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1980年代の韓国のソロアイドル

日本では1980年代まで山口百恵や松田聖子といったソロのアイドル歌手が主流だったが、お隣の韓国も日本と同様に昔はソロ歌手が主流でした。日本と韓国の芸能界には共通する部分があると言われています。例えば、

昭和の日本 = ソロ歌手が全盛
例:山口百恵、中森明菜、小泉今日子、工藤静香

昭和の韓国 = ソロ歌手が全盛
例:桂 銀淑、キム・ワンソン、イ・ジヨン、イ・サンウン

◎1980年代後半の日本 = アイドル冬の時代~アイドル氷河期

◎1980年代後半の韓国 = アイドル冬の時代~アイドルの過渡期

1990年代後半の日本 = ジャニーズ全盛期(男性アイドルグループ人気)
例:SMAP、TOKIO、V6、Kinki Kids、ジャニーズjr.、J-FRIENDS

1990年代後半の韓国 = 第1世代のボーイズグループ全盛期(男性アイドルグループ人気)
例:H.O.T、SechsKies、NRG、太四子、神話、god

◎2000年代前半の日本 = 女性アイドル低迷期

◎2000年代前半の韓国 = 女性アイドル低迷期

2000年代後半~2010年代前半の日本 = アイドル戦国時代
例:AKB48、ももいろクローバーZ、Perfume

2000年代後半~2010年代前半の韓国 = 第2世代のアイドルブーム
例:KARA、少女時代、Wonder Girls

といったように日本でアイドルが売れない時代は韓国でもアイドルが売れていない時期があったり、逆に日本でアイドルブームが起こると韓国でもアイドルブームが起きる等、アイドル界(芸能界)の構造が似ている所もある。

◎代表的な韓国のソロアイドル歌手
(主に1980年代~1990年代初頭)

●桂 銀淑

韓国を代表する女性トロット歌手 / 演歌歌手

1979年にデビューした演歌歌手。
韓国でアイドル的人気を獲得した歌手」の先駆け的存在。歌手になる前の1977年にモデルとしてデビューし、CMキャラクターに抜擢されるなどして2年間モデルとして活躍した後、歌手に転身。独特なハスキーボイスで数々のヒット曲を飛ばし、1970年代~1990年代にかけて韓国のみならず日本でも人気を博した。

●チョン・ヨンロク

80年代に韓国で一世を風靡した男性歌手

80年代の韓国を代表するスーパースター
1975年にデビュー。チョー・ヨンピルに次いで70年代~80年代の韓国を代表する国民的な男性歌手であり、特に女子中高生たちから絶大な人気を博した。1979年~1989年までの10年間、最も人気のある歌手として評価され、多くの世代から支持を受けた歌手だった。さらに歌手活動だけでなく、演技、作曲、ラジオDJなど多方面でも活躍していたため、エンターテイナーとしての側面もあった。2000年代の男性歌手に例えると歌手活動と並行して俳優としても人気を得たRain(ピ)に近いポジションだとされている。

●キム・ワンソン

韓国のマドンナと呼ばれた80年代を代表する韓国のソロアイドル歌手

韓国の中森明菜」 / 所属事務所:ハン・ベクヒマネジメント
1986年にデビューした女性ダンス歌手。当時の韓国歌謡界では男性歌手の活躍が一般的であり、女性歌手の活躍はあまり認められなかったが、そのような状況の中で初めて「歌って踊れる女性歌手」として登場した。濃厚な表情と華麗なダンスでセクシーな雰囲気をアピールし、視聴者へ新鮮な衝撃を与えた。1980年代後半~1990年代初頭まで大衆から人気を獲得した唯一の女性歌手だった。

日本のテレビ番組に出演したキム・ワンソン

1989年には、吉本興業の協力を得てシルエットの名義で日本デビューした。日本では当時、世界的に大流行していた「ランバダ」のカバー、デビュー曲「今夜」の日本語歌詞、「一人庭の前で」といった曲で活動し、テレビ番組の出演やコンサート(日本公演)を行ったこともある。当時の日本ではチョー・ヨンピル、桂 銀淑などが有名で韓国の歌手 = 演歌というイメージが強かったため、彼女のような歌って踊れる韓国人歌手は受け入れられずあまり良い成果が残せなかった。

日本のメディアに出演した当時のキム・ワンソン

韓国で初めてトレーニングシステムを導入したアイドル的歌手であり、SMエンターテインメントの創設者、イ・スマンはキム・ワンソンのマネージャーを務めていたハン・ベクヒ(キム・ワンソンの叔母)から「あなたところ(SMエンターテインメント)の練習生たちにも数年間トレーニングさせた方が良い」と助言を受け、実際にヒョン・ジニョンとワワを2年間、H.O.Tを3年間のトレーニング期間を設けてデビューさせている。後年に活躍するオム・ジョンファ、BoA、イ・ヒョリ、チェヨンといったソロの女性ダンス歌手の先駆け的存在でもある。日本のアイドルで例えると、80年代に活躍した中森明菜、中山美穂、荻野目洋子などのポジションに当たる。

●イ・ジヨン

80年代に活躍した清純派アイドル歌手

所属事務所:白頭山エンターテインメント
1987年にデビューした女性ソロ歌手で「韓国初の清純派アイドル」の先駆け的存在である。ヘヴィメタルバンド・白頭山のボーカルだったユ・ヒョンサンがバンド解散後、プロデューサーに転身し、南野陽子や浅香唯といった日本の清純派アイドルから影響を受けて発掘された。歌手デビュー前に「イ・ジンヨン」という名前で雑誌モデルとして活動していた。デビューしてからは同時期に活躍していたキム・ワンソンとライバル構図となり人気を博した。

●パク・ナムジョン

1980年代後半に活躍した男性ダンスアイドル歌手

所属事務所:テグァンレコード
1988年にデビュー、「歌って踊れる男性ソロ歌手」の先駆け的存在。
上品なルックスと派手なロボットダンスの実力で、女子中高生たちの間で爆発的な人気を集めた。現役当時の映像を見ても分かるように、パク・ナムジョンが登場すると少女ファンの歓声がものすごく、パク・ナムジョンの特集が載ったティーン雑誌は即完売するなど、80年代後半を代表するまさに「アイドル」のような存在だった。またデビュー当初から代表曲「君を描いて」など自ら作詞・作曲を行っており、ミュージシャンのような側面もあった。日本で例えれば郷ひろみ、田原俊彦、風見しんご、といった歌って踊れる80年代の男性ソロアイドルのポジションに当たる。

●イ・サンウン

80年代後半に人気を博した女性アイドル歌手 / イ・サンウン

1988年にデビューした女性歌手。当時の韓国歌謡界では珍しくボーイッシュなイメージで登場し、漫画の中の主人公が現実の世界に飛び出てきたような雰囲気(男装している女性)が感じられた。

音楽番組で代表曲「ダムダディ」を披露するデビュー当時のイ・サンウン

すっきりとした背の高い男性よりも素敵に見える美少年のようなルックスだったので女子学生を中心に人気を博し、ファン層も女性ファンが多かった。少女ファンの熱狂的追従を引き出した当時の韓国では最も破格的な女性アイドルの一人で彼女をはじめて見た人は、男性なのか女性なのか区別がつかないほどだったという。

●カン・スジ

1990年代初頭に清純派歌手として韓国歌謡界に登場したカン・スジ

韓国の工藤静香
1990年にデビューしたシンガーソングライター。イ・ジヨンに次いで清純派コンセプトで登場し、以後、1988年→1990年→1992年といった感じで2年ごとに清純派歌手が出現すると言われた。男性ファンを中心にアイドル的な人気を集めたが、その一方で女性たちからは「少し生意気な女の子」・「ぶりっ子」といった印象を与えてしまったため、男性人気と比例するように女性アンチがとても多かった。

カン・スジのロールモデルとなった日本のアイドル歌手 /工藤静香 

1995年には、スージー・カン名義で日本デビューし、日本のバラエティや音楽番組にも出演したが、あまり良い成果が残せなかった。またデビュー当初は、工藤静香などの日本のアイドルを参考にしていたという。

●ユン・ヨンア

歌手活動以外にも様々な分野で活躍しているユン・ヨンア

1990年にデビューした女性ソロ歌手。1990年、KBSの「創作歌謡祭」に出場し、「五線紙に描く悲しみ」という曲で大賞を受賞した後、1991年に「ミニデート」という曲でデビュー。この曲は1989年に公開された台湾の映画「七匹の狼」のサウンドトラックで、金 玉蘭(ジン・ユラン)が歌う"迷你约会"を韓国語でカバーしたものであり、1992年には男性が最も多く歓呼した曲の1つでもある。悩殺的な目つきで官能的なオーラをのぞかせながら、淡い笑顔で清純さも示した。当時、抜本的だったミニスカート姿にも男性の目を惹きつけた。

●ハスビン

「アルプスの少女」・「無公害の少女歌手」と呼ばれた / ハスビン

韓国の森高千里
1992年にデビューした韓国のアイドル歌手。1990年代初頭にカン・スジと共に数多くの男子学生ファンたちを虜にした清純可憐型の女性アイドルだった。清純できれいな美貌と漫画に出てくる女性キャラクター風のイメージで10代の男子学生ファンから絶大な支持を得たが、逆に10代の女子学生たちからは批判されることが多く、嫌悪感の対象だった。

(左) 日本のアイドル歌手・森高千里 / 韓国のアイドル歌手・ハスビン(右)

活動当時の様子を見てみると森高千里のような80年代後半の日本のアイドルを連想させる。実際にハスビンと森高千里は、外見のイメージだけでなく、自ら作詞をするなど似ている部分もあり、「私を守って」という曲で活動していたときは工藤静香の「MUGO・ん…色っぽい」をモチーフにした。日本文化開放前の時代に日本のアイドルスタイルを輸入した韓国歌手の一部だと言えるだろう。

※まとめ
このように1970年代~1980年代の韓国にも「アイドル的人気を得ていた歌手」は存在していたが、当時の韓国では"アイドル"という言葉は不慣れな時代だったため、基本的にこれらの歌手たちをアイドルとは呼ばない。さらに現在のK-POPアイドルとは歌手の性格、方向性、コンセプト、音楽性も全く異なるため、K-POPとしては扱わないのが一般的とされる。

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