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思い出開明軒

コクのある豚骨スープの「開明ラーメン」で有名な「開明軒」。看板娘のクミは、今日も忙しく立ち回っている。洗い物の手を少しだけ緩め、時計を見ると、彼女はふと考えた。


「今日もあの子達来るのかしら?」


このところ足繁く通ってくる、二人組の男子高校生。どうやら受験生のようだ。決まって同じ時間に大きな荷物を背に現れる。一人は人見知りらしく、クミと目も合わせようとしないが、それとは裏腹な豪快な食べ方が印象的だ。

もう一人は大人びた如才ない雰囲気を漂わせている。タイプは随分違うのだが、二人は仲が良いらしい。やってきては同じ席で同じメニューを注文するから、覚えてしまった。程なく「いつもの」とか常連じみたセリフを言い出すようになったから、可笑しくてたまらない。弟みたいで可愛らしい。


「よ、よし。終わりや。いこか!」
ナガトが言う。

午後九時、図書館での受験勉強を終えた後、町外れのラーメン屋に向かう事が、このところウチムラの日課になっている。

店の前に2台の自転車を止め、黄色い暖簾をくぐると、女性店員が笑顔で迎えてくれた。

「毎度ありがとうございます。」
「い、いつもので。」目も合わせず、ぶっきらぼうにナガトはいうと、店の奥まったところにある「いつもの席」へと向かった。

程なくして、ナガトの前に坦々麺が、ウチムラの前にはラーメンが届いた。ナガトは店員に僅かに頭を下げ、懐から「マイ箸」を取り出すと、親の仇であるかのようにそれに食らいつく。赤いスープを纏った中華麺、ひき肉、小松菜と言ったものが一塊となって次々とナガトの口の中に吸い込まれていく。

ウチムラがレンゲで一掬いの豚骨スープを味わい、ようやく麺に手をつけ始めた頃には、ナガトの丼にはもはや坦々麺の痕跡もない。ただ、坦々麺そのものがナガトの体から染み出しているかのように真っ赤な顔で大汗をかいていた。

「坦々麺は、逃げないぞ。」ウチムラは呆れ顔で忠告する。

「いや、た、坦々麺は逃げなくとも、時間は逃げる。」
名言めいたものを言うと、ナガトはバッグから少年漫画週刊誌を取り出し、それを味わうが如く丁寧にめくり出す。

「素数の言いっこして、言えなくなった方が負け。負けた方の奢りや!」
漫画から目を話すことなく、勝手にそんなことを言い出すと、ナガトは「2」と最小の素数を挙げ、勝負を挑んできた。

(おやおや。)ウチムラは苦笑しながらも、「3」と受けてたつ。
ナガトは数字の天才だ。この勝負ではウチムラは敗色濃厚だ。

「1087」

「1091」

「1093!」ナガトが言い放ったところで、ちょうど追加の水を運んできた女性店員と目が合った。店員はキョトン、とした顔をしている。

「キリがないな。これでやめや。俺の負けでいいわ。」
とナガトは勝負を切り上げにかかった。

「ははあ。君は恋をしているな。」店員の名札にチラッと目をやったウチムラは、確信めいた顔で言った。

「ば、ばかばか。俺と彼女とは決してそう言う関係ではない!」

「そう言う関係もあるものか。おかしいと思ったんだ。ラーメンが有名な店で、辛党でもないのに執拗に坦々麺を頼んでいることも、それほどエコな男と思えないのに、急に『マイ箸』なんかを持ち歩き始めたことも。どうやら君は爪痕を残そうとしているようだが、そんな迂遠なアプローチでは、彼女も気づかないぞ。」

「いいか、ウチムラ。我々は受験生だ。いわば戦士である。遠く離れた大学に旅立つ男の胸に、『ロマンのかけら』が欲しいだけや。勘違いするな。」

そう言い放つとナガトは、「餃子二人前、持ち帰りでお願いします!」
と勝手に注文し、帰り支度を始めた。

「おいおい、僕はお腹いっぱいだ。二人分もいらない。奢ってもらう言われもない。」

「賭けは俺の負けや。四の五の言わずに餃子を持って帰れ。」
ウチムラが靴を履いている間に、ナガトはそそくさと会計に向かう。

「ごっそさん。お。美味しかったです。」
ボソボソと言うナガトに、店員は輝くような笑顔で言った。

「坦々麺810円、ラーメン730円、餃子二人前で660円で2200円になります。」

「あれ?ぎょ、餃子は持ち帰りなので、消費税8%では、、?」

ナガトの恐る恐るの抗議に、女性店員は照れ隠しの笑みを浮かべた。
「あ、そっか。餃子は648円ですね。2188円です。」

ウチムラがレジにたどり着いた時には、ナガトは支払いを終えていた。
2500円のお預かりで、312円のお返し。いつもありがとうございます。」

黄色い暖簾をくぐって、自転車に跨ったナガトは得意げに言った。
「見たかウチムラ。これが『ロマンのかけら』や!

「?」

俺は確かに彼女の目を見て、1093(アイラブクミ)と言った。それに対して彼女は312(ミーツウ)と返してきたんや。それで十分。これ以上は、我々には毒や!」

『お見それしました』と言う顔のウチムラを置いて、ナガトの自転車は意気揚々と走り出した。

(了)

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