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かみさまのなかのおうさま、ゼウスさまはいいました。
「いちばんやくにたつものをつくりだしたかみさまが、このとちをおさめることができるようにしましょう。」

うみのかみさま、ポセイドンは、「うま」をつくりだしました。
「うまはたたかいのときにいいはたらきをします。」

ちえとたたかいのかみさま、アテナは「オリーブのき」をつくりだしました。
「『オリーブのき』は、やみをてらすあかりになります。きずもなおします。いいにおいがして、おいしいたべものにもなりますよ。」

ゼウスさまのえらんだのは、どっちだったでしょう?

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タダノブの家の門には粗雑な作りの木の箱が打ち付けられている。
ちょっと見ると鳥の巣箱のように見えるが、中には藁も敷いてないし、エサも置いてない。
その箱の中を朝となく夕となく覗いてみるのが、「ホームズ探偵団」団長、タダノブのこのところの日課だった。

「今日こそは入っているかも」、と思って覗いてみるが空振り続き。
(おかしいな。看板もちゃんと出したのに。)
もう「箱」を覗くワクワク感も薄くなってしまったある日、タダノブはついに目的のものをその中に見つけ、小躍りして喜んだ。

四つ折りの白い紙。それを大事そうに開いたタダノブの目に、短い文章が飛び込んできた。

「おじいさんの池のコイが最近よく死んでいます。原因を調べてください。」

ボールペンで書いてある。おとなの字だ。そして、「探偵団」への初めての調査依頼だ。

待ちに待った依頼を受けて、開店休業状態にあった少年探偵団は動き出した。

愛用の虫眼鏡を手にタダノブは捜査に向かう。と言っても、目的地は自分の家から歩いて数分のところにある祖父の家。日本庭園の背後に広がる池を見に行くだけの話だったが。

水面のさざなみが、明るい夏の陽光を浴びてキラキラしていた。少し緑色に濁った池底には、赤、黒、白の3色や、金色の錦鯉が、黒い普通の鯉と混じって固まるようにして泳いでいる。タダノブが近づいていることに気づいた彼らは、餌の時間だとばかりに寄ってきた。

池の対岸の奥まったところへ目をやると、そこは池の淵までせり出してきた雑草や灌木の影になり、少し暗くなっている。その部分は池の水も、少し澱んでいるようだ。

遠目には水面の色も少し変わっているように見えた。タダノブは灌木を跨ぎながらようやくのことで池の向こう側にたどり着いた。岸から身を乗り出して池を覗いてみる。

‥遠目に色が変わっているように見えた部分を近くでよく見ると、池の表面に薄い膜がかかっている。グルグルとした渦巻き状に変化する赤や黄色の鈍い光。水面に七色の虹がかかっていた。不思議な虹が。池の表面は不思議と静まりかえっていて、さざなみもたっていない。

タダノブは思った。「ウルトラセブン」のオープニングみたいだ。グルグルを見ていると、なんだか眠くなってきた。

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荒ぶる海神の怒りは頂点にあった。その激情は大波となって舷側を叩きつけ、無情にも10人もの屈強な漕ぎ手-その多くは奴隷であったが-を生け贄として飲み込んだ。
100人以上の漕ぎ手を誇る巨大な高速ガレー船も、もはやなすすべもなく巨大なうねりの中で弄ばれている。
スパルタ人が恐れ慄く軍船の威容は見る影もなく、もはや波間の木の葉以上の何者でもない。

「イオニアス!イオーニアス!!」

「聞こえている。」

「右舷から浸水だ。いよいよ私たちも覚悟を決める時がきたようだな。」

イオニアスは薄く笑った。

「何をいうか。沈むべきはスパルタの船だ。あの貧弱な船の横腹に風穴を開けるまでは、この船は沈まぬ。沈めるわけにはいかぬのだ。祖国アテネのために。」

「海神が相手ではな、、。」

常に似ず弱気な副長、タイモンをイオニアスは叱咤した。

「我々にはアテナの加護がある。アクロポリスの木を忘れたか!」

イオニアスはタイモンに命じ、船内にありったけのオリーブ油をかき集めた。
ずぶ濡れのイオニアスは衝角を見下ろす船首に立ち、今にも足を踏み外しそうになりながらも、荒れ狂う海に向けて雄々しく叫ぶ。

「鎮まれ、海神よ!我はアテネのイオニアス。戦いの神、アテナの加護を受けるものなり。」

イオニアスが樽のオリーブ油を供物として海に捧げると、俄に雲は割れ、光が刺し、風は止んで、波は静まり、そこには紛れもなき「凪」が訪れたのであった。

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大きなフロックコートと丸眼鏡。その背中は曲がり、その足取りはヨタヨタとおぼつかず、杖をついている。傍目には好々爺にしか見えぬその男の両の目は、しかしギラギラと光を放っていた。

ロンドンのある池のほとり。湖面には僅かにさざなみがたっている。その男は時間をかけてようやく懐から瓶を取り出すと、もたもたと茶さじ一杯の「魔法の薬」を掬い上げ、それをゆっくりと湖面にたらし始めた。

魔法の薬は驚くほどの速さで水面で広がり、七色の光を放ち始めた。やがて色は見えなくなったが、薬は広がり続け、湖面の4分の1、半エーカーほどにまでなった。

不思議なことに、魔法の薬が広がった領域にだけ、さざなみは見られない。代わりにそこには完全な「凪」が生まれたのであった。

年老いた魔法使いは満足気に微笑んで、茶さじ一杯の魔法の薬を新たに掬い上げ、それを今度は口に運んだ。ピチャピチャと時間をかけてその芳醇な味と香りを味わうと、ヨタヨタとした足取りで池のほとりの手頃な岩まで歩き始める。腰掛けた彼は、懐から新たに取り出した紙と鉛筆を使って、一心不乱に何やら計算を始めた。
(茶さじ一杯が2ml。広がった面積が半エーカー(約200平方メートル)、体積を面積で割れば、1分子の厚みは約10Å‥‥。)

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魔法使いの名は、ベンジャミン・フランクリン。波高1cm以下のさざなみは、重力よりもむしろ表面張力の影響下にある。水面に密な単分子膜が存在すると、表面圧縮弾性率の増大により、波を沈める効果が生まれる。オリーブ油によって生じた「凪」。これが界面化学の始まりである。

古代ギリシャ人は、油にさざなみを沈める効果があることに気づいていた節がある。確かな事は、古代の水夫は海が荒れた時、オリーブ油を海に注いで波が静まることを祈った、ということ。この事が「アテナがポセイドンに勝利した」、という冒頭の神話に影響を与えたのかは判らない。

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(あれ?なんだか夢を見ていたみたいだ。早く報告書を書かなくちゃ。)

「ホームズ探偵団」のタダノブはウキウキと初めての調査報告書を書いた。
「アテナ」は依頼人の父である。

「池の上に油が浮いてました。これが原因かもしれません。」

タダノブが、油が浮いていたところだけさざなみがたっていなかった理由に気づくのは、ずっと、ずっと先のことだ。

(了)

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