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テレビ

若者のテレビ離れが叫ばれはじめて久しい。今の時代、テレビに成り代わるものはいくらでもある。YouTubeやTVer、huluなどの定額制動画配信サービスなどもそうだろう。もう必ずしもテレビじゃなければならないという時代ではなくなっている。なぜ若者がテレビを見なくなったか。理由はいくつかあるが、テレビの一時間ほどの拘束を待てないほど、若者のエンタメへの集中力が続かないということが大きいだろう。

例えば、YouTubeは基本的に10~20分の動画がほとんどである。どれだけ長い動画でも、ライブ配信などでない限り、前編後編というように短くするように心がける。そしてYouTubeのショート動画やインスタグラムのリール、TikTokのように、1分に満たない動画が若者の間では常識となっている。このように、短く、簡潔な動画であふれている以上、テレビが冗長に感じてしまうのも無理はない。また、放送上の倫理規定の規制による、予定調和な展開も若者がテレビの前から去ってしまった原因の一つではないだろうか。つまるところ、つまらないのである。

私は根っからのテレビっ子である。学校や塾から帰ったらすぐにテレビをつけてかじりつくように見ていた。塾の帰りに親の車の中で見る、ヘキサゴン・はねるのトびら・theベストハウスの三連コンボは格別だった。音楽番組はほぼすべて見ていたし、ネタ番組も宿題そっちのけで見ていた。逃走中が放送された次の週の学校は逃走中ごっこで校庭がハンターだらけだった。そんな私からしてもテレビの衰退は確かに進んでいると思う。明らかに質が変わったと思う。激辛・仰天映像・東大生の三点セットである。もちろんこれらは一瞬の衝撃はすごい。目を引くし派手だ。しかし、それまでなのである。テレビで楽しんでもらうという目線から、まずテレビに興味を持ってもらうという目線に落ちてしまっている。では、テレビはもういらないのか、オワコンなのかと言われれば、私はそんなこともないと思っている。前より数は減ってしまったかもしれないが、面白い番組はまだまだたくさんある、と信じたい。

話は変わるが私は国語の教師を目指している。国語といえば、現代文と古典があって、授業では教科書に載っている文章を読んで主人公の気持ちを読み取ったり現代語に訳して解釈したりする。形だけの、受験向けの国語が欲しければそれでもいい。しかし、国語で学ぶべき本質はただ教科書にのっとっていれば学べるというものではないと思う。もっと自らの感性によった、答えのない世界をみるべきなのではないだろうか。

よくうちの子はゲームばっかりしていて~とか、テレビばかりみていて~と嘆いている親御さんがいるが、私個人の考えとしてはある程度成績が良くて提出物なども出せているならそれでもいいのではないかと思う。ゲームにもテレビにも学ぶべきところはたくさんある。ストーリーのあるゲームに感情移入したり、FPSなどのゲームで攻略法を考えたりすることでも子どもは成長していく。テレビの芸能人の真似をしておしゃれや人とのかかわり方を学んだり、ドラマを見て次回がきになったりしても子供は成長する。ようはそこから何を学ぶのかが大事なのである。てかゴキブリでた誰かたすけてええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ


……まあそういうことである(どういうことだ)。もっとこどもたちにはテレビをみてほしい。もっと笑ってもっと感動して、もっと自分の世界を広げてほしい。それが成長とテレビの復活へのしるべになるだろう。

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