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【短編・書簡】キャンバスに色をのせるまで

 僕の高校の美術部は、その数年の間、県内では他校を圧倒していた。三年連続の県予選一位通過はもちろんのこと、県内のあらゆるコンクールで、この高校の名前が表彰台に乗らないことはなかったし、しかも一つに一人というわけでもなかった。
 僕はとりわけ、その中でそういったものにあやかる可能性は無いと思われた。美術部の他に兼部をしていたし、とにかく下手だった。自信はなかったが、それでも部活を続けていたのは、ここにいるみんなや、みんながいるこの教室が好きだった。

 この教室には入りきらないほどの同期がいて、そこに後輩たちも加わっていた。だから、隣の教室も全部開けて、合計で3つの部屋を使って活動していた。キャンバスのサイズは、個人の能力によって様々。油絵とアクリル画と、立体の人もいる。
 ここで、最低限の間隔を空けてそれぞれに活動をする。それぞれが選んだ色のツナギを着て、思い思いに、想像をカタチにする。こんなにも人が集まって、こんなにも静かで、こんなにも熱くて、こんなにも個人が没頭できる空間が、一体この教室の外のどこかにあるのだろうか。

 もちろん、うるさい時だってある。だいたい集中力が切れる時間帯というものは同じで、こういうところは高校生らしいのだった。購買にパンや飲み物を買いに行く人もいれば、絵の相談を友達に持ちかける奴もいる。

 こんなこともあった。針金で立体物を作っていた友達がいて、そいつの方ででかい音がした。何かと思うと、コンセントの間に針金が入ったみたいで、ショートしたのだ。幸い、創作者の彼は無事だったが、この時ばかりは全員が肝を冷やした。
 トラブルはこんなふうにして起こる。しかし、それは悪いことばかりじゃない。大好きな卒業した先輩が様子を見に来てくれる時もあった。

 絵を描いていて、先生に怒られることもあった。そして、この日の講評では、制作途中の作品の構図が悪いことを同期に指摘された。もう色も載せてしまっているし、構図に関してはもはや手のつけようがない。僕はとにかく悩んだし、といっても、構図のことではなく、この絵をどう完成させたいのか、ずっと見えなかったことに関して悩んでいたのだ。

 僕には、みんなが、ここにいるみんなが、何かしら描きたいものがあって描いているのだとばかり思っていた。それは本当に羨ましいことだった。好きな画家がいるとか、好きな表現があるとか、芸大に行きたいとかという目標でもいいし、好きなアニメのキャラクターがいるとか。僕には、人並みに好きなことはあったけど、描きたいこととなると、途端になかった。絵を描くのが多分好きだ、という感覚だけで入部したもんだから、それはもうえらい違いを他と感じた。僕だけ、聞き手じゃない方の手で描いているんじゃないか、と思うくらいハンデを感じていた。

 僕はじっと耐えた。今思えば—この耐えるというのが今につながる—これが僕の強みだった。僕が先生に怒られるのは、だいたい進捗が悪かったからだ。そして誉めらることがあるとすれば、それは合宿などでの撤収作業の手際の良さと、作品を最後にはカタチに持っていく強引さだった。もちろん、その出来のレベルは僕並みのものだけど。

 今でも覚えているのは、椅子の背もたれを前に持ってきて、キャンバスから4メートルほど離れた場所に座っていた時のことだ。軽く2時間はずっとそうして絵を見ていたと思う。
 「色を乗せてみないと、わかんないよ?」と、先生が僕に言った。それもそうだな、と思ったし、結局その助言があって僕は色を選び始めたし、色を実際に塗った。
 色を塗るとき、僕以外の何かがここにいて、これを描いていたらな、と無意識に感じていた。実際それくらい、僕の心はずっと絵を見つめるだけで留まっていた。描き上がった後、さっきまでの絵を見つめていた「気配」はどこかへと消え去り、また新たな影が「気配」となってあらわれてぼくの心に巣食うのだった。

 一つわかることがあって、あの時の時間が、僕の創作に携わる上で、今でも忘れられない何らかの意味を持っていたということなのだ。僕の創作の心象風景は、あの椅子の背もたれの先に手と顎を乗せて、じっと未完成の絵を見つめているあの時間なのだ。

 僕は結局、作品に書き込んだ英語のスペルが間違っていたりして、土壇場残り1時間で修正して完成させた。綺麗に文字が消えたものの、背景の色では微妙に透けて見えるそれをなんとかしようとして、そこに蝶のイラストをのせた。「よく間に合わせたね…。違和感なしだわ」と先生から言われた時には、嬉しかったと思う。

 あのあと、僕は一つだけコンクールで県内二位になった。斬新な発想で、絵に色をつけた糸を貼り付けた。それを作るために、凧糸の先をを二つの椅子に結びつけて張り、色を地道に塗っていった。友達に「まだやってんのかよ」と言われたが、その頃には「得意技は時間をかけること」ということをよく弁えていたと思う。

 今では、同期の「あらゆる種類の天才たち」はそれぞれの道に進んで、その多くが芸術に携わるプロフェッショナルになった。やはりあの時代は特別だったのだと思う。僕はというと、まだ社会人にもなってなくて、情けない日々だ。けれども、持ち前の力は認められて、学問の方に寄り道している。
 今でも、苦しくなると思い出すのは、あの時キャンバスの前で佇んでいた、永遠とも思える時間のことだ。あの教室にはみんながいたけど、僕しかいなくて、数時間だったけど永遠だった。立ち上がって、キャンバスに近づく時、僕には描きたいものが定まっていなかったはずだが描いていた。これも耐える力だったのだろうな、と今ならわかる。
 それから、あの頃みたいに絵を描くことはないけれど、いまの僕には表現したいこと、学ぶからこその歯痒さがたくさんある。

 僕は、風景を後ろから見ていた。目の前の、あの頃の僕がいつも通り椅子の背もたれに顎を乗せて座っている。よく見ると、安っぽいイヤホンをつけている。それが耳から外れるが、こいつは気にもとめていない。
 目の色を変えることなく、戸惑いを背負ったまま、それでも凛としてキャンバスに向かって歩き出した。僕はあわててそこに駆け寄った。
 彼が筆をキャンバスに向けて伸ばす時、その右手を上から掴んで、僕は確かに何かを描こうとしていた。

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