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70年ぶりに改正された漁業法 水産改革を骨抜きにするな|【特集】魚も漁師も消えゆく日本 復活の方法はこれしかない[PART3]

四方を海に囲まれ、好漁場にも恵まれた日本。かつては、世界に冠たる水産大国だった。しかし日本の食卓を彩った魚は不漁が相次いでいる。魚の資源量が減少し続けているからだ。2020年12月、70年ぶりに漁業法が改正され、日本の漁業は「持続可能」を目指すべく舵を切ったかに見える。だが、日本の海が抱える問題は多い。突破口はあるのか。

2020年に漁業法が改正され、日本の水産行政は重い錨をあげたように思われた。だが、取材を進めるとその改革が骨抜きにされている点がいくつも浮かびあがってきた。

文・編集部(鈴木賢太郎)

 宮城県の牡鹿半島の太平洋沿岸に位置する女川町。ギンザケとサンマの水揚げ量が全国でもトップクラスのこの町には、日本有数の漁港の一つである「女川漁港」がある。

 まだ日が昇る気配すらない1月20日午前5時──。寝静まった女川漁港には2隻の船が横付けされていた。港を煌々と照らしていたライトが消灯すると、エンジンが轟音を響かせる。小誌記者が乗り込んだ「第28清水丸」と「第62清水丸」は白い水飛沫をあげながら、漆黒の海に向かって動き出した。

 同船団の漁法は日本の沿岸漁業の代名詞ともいえる「定置網漁」だ。魚群を探して漁に出る他の漁法とは異なり、文字通り海中の定まった場所に箱網を置き、回遊する魚群を誘い込む。

 出港から約30分。漁場に到着すると、船員は次々と「第62清水丸」に乗り移り、50㍍ほど離れた網の端まで移動する。その後、29人の海の男たちが海中で袋状になっている箱網を黙々と手繰り寄せながら、運搬船の「第28清水丸」に向け、ゆっくりと近づいてきた。

 「今日はマダラですね」

 船団を率いる泉澤水産の泉澤宏代表取締役が作業を眺めながらつぶやいたときには、すでに2隻の距離は5㍍ほどだった。網の中で飛び跳ねる大量のマダラを次々と魚槽に取り上げ、この漁場での漁は終了。空が白んでいく中、船団はもう一つの漁場で漁を行い、8時20分に帰港した。

「清水丸」による定置網漁。
この日はマダラの大群が網にかかっていた (WEDGE)

 泉澤水産は女川町をはじめ、北海道、岩手県、静岡県など9つの漁場を経営しており、泉澤氏は定置網漁の第一人者として知られる。「待ちの漁業」といわれる定置網漁は狙った魚種だけを漁獲するのが難しいともいわれるという。しかし、泉澤氏は「地域や季節によって網に入る魚が変わるので、昔からどんな定置網の型を選ぶかが意識されてきた。資源管理の重要性が叫ばれる中、漁具の設置海域や漁場の位置、操業時期も調整することで〝選択的な漁業〟ができる漁法だ」と話す。

 漁業法改正にまつわる規制改革推進会議にも参加した泉澤氏は、「現時点でIQが導入されているのは実質クロマグロぐらいだ。特に、沿岸漁業者には影響が少ないし、行動が変わるのはまだまだこれからだろう」と話す。

 日本の水産政策の歴史が大きく動いたのは改正された漁業法が施行された20年12月。これまで漁船の隻数や大きさ、魚の漁獲可能サイズや漁期を制限することにより管理していた水産資源は、最大持続生産量(MSY)ベースの漁獲可能量(TAC)に基づき科学的に管理することとなった。

 2030年までに10年と同程度まで資源量を回復させる──。この目標のために、特定水産資源(TAC魚種)を現在の8種から20~30種まで拡大し、漁獲量ベ―スで8割を個別割当制度(IQ)で管理する。さらには資源調査種を18年の50種から、25年までに約200種に拡大することを目標に資源調査を実施している。

 水産庁が21年5月に発表した『新たな資源管理の推進に向けたロードマップ』をみると、「順次開始」「順次拡大」の文字が並び、まだまだ改革の途上であることがうかがえる。これまで漁獲データの正確な把握すらできていなかったが、その報告が義務化される範囲がようやく拡大してきた。

 水産資源管理に詳しい東京海洋大学政策研究院の岩田繁英助教は「『データがないと改革が進まない』というのは事実だが、そこで手をこまねいているのが現状だ。例えば、生態系や海域毎の資源状況に関する詳細なデータなど、具体的にどういうデータを集めていくかの検討を進め、最終的な目標地点を達成するために、それをどう管理していくかのロードマップを示す必要があるのではないか」と話す。

 資源調査や評価を行う水産研究・教育機構(以下、水研機構)水産資源研究所の西田宏水産資源研究センター長は漁業法改正後の取り組みについてこう語る。「資源評価対象魚種が拡大していく中で、当然スピードも重要だが、評価精度の向上に努めつつも、きめ細かくやっていかなければならない。限られた人手や予算の範囲内で体制を工夫し、円滑・迅速に海の中のデータ収集ができる仕組みを構築しようとしているところだ」。

「魚と親の仇は
目の前にいるときにとれ」

 戦後70年間変わらずに〝君臨〟し続けていた漁業法。漁業者の生の声がその改革の難しさを物語る。

 宮城県石巻市で底引き網漁業を営む森智朗さんは「『魚と親の仇は目の前にいるときにとれ』と教えられて育ってきた。資源管理は大事だとわかっているが、家族や乗組員たちの生活もかかっている。そう簡単に『獲らない』という選択はできない」と話す。また、宮城県漁業協同組合の平塚正信専務理事は「漁業者は〝狩人〟だ。資源管理の重要性は理解しているが、それを実行させるとなると苦労する」と語る。

 日本は漁業者の自主規制任せの資源管理を続けてきた結果、漁獲量は減少の一途を辿ってきた。漁業者も資源管理の重要性を認識しているが、そう簡単に行動変容は起こせない。資源管理するインセンティブが現状では乏しすぎるからだ。今回、科学的に漁獲量を制限する方向に大きく舵を切ったのであるから、漁業者が資源管理に本気で取り組む政策が欠かせない。しかし、取材を進めるとその改革の不徹底さがいくつも浮かびあがってきた。

 漁業法の改正ポイントはTAC魚種の拡大とIQによる管理の導入だ。水研機構などの第三者研究機関が資源調査・評価を行い、その結果を基に国の「資源管理方針に関する検討会」を経てTACが決定される。そして、水産庁の下案を基に漁獲枠の配分方法が審議され、①主に遠洋・沖合漁業などが対象で農林水産大臣が許可する「大臣許可漁業」、②主に沿岸漁業が対象の「都道府県知事許可漁業」のそれぞれに漁獲枠が配分される(下図)。


漁業法改正により〝科学的〟な資源管理に舵を切った

(出所)各種資料に基づきウェッジ作成

 しかし、肝心の漁獲枠の初期配分は過去数年の「漁獲量」をベースに決定される。総量は同じでも配分の仕方次第では、資源管理にはならない。前出の岩田助教は「配分方法にも科学的な視点を入れる必要がある。例えば、漁獲量データが揃う漁法ごとにどれくらい漁獲を減らせばどれくらいのインパクトがあるかなどの評価はそれほど難しくない」と指摘する。TACの設定までは科学的なアプローチがとられているが、漁獲枠の配分になると「漁業者への配慮」などに引きずられ、情緒的で非科学的な判断がなされてしまうのが現状だ。

 さらに、水産学に詳しい学習院大学法学部の阪口功教授は「乱獲していた漁業者と選択的に資源管理していた漁業者が漁獲量で横並びに比較されれば、『獲ったもん勝ち』の漁獲枠が設定されてしまい、資源管理に取り組むインセンティブがなくなる。行政ではない第三者が漁獲枠の下案を決め、透明性と公平性を担保した形で漁獲枠の配分が議論されるべきだ」と話す。

 各管理区分に分配された漁獲枠をいかに漁業者に割り振るかという点でも課題は残る。都道府県知事許可漁業は各知事の管理のもと漁獲枠を配分する。しかし、阪口教授は「都道府県には十分な資源管理ができる専門人材や予算が不足しているが、国はガイドラインだけを示し、都道府県に丸投げしているような状態だ」と話す。

 実際に地方自治体も対応に不安を募らせる。ある自治体の職員は「沿岸に生息する魚は都道府県による資源評価や漁獲枠配分が必要だ。TAC魚種が拡大していく中で、このままでは人手も予算も限界に達してしまう」と嘆く。

 IQの実効性にも疑問符がつく。同制度は各漁業者の漁獲枠の遵守が成否を分ける。不正を取り締まる〝目〟も必要だろう。阪口教授は「海の上での不正を防ぐため、諸外国では漁船への監視員の搭乗による検査が常識だが、日本では導入されていない」と指摘する。前出の泉澤氏も「監視員、リアルタイムカメラ、罰則規定の3点セットが不可欠だ」と話す。

 これらを日本で導入することは困難なのであろうか? 水産庁資源管理部管理調整課の藤原孝浩課長補佐は「欧米諸国は性悪説で漁業者を管理するが、日本では漁業者の自主的な取り組みを信頼するやり方がいいのではないか。監視員を配置するにも人手が足りず、監視カメラの設置にはコストがかかり、すぐに導入というのは難しい」と話す。

 一方、阪口教授は「監視員であれば公務員である必要はなく、民間委託でもよい。水産予算は漁獲能力を拡大させる補助金ではなく、本当に必要なところに投じなければいけない」と指摘する。

 水産庁が昨年12月に発表した22年度の「水産予算概算要求」によると、22年度の当初予算と21年度の補正予算は合計3201億円。そのうち、「資源調査・評価の充実等」は108億円にとどまるが、漁業収入安定対策事業には794億円の予算がついている。

 「漁業収入安定対策事業」とは、計画的に資源管理などに取り組む漁業者を対象に、積立方式の「積立ぷらす」と保険方式の「漁業共済」を組み合わせ、漁獲変動などに伴う減収を補填するものだ。

 生態系総合研究所の小松正之代表理事は「資源状態が悪い魚を獲り、それによる赤字に損失補填の補助金を出していては、漁業者の漁獲能力が削減されず、資源と経営の悪化につながる。これはWTO(世界貿易機関)で定義する非持続的な補助金に該当し、廃止することが水産資源の改善にもプラスだ」と話す。阪口教授も「『補助金は減船に使うべき』と話すと反論されるが、資源量が回復すれば加工や流通に流れる魚も増え、そちらの仕事は必然的に増える。水産業を垂直的に見て資源管理の効果を考えるべきだ」と語る。

 水産資源が回復するまでには数年単位の時間を要する。その間の補償は必要だが、補助金の使途を限定するなど、なによりも将来に向けた投資を促す政策が不可欠だ。

漁業者なくして日本漁業は成り立たないが…… (WEDGE)

 「〝手術〟すれば経営を立て直せるのに、〝延命治療〟でそのインセンティブをなくしているのではないか」

 補助金制度のあり方にこう疑問を呈するのは網走合同定置漁業の元角文雄代表理事だ。173人の漁業者で構成されるこの経営体は、もともと網走漁協の一つの部会だった。1990年代にオホーツク海で資源状況が悪化する中、定置網漁業者の間で「このままでは共倒れする」との危機意識を共有。94年に六つの企業体を集約し、一つの経営体として操業するようになった。

 その効果は絶大だ。各漁業者が個別に調達していた資材を一括発注することでコストを削減、さらに、漁の体制を効率化することで、11隻あった船を5隻まで減船し、経費を4割削減できたという。さまざまな試行錯誤を重ねながら経営を改善する中で、21年度の利益率は70%に達し、一人あたりの平均年収はなんと約2000万円だという。

 元角氏は「収益性や将来性に惹かれ、大学卒の優秀な若い人材が網走に集まるようになった。頭を使って経営すれば補助金に頼らずとも立て直すことができるはずだ」と話す。全国的にも珍しいケースだろうが、漁業者自らの創意工夫で経営改善した好事例である。

「海の見える化」に
全力を注ぐべきだ

 複雑に絡みあうさまざまな課題が水産改革の行く手を阻む。ボトルネックとなるのは正しい政策の立案・実行・検証に欠かせない「データ不足」だ。

 元水産庁次長で現在は水産業の各セクターへのアドバイスを行うよろず水産相談室の宮原正典代表は「日本の漁業はデータもそれを分析・評価する科学者も圧倒的に不足している。水産庁に限らず関係の研究機関の総力を集中すべきだ。不漁に対する対症療法的な補助金に終始せず、長期的に現在の資源の危機にどう対処すべきか、本質的に重要なデータの収集や検討に予算や人的資源をもっと配分すべきである。漁業者の懸念に応える説得力のあるデータや対策を提供できないと、漁業者と資源の回復に取り組むことはできない。『海の見える化』に全力を注がなければいけない」と指摘する。

 資源管理や評価にも適切な予算を投じ、人材の確保や育成を加速させていくべきではないか? 前出の水産庁藤原課長補佐は「北海道での赤潮や軽石による被害への対応など、本来使いたいところに予算が使えていないという現状は確かにある。予算のパイが増えればいいのだが……」と嘆く。

 宮原氏は「海洋環境は目まぐるしく変化しており、資源管理に古いデータで取り組んでも水産資源は回復しないかもしれない。日本の海が危機的な状況にあることを自覚し、国を挙げて対処していかなければ間に合わない」と警鐘を鳴らす。

 大きく舵を切った水産改革も足元の動きは鈍いといっても過言ではない。日本の漁業を本気で復活させるには大改革が必要だがいつまで錨を下ろし続けたままでいるのか──。荒波に立ち向かう覚悟が日本の漁業の浮沈を左右する。不徹底な改革は許されない。

出典:Wedge 2022年3月号

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