間が長い。

ぼーっとXを見てみると、昨日読み終わった「日常の言葉たち」の感想ポストへの「いいね」が増えていてうれしい。これは久々に本棚のスタメンに入るすばらしいエッセイ集だった。

「朝」、「ゆらゆら」、「コーヒー」など一見、普遍的な様々な言葉について、車椅子生活を送る弁護士のダンサー、子ども向け読書会主催者、ろう者の両親を持つ聴者(CODA)、動物と共に生きてきた動物倫理専門家の獣医、という立場の異なる4人が四者四様にかいたエッセイをまとめた作品集。

たとえば「靴下」は

  1. 車椅子の足を持つ身には自分の足の小ささを痛感する気まずい存在

  2. 子供がそれを履く様子に成長を感じる象徴

  3. 親の愛を感じるクリスマスのプレゼント入れ

  4. 動物が飼い主の匂いを感じて安心するためのおもちゃ

といったような4つの意味を持つ。
こんなに違う!ということに驚く。その言葉を知る人の分だけその言葉の意味合いは厳密には違うんだろうと気付かされる。

ろう者は耳が聞こえないだけで語学には堪能なのかと思っていたらそれが障害になってきちんとした教育を受けられず、本が読むのが大変、という話はとてもショックだった。

それなのに。
16のキーワードの最後に出てきた「アンニョン(安寧)」という韓国語の挨拶の言葉には4人とも共通して祈りにも似た思いが込められていることに胸打たれる。

この感動を届けたいという熱い想いで感想をかいたのだけど、出版社と翻訳者さんにリポストしていただき、うれしかった。

そんな感じでひたすらにベッドの中でうだうだ過ごす。昼に近くのサロンに予約があり、今日はそれ以外にはポッドキャストの編集と仕事と家事をこなすくらいしかやることがない。こういう日がとても必要だ。

しかし外に出てみると、ひょっとして、出かけるなら今日だったのでは、というお天気。

外に出ても、汗をかかないなんて。あと何歩歩けばこの暑さから抜け出せるのかを考えなくていいなんて。

川沿いでコーヒーを片手に本を読んだり、芸術の秋を楽しむべく美術展にいく予定を入れたりするのなら今日だったのでは

仕事をする気持ちには全くなれず、予定を変更して、近場で興味のある美術展として、アーティゾン美術館の「空間と作品」にいくことにした。
散歩していくにはちょうどよい距離感でありがたい。

開催意図にメディアアート的な関心を抱いたのがその理由なのだけど、展示の冒頭の文章がとても好ましく感じる。

行く前は、宮古島で飲む、宮古島の泡盛は嘘みたいにおいしいという話ではと思っていた。
あるいはその空間に向けてつくられた立体音響作品のように、可動性のある、最初の展示場所から引き離された作品も、本当は展示空間と一体になって存在することではじめてその価値が完全に引き出される、ということかなと。

宮古島で飲む泡盛の美味しさじゃないけどこの書斎に飾るために制作された一幅の絵画はやはりそこにあるのが最も美しい説

展示を見てみると、もう少しその解釈は広くて、先に書いた意味合いもあったけれど、誰がその泡盛を愛してきたのかのサイドストーリーがわかるとより味わい深くなるよね、とか、泡盛のパッケージがしっかりターゲットのお客様に届きつつ、その泡盛の世界観を表現するものであるべきで、そこにも職人性が問われるよね、という話でもあった。

川端康成宅にあった「素朴な月夜」。これを見つつどんな気持ちで創作していたのか想像が膨らむ。つまりそういう鑑賞スタイル。
額へのこだわり特集が結局1番展示数多かったような。ところでこの麗子像の額縁は絵画の背景と渾然一体となっておりすごいです。
額縁の装飾の立体感がすごいものも。確かにあるのとないのと印象が相当違う。
自分の部屋にあったら途端にオシャレ感増すなぁと心惹かれたのはこちら。白はいいです。
部屋には馴染まないけど仕事中に見つめていたら心が整いそうと思ったのがこちら。木漏れ日の明るさに吸い込まれそう。
キャンバスの縁を守ること以外はミニマルな額縁もいい。あとこの絵が表紙の本とか、この絵がリビングにどーんと置かれた部屋とか憧れる。


つまり作品の周辺環境を、なるべく再現したり知識としてインプットすることで、作品の楽しみ方が広がるような展示だった。

美術館に常設する展示物を新たな切り口で展示すると、こんなに興味深さが増すんだと、企画者の編集力を尊敬。

3フロアにゆったりと飾られる作品たちをうっとりと味わう贅沢な時間だった。初めてきたけれど、洗練された美を追究する空間、という印象のアーティゾン美術館、とてもいい。現代美術館が私の中で居心地ランキングNO.1だけれども。

この椅子にずっと腰掛けて夢想していたい

「空間と作品」を鑑賞し終えた後、近くの丸善に寄った。誕生日に大手本屋さんでなら使える商品券をもらっていたので、高まった知的好奇心をそのままぶつけられるような本を探した。

丸善はちょっと優等生的というか、いわゆるトレンドをおさえた陳列棚がそれほどそそらないのだけど、2Fの哲学、自然科学などの名著を並べたコーナーが普遍性があって好きで、その中から結局選ぶことにする。

購入したのは「フラジャイル」、「ゼロ年代の想像力」、あとはその棚の隣にあった話題書のコーナーから「人生を狂わす名著50」の3冊。

「フラジャイル」は最近亡くなった松岡正剛さんの「弱さ」をテーマにした論考を記したもの。「自転しながら公転する」をここ数日読んでいて、自分の開けてはいけない「弱さ」の箱の蓋を開いてしまったような気持ちになって不安が押し寄せてきて、この弱さに共鳴するように手に取った。読書界の神様の如き読解力と読書量を誇る松岡正剛さんの本はもうただそれだけで尊いと思ってしまう。

「ゼロ年代の想像力」は宇野さんのゼロ年代コンテンツ批評本。コンテンツジャンキーを自称する身としてはいつか購入したいと思っていた。

「人生を狂わす名著50」は今話題の書評家である三宅香帆さんの無名時代のデビュー作レビュー本。「月と六ペンス」、「悪童日記」、「スティル・ライフ」という私のオールタイムベスト本が含まれていて、これは私の好みに合うのでは、というのと久しぶりにそれらの本の引用文に触れたいという気持ちで購入。

いつも読みたい本はリストアップしてチェックしてみるものの、本屋さんにくるとそのキュレーションによりまた新しい出会いがあり、その一期一会には素直でありたいと思っている。

たとえば先に書いた「日常の言葉たち」も青山ブックセンターのフェアで見つけたもので、足を運ばなければ出会えなかった本だった。そんな本が宝物の一冊になったりするのだから、本屋は素敵な場所なのだ。

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