高校時代の残滓

びっくりしちゃうよね。

「正直顔見れただけで満足」だってさ。

いや自分もそうなんだ。こっちだってこれ以上付き合うつもりはなかったんだ。

でもすっごい誘ってくるじゃん。

その度に「いいよいいよ」なーんて言って曖昧に断り続けてたけど「顔見れて満足だよ」って言葉にその人はついに反応した。

「まあこっちも顔見れただけで満足」

あーあ。だよね。誘ってくるのも心から自分といたいわけじゃないよね。悪いから誘ってたんだよね。良かった良かった。本音が聞けて満足。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ胸は痛んだけど。

と同時に少し怒りが。なんで本気で自分といたいわけじゃないのにそんな誘ってくんねん。この反応はおかしいだろうか。

気持ち解るよ。誘っちゃうもんね。仲間はずれは悪いもんね。嫌がらせしようとして誘ってたわけじゃないもん。それは知ってる。

ただ、そういう人たちなんだ。そういう考えをする人たちなだけなんだ。言葉は悪いけど、人種が違う。

良かった。はっきり判って。

昔の自分なら流されて付いてっただろうな。気乗りしないにも関わらず。流されるまま。誘ってくれるからって自分が楽しくもない集まりに付いて行ってた。

でももう自分は変わったんだ。自分の気持ちに従って、心から行きたいと思わない誘いは断れるようになった。誘ってくれるからなんとなくついていく、本当は心から楽しいなんて思えないけど、断るのも悪いし、なーんて理由で付いて行かなくなった。

高校の同級生たちはあの頃と変わっていなかった。僕はびっくりした。あまりにも変わっていなかったから。あの頃と同じような雰囲気で、あの頃と同じような性格だった。人って成長しないんだな、と馬鹿にしたりはしない。

ただ、あの人達にとって、あの場所が心地の良い場所なのだろう。彼らはあの場所で楽しく過ごせるんだ。疑いもなく。

その場所で違和感を持っていたのは僕だけで、違和感を持っていたのも当時の自分は本当の自分を失い続けていたのだから当然だった。でも自分の違和感を自覚してなお、高校で関わった人たちは合わない人だった。それが分かったのが今回のイベントだった。

諦めというよりかは悟り。僕が悪いから合わないとかではなく、ただ合わないんだ。誰も悪くない。

やっぱりそうなんだ。分かったことがあるよ。僕は僕の居場所を知らないということ。

違和感のない自分を表現できて相手もそれを好意的に受け入れてくれる、そんな多くの人にとって当たり前であるはずの空間を僕は今まで持ってこなかった。

理由は2つ。

僕が本当の自分を隠していたこと。

そして、僕と合う人に出会えなかったこと。

僕と合う人ってあまりいない。優劣の話をしているわけじゃない。僕の価値観とか考え方とか振る舞いを理解してくれる人がなかなかいないんだ。それに薄々気づいてたんだ。それもあって本当の自分を隠した。隠さざるをえなかったのかもしれない。でも隠したんだ。自分がやったんだ。

ここで重要なのは隠したのが自分なら見せるのもまた自分だということ。

僕は分かってきたよ。本当の自分を隠さなくてもいいこと。僕と合う人がこの世界のどこかにいること。

人を信じれなかった。本当の自分は誰にも受け入れられない。妄想ではなく事実だった。でも、僕を解ってくれる人は、小さくいる。僕と同じような世界の見方をしている人はどうやらいるらしい。少ないけれど確実に。

僕は今まで何をしてきたのだろうと思い悩むことがあったけど、僕はこの世界を信じるための礎を着々と積み重ねている。正確に言えば、流れ込んでくるこの世界を信じるのではなくて、自分の信じる世界をこの世界の上にぶちこんでやるというような、そんな信念を築くための基礎を。

憧れの会社のESがどうしても書けなかったあの時。

進路が決まらない自分が嫌でそんな自分をこきおろして頭が締め付けられるように痛かった、全然眠れなくて、頭が破裂しそうで、目も当てられないような気持ちを色んな場所に書きつけた。今見ると面白い。ああ思ってたなあって。こうやって振り返られるんだからやっぱり残しといてよかったと思う。

さてさて、そんなわけで僕がいますべきことは、今はまだ不確かな、でも確かにある場所を目指して、その場所に向かって全力で努力することだけだ。

包み隠さない素直な思いの先にその場所はきっとある。そして、いつかたどり着くその場所に行くまで、不完全な自分でも心地の良い場所にいてよくて、自分の振る舞いや行いを隠す必要はない。

生きることができて良かったって今も少し思う。僕はまだ見ぬ誰かにもそう言ってほしいと思う。

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