生きやすい世界にいきてもいい理由

さっきおみくじを引いた。

おみくじが好きだ。希望があるから。
あんたはもうだめだから死んだほうがいいよ、なんてことは書いてない。
そりゃそうなんだけど笑 それでも大事なことだ。

何を頼りにしていいかわからない世界を打破する一つのきっかけになる。
神しか頼れないときに神から言葉をもらえるって素晴らしいことだ。前向きな言葉はたいてい誰からもらっても嬉しいと思うから。

でも一方で「神の恵みの光の中に生きる」(おみくじの裏に書いてあった)などと言うと、神などいないのだから宗教に浸かって思考停止した人みたいかもしれない。
世の中には、人に悪い意味で依存してしまっている人がいるが、それも責めきれない。なぜなら人はやはり依存しなくては生きていけない。食料の調達なんて特にそうだけど、思考もそうではないか。なぜなら人がその時に認知できるものなど限られているから。もちろん想像に耽れば思考は広げることはできる。でもそれも時間に余裕がないとだめだし、悪いことに関してはどこかで抑えなければどこまでも広がっていってしまう。

大前提として、世の中には世界がいくらでもあり、自分に合う世界だってどこかにある。ないならつくる。でも今は余裕がないよね。

だから人が今考えられることは世界のほんの一部だけだというちっぽけさと、それでも残ってしまう分からないこととか考えてもどうしようもないこととかは、どこかに預けちゃった方がいいことを体得できたらいい。自分では仮託するっていう言い方が好き。自分の問題の一部だけでも世界に仮託すると幾分か心が軽くなると思う。
そうやって生きやすい世界でいきなよ。非難されるのが怖いのか、甘えと言われるのが嫌なのか、でもそもそも何が間違っているのかわからなかったりする。今言えることは、その時点で君は自分を少しでも間違えないよう生きようとしている。自分で決めた結果の間違いなら後悔はしないってみんな言うじゃないか。君にもそういう体験、たとえ小さくてもあるんじゃないかい?

君は他人とスタートラインが違うことを重く受け止めていたはずだ。君は知っていた。でも君がその問題を前に立ち止まった時点で君は十分自分を強くできる資格を持っていたのだと思う。

なんなら今の君だって間違っていないと思う。この世界はなんとなくで進んでいる。僕もこれから起こる選択すべてを正解することを願うが、その瞬間一つずつすべてを正解まで計算し尽くす余裕はやはりない。

ただ、それを自分でわかるまで、間違えて。自分を言葉にできた時、君は幸せになってもいいんじゃないか。


昔の僕に声をかけるなら、こんなことを言うと思った。

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