見出し画像

戦後から続く日本人の戦争観 変えるときは今しかない|【WEDGE OPINION】

ロシアの暴挙に対し、ウクライナ人は自由や独立という「価値」を守るため命を賭して戦っている。日本人は戦争を「自分事」と捉え、守るべき「価値」を明確にして本気で備えるときだ。

文・吉富 望(Nozomu Yoshitomi)
日本大学危機管理学部 教授
1959年生まれ。防衛大学校卒業後、陸上自衛隊に入隊。陸上幕僚監部、防衛省情報本部、内閣官房内閣情報調査室、防衛大学校教授などを経て2015年退官。拓殖大学大学院国際協力学研究科修士課程修了、博士後期課程(安全保障専攻)単位取得退学。主著に『防災をめぐる国際協力のあり方』(共著・ミネルヴァ書房)。

 第二次世界大戦以降、多くの日本人にとって戦争は「他人事」であった。

 戦争の放棄を謳った憲法の下、戦争は反対さえすれば事足りるものと考える国民も多く、戦争を「自分事」として捉えて備える意識は低かったと言える。

 しかし、ウクライナ戦争はこの日本人の戦争観に影響を与えている。今年3月19、20両日に産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が実施した世論調査によれば、ロシアのウクライナ侵攻が中国による台湾や尖閣諸島での侵攻につながる可能性について「非常に懸念している」「ある程度懸念している」との回答は84.2%にも上った。

 中国による台湾への軍事的な威嚇や尖閣諸島における領海侵入を知る日本人にとって、ロシアと同じ専制的な軍事大国である中国が、ロシアの侵略行為を是認するかのような姿勢を示していることは非常に不気味であり、こうした懸念を強めるのは当然のことである。

 そして、この懸念の背景には、中国による台湾や尖閣諸島への侵攻が日本への大規模な攻撃に発展するとの危機感がある。つまり、ウクライナ戦争が触媒となって中国への懸念が沸騰し、戦争を「自分事」と捉えようという化学変化が日本人の中で起こりつつあるということだ。

 本稿では、ウクライナ戦争を「自分事」として捉える際に日本人が心に留めるべき点を指摘する。

「最悪の事態」を想定し
備えない文化と決別せよ

 相手が自分と同じ判断基準を持っていると考え、それを根拠に相手の行動を予測する「ミラーイメージング」は多くの人が陥りがちな罠だ。加えて人間には正常性バイアスが備わっており、「まさか」の事態や「最悪の事態」を考えることが心理的に難しい。

 2月24日に始まったロシア軍によるウクライナ侵攻の規模と態様は、……

ここから先は

3,167字 / 2画像

¥ 300

いただいたサポートは、今後の取材費などに使わせていただきます。