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花を活けるように、文字を和紙に活ける。「かな文字」の表現を探求する書家の眼差し

中国からやってきた漢字から派生した「かな文字」。平安時代、和歌や日記、文芸作品などに用いられ、現代に残る多くの名作を生み出してきました。紫式部の生涯を描く2024年大河ドラマ『光る君へ』の影響もあり、今、注目が寄せられています。

その「かな文字」に情熱を注ぎ、1200年前の精神性に思いを馳せながらも斬新な表現を模索しているのが、書家の箕浦敬子さんです。柔らかく、細い線を用いながら優美な世界を生み出す作品群。書そのものの表現だけでなく、和紙の草木染めで自然の景色を感じさせたり、和紙を何枚も重ね合わせて風が通る様子が楽しめるよう工夫を凝らしたり、見せ方にも一石を投じています。

銀座一穂堂で開催されていた個展に伺い、お話を聞いてみると、「私はよく、『文字を活ける』という言葉を使います。花を活けるのと同じで、和紙に文字を活けるんです」という言葉が。

書道と、自然の草花との意外な関係、そして、人が生きる上で欠かせない自然の豊かさが見えてきました。

かなを好きになったのは、植物からもらったインスピレーション

──箕浦さんは、3歳から書道を始められたと伺いました。

6歳の兄が書道を始めたときに、「小さくて家で留守番は無理だね」と連れて行かれたのがきっかけでした。当時の記憶はおぼろげなのですが、この「うめ」は母が取っておいてくれた当時の作品です。改めて見ると、3歳の小さな手で、よく筆を持って書いたなぁ、と。神童だと言った人もいたようですが、まったく意識せずにきました。表彰式が緊張してお腹が痛くなるので、お習字はそれだけが苦しかったです。

3歳の時に書いた「うめ」の字。

母は、「この才能は壊さずに育てていこう」と目標を立てたようで、私は一度も書道を強制されたことがないんです。今に至る約50年の間、ずっと見守ってくれています。

とにかく、楽しかったですね。教室で上手なお姉さんが隣にいると、「私もあのように書いてみたい」と憧れました。憧れの積み重ねで、休みの日は、午前の部も午後の部も通わせてもらって、それぞれ4時間、計8時間も教室にいました。家に帰ってからも書きたいくらいで。

書道教室で「かな」の課題を書き始めたのは、高校生の頃だったと思います。家には母が飾っている山野草がたくさんあったのですが、それを見ながら、いつか、あの植物みたいな、ぷくっと立体的な、たおやかで、しなやかだけど、折れない線が書きたいと思っていました。

母から受けた自然の英才教育

展示会場には、お母様が長野伊那谷から届けてくれたという山野草が飾られ、
箕浦さんの世界観が表現されていました。
花器は、同時期に銀座一穂堂で個展が開催されていた西田宣生さんのもの。

──お家に山野草が飾られていたなんて素敵ですね。お母様がお好きだったんでしょうか。

今思うとちょっと変わった親で、私が小学生で名古屋に住んでいた頃、朝焼けを見ながら温泉に入るために、4時に起きて岐阜に連れて行かれることもありました。星が一個ずつ消えていって、夜が明けるのを露天風呂から見るんです。帰ってきて、それから学校へ行きました(笑)。

夜は取ってきたススキを大きな甕に入れて、ベランダでお月見をしたり、簡易的に作ってあった囲炉裏を囲んで、母のすすめで、父が蓮の茎からお酒を飲んだり(※蓮の葉からお酒を注いで、下に伸びた茎から蓮の香のするお酒を楽しむ「蓮酒」という行事)するのを見ていました。季節の風情を楽しむような贅沢が好きな人でした。

母は、食事の時にも、テスト時期にも、机に花を飾ってくれる人でした。勉強しなさい、とは一切言わずに、花だけはいつも置いてある。自然に関することは英才教育を受けたな、と思います。

──そこで培われた感性が、おのずと大好きな書道の中にも現れたのでしょうか。

そうかもしれませんね。私はかなを書く時、葉の形をイメージして曲線を書いていたり、しなやかな蔓をイメージして線を書いていると思います。だから、字に失敗という概念が低いですね。線や形が植物なので。でも、こういう話をすると、書の人たちには「何を言ってるの?」と不思議な顔をされるんです(笑)。

平安時代の古筆「升色紙」に着想を得た作品で、
「夏の夜は まだよひながら 明けぬるを 雲のいづこに 月かくるらん」とある。
草木染めで色がつけてあり、
箕浦さんの表現における独自のテーマ〈透ける、揺れる、触れる〉の通り、
動かすと景色が変わるように見える仕掛けが施されている。

和紙に「文字を活ける」という感覚で

──箕浦さんが、書道の中でもとりわけ「かな」に特化して表現されている経緯も気になります。1200年前の書を再現されていますね。

かなに関しては、高校生ごろからずっと惹かれていて。38歳の頃から約10年間中学校で書道を教えていた時も、好きだという感覚がありました。

学校の授業では、子どもたちもすごく慕ってくれて、書を好きになってくれて、とても楽しかったんですが、ある年末に突然、来年教壇に立っているイメージが持てなくなってしまって。本当に直感的なものでした。辞めた途端、待ってくださっていたかのように、⼤本⼭護国寺さんへの揮毫など、色んなお話をいただけるようになったので、不思議なものです。今では、1000年後に向けて、かな文字の新しい表現の追求を、自分の生涯を賭けて成し遂げたいと思っています。

私はよく、「文字を活ける」という言葉を使います。花を活けるのと同じで、和紙に文字を活けるんです。だからか、「箕浦さんの線には、花のような強さと、儚さと、しなやかさがある」と言っていただくことも。

生徒さまに書を教える時も、花に例えることが多いです。花が全て咲いたように文字を書くと品がなくなるので、かなの並びとしては「『つぼみ、つぼみ、花、つぼみ』ぐらいですよ」「そのつぼみが咲いたらきっと綺麗だろうな、と思わせるような、かなを書きましょうね」って。

──かなは、もともと中国の漢字から派生したものですが、どんな文字の成り立ちなのでしょうか?

中国の発想だと、漢字を日常的に使うために省略する、あるいは、半分無くしてしまう、といった手法が用いられます。カタカナも中国的発想で、例えば、「ア」は「阿」の左、「イ」は「伊」の左、「エ」は「江」の右、といった具合です。

でも、かなの「あ」は、元になっている「安」の字を崩しながらも曲線で再構築しているんです。やはり、日本人の曲線礼賛のDNAが成し遂げた美の文字だと思いますよ。お月様も大好きでしょ。京都の桂離宮も、月をその季節ごとのベストな角度で愛でるために建立されていて、四つの茶室があります。わざわざ、その季節に合う良い角度からの観月。

あのかな文字ができるだけあって、平安時代の方は感性の研ぎ澄まし方が違いますね。

かな文字は情報としてだけでなく、造形も含めて楽しまれていた

──かなの曲線が、自然とかなり密接に結びついていると。

証拠があるわけではないのですが、私はかなり信憑性があると思っています。実は、平安時代には葦手(あしで)という装飾文字も誕生していて、流水や、岩、水鳥などの自然の風景の一部を文字化して表現しているんです。昔の人は、かな文字を情報としてだけでなく、造形として遊んでいたと思います。

私の作品でも、「の」を月に見立てて上の方に配置したり、その月明かりが山を照らしている様子を、文字を薄くして表現したり、景色のように表現しているんですよ。

──箕浦さんの作品を見ていると、ほっとする理由がわかりました。自然に囲まれたような感じがして、安心するのかもしれません。

左から、「花」、「瓦」、「栞」、「想」と題された掛け軸の作品。
外国人からも大人気だそう。

「箕浦さんの作品は力まず、普段の自分のままで作品に触れられる」とよく言われます。ひらがなができた1200年前の人が目にしていた植物というのは、野に咲く山野草なんです。その、柔らかでほっとするような素朴な景色が、限りなく近い形で現れているのがかなではないかと私は思って書いています。

作品の材料は、平安時代にあった素材で作られていて、色は植物から染め、和紙も植物から作り、墨も植物(松脂)を燃やしてできたもの。1200年前から変わらない、自然由来のものたちです。だから、ここ(個展会場)はまるで森の中だな、と自分では思っています。

箕浦さんが伊那谷のご実家の春先のお庭の草花を色鉛筆で描いた板絵。
(提供:箕浦さん)

「かな文字はずっと、草木を探していました」

──かな文字の中に、こんなにも自然の気配が息づいているとは思いませんでした。

古筆を再現していると、「書」は、それだけが単体で存在していたわけではないと感じます。書道・お習字というと、何級だとすごいとか、字が上手くて素敵とか、そういう、人との比較や形だけの視点で見られることが多いけど、昔の人が庭先の四季の草や花の蔓の曲線を文字に仕込んだと思えるくらい、近くに植物が存在していて、景色のような穏やかさもそこにはあったはずなんです。

かな文字はずっと、草木を探していました。今、その原点に気づいた私や、それに共感してくださる人たちが現れて、「かなちゃんたち」がやっとまた草木に巡り会うことができた。そんな感じがします。

2021年から箕浦さんの表現における独自のテーマ〈透ける、揺れる、触れる〉 
(提供:箕浦さん)

──その「原点」に人々が回帰できるように、作品の見せ方にもこだわっていらっしゃるのですね。

私はお習字を「美術」の領域に押し上げていきたいんです。今、我々は昔のかな文字なんて読めないし、読もうとしないじゃないですか。だから、見せ方にも工夫を凝らし、美術のように作品をつくっています。日本古来のかな文字をさわれる「小さなかな美術館」みたいなものができたら良いなぁ、と。そういう夢を持った人が、一人くらいいても良いかな、って。

「動く」と「寝る」の間にある、ゆっくりした時間

──花の国日本協議会では、花に触れたり、贈り合ったりすることで幸福を感じる効用に「ビタミンF」(F=Flower)と名付けています。箕浦先生は、花などの自然と幸福の関係性について、どう思いますか?

やはり、人間ばかりを相手にして、人間のことばかり考えて暮らしていると、どうしても心が壊れやすくなると思います。自分のために、花を見たり、山に行ったり、自然に触れる割合を増やした方が良いですよね。昔の人は、「あ、星が昇った」「明日はどんな天気だろう」と、天気のことだけでも30分くらい考えていたはずです。

あと、書道に関して言うと、自律神経を整えるのにもすごくよいのではと思っています。だから、ビタミンF、私は「筆」の「F」だと思いました(笑)。今、私たちって、「動く」と「寝る」の間にある、ゆっくりした動きで集中する時間って少ないでしょう。筆の毛先に集中する静かな時間って、絶妙なんです。ゆっくり、ゆっくり精神統一しながら動かす極意。「これを知って、先生のレッスンに出会って良かった」と言ってくださる方は多いです。花を生ける時間にも共通するかもしれないですね。

そういえば、学校で書道を教えていた頃、子どもたちがすごく慕ってくれて、字形だけを添削する授業でなかったからか、不登校の子も反抗期の子も、授業を受けに来てくれたんですよ。「書道、つまらなくないの?」と言っても、楽しそうで。

書を通じて「世界が見える窓が一つ増えた」という人も

───以前、東京大学の曽我昌史先生に、自然とウェルビーイングの関係について伺ったのですが、幸福度の向上のために動植物に「気づく」ことの大切さを教えてくださいました。気づく自分になるためにはどうやったらなれるのでしょうか?

みなさんに新しい気づきを与えることこそ、先生の役割だと思います。私は、かつて学校で教えていた時もそうですし、今も書道の教室を通じて、みなさんに新しい気づきがあれば、とは思います。

”守破離”という言葉から「離」と名付けられた作品。
エンジュ(槐)とヤシャブシ(夜叉五倍子)の実をそれぞれ和紙に草木染めし、重ねたもの。

「先生の話を聞いて、世界が見える窓が一つ増えました」とおっしゃってくださった方がいました。デパ地下を歩いているだけでも看板の筆文字に目が止まるようになったと。また、空の色やお月様、植物の蔓を気にするようになり、人生が楽しくなった、と言ってくださる方もいました。

日々の寝食などは、まるで塗る場所が決まっている塗り絵のようなものだけれど、とても楽しそうに塗る人がいると思えば、つまらなさそうに塗る人もいます。だからやっぱり、気づきは多い方がカラフルになるはず。

私の個展にいらしてから自然の豊かさに気づいてくださる方が多くて、それが本当にうれしいんですよね。

私は今までずっとお花や草木のことを考えてやってきたのですが、まだまだ「変わったことを考える」と思われている節もあると思います(笑)。でも、今日お話ししたことは多くの人に知って欲しい。これからも、かなを美しい花束のように皆さまに届けられるよう、励みたいと思います。

〈プロフィール〉
箕浦敬子さん/書家・アーティスト
松岡正剛事務所を経て、中学講師として約10年書道を教える。現在は書家として主に平安時代の古筆を再現し、後世に「かな」を美術として伝え残すために、⽂字と⾊の世界の融合美を探求。2021年より「KANA SEE THROUGH」を個展などで発表。東京国⽴博物館応挙館にて展示。⼤本⼭護国寺などでも揮毫。

〈会場提供〉銀座一穂堂
〈インタビュー・テキスト〉清藤千秋(湯気)
〈撮影〉丹野雄二
〈協力〉芽inc.、一般社団法人花の国日本協議会