世界的ベストセラー『ザ・ゴール』著者が見た日本の強み|【特集】諦めない経営が企業をもっと強くする[INTERVIEW 2]
日本独自の技術・組織・人を守れ
イノベーションは1人の天才だけでできるものではない──。「和を尊ぶ文化」という大きなアドバンテージを有する日本人に必要な考え方とは何か。
編集部(以下、──)ゴールドラット博士が1984年に米国で『THE GOAL』を発表してから2001年まで和訳を許可しなかった理由とは何か。
岸良 『THE GOAL』が米国で発表された当時は、突出した現場力を持つ製造業をはじめとして、日本企業が世界を席巻していた。ゴールドラット博士は、多くの日本人や日本企業とのコミュニケーションを通じて、彼が同書で紹介した「全体最適」を得るためのTOC(制約理論:編集部注・パフォーマンスを妨げている「制約」に集中して改善することで企業全体の業績向上をもたらすマネジメント理論)が、日本の文化と非常にマッチすると感じたという。
また、世界に比類なきカイゼン力を持つ日本の現場に「全体最適」の理論まで教えてしまえば、日本経済が他国の追随を許さなくなるほど強くなり、貿易の不均衡に拍車がかかることで世界経済が大混乱に陥るのではないか、という懸念を抱いていた。
彼が長らく『THE GOAL』の和訳を許可しなかったのは、日本のことが嫌いだったからではなく、むしろ当時の日本に対する最大級の〝敬意〟であり、世界における「全体最適」を考えた結果だった。
ゴールドラット博士は、生前最後の講演でTOCの生い立ちを語っている。もともと物理学者だった彼らしい考え方で、物事には必ず原因と結果が存在し、結果については論理で予測・実証することが可能だというものだ。そしてこれは物理学や化学などに限ったものでなく「人間関係」や「組織」の分析にも適用できると説いた。
当初は「正気ではない。人間の行動が予測できるはずがない」という批判もあったそうだ。だが、彼は「妻の新しいドレスに私の正直な感想を言ったら、どんな痛い目にあうか予測できる」とユダヤ人らしいジョークを飛ばして人間の行動も論理的に予測できないわけではないことを示しながら、「100%の予測は不可能だが、それは天気予報だって同じだ」という確固とした因果関係的思考と強い信念を貫いてこの理論を誕生させた。
日本人だけが
日本を悲観している?
──今の日本企業にはゴールドラット博士が評価した当時ほどの勢いはなく、悲観的な見方が強い。
岸良 私は、多くの巨大プラットフォーム企業を抱える米国や世界一の起業大国イスラエルなど、世界中を飛び回り多くの海外要人や企業経営者と話す。だが、その中で「日本企業は衰退している」「日本はイノベーションで大きく遅れている」という言葉を耳にしたことは一度もない。むしろ、「日本企業は頼みの綱」「日本企業から学びたい」という声を聞くことがほとんどだ。
事実、われわれの日常を支える海外ブランドのスマホなども日本の最先端技術が詰め込まれた部品や材料がなければ成り立たない。そうした最先端技術を持つ日本企業を自国に誘致しようと各国は必死であり、日本は「テクノロジー大国」として認知されているのが現実なのである。
「ソフト面では後塵を拝している」という見方もあるが、その代表的な産業であるゲームやアニメ、マンガなどのコンテンツ分野では、世界に自由な発想を与え続け、人気を博しているものも多い。逆に「クールなものは日本発信のものが多い」という認識の外国人は多く、日本に対する関心は高まっているとさえ感じる。
たしかに特定の分野の強みだけで日本全体を活気づけることは難しいかもしれない。だが、重要なことは、こうしたクリエイティブな分野で日本が世界から注目されているという事実だ。クリエイティビティーは時代の潮流を先読みし、新たな領域の開拓に不可欠だからである。そして、優れた才能を持つ人財がこうしたクリエイティブな分野に集まり、次々に素晴らしい作品を生んでいることを日本人としてもっと誇りに思ってもいいはずだ。
世界地図の東の端(極東)にあり、世界の陸地のたった0.28%しかない日本だが、日本企業のブランドは世界のどこに行っても見かけられる。それは海外に出かけたことがある方ならば誰しもご存じであろう。自動車や家電だけが日本ブランドの代名詞ではない。アパレルのユニクロ、コンビニのセブンイレブン、前述したゲームやアニメなど日本のブランドは世界中にあふれ、各国から羨望のまなざしを受けている。こうした現実をあえて見ようとしないのは理解に苦しむ。
日本企業の時価総額の順位など、細かな指標ごとに過去と比較をすれば数値が落ち込んだ部分もあるだろうが、少なくとも「海外における日本の評価」という点では、そうした悲観的すぎる見方は私の実感とは乖離がある。そこまで日本を悲観しているのは日本人だけなのではないか、とすら感じる。
誰しもが持つ「考える力」
それを妨げる障害とは?
日本人には、現実を直視し、それを論理的かつ正確に思考する力が必要だ。例えば、イノベーションを生むにもプロセスが存在する。日本人の多くは「アイデアを出すこと」が最も難しいことだと思っているが、イノベーション大国といわれるイスラエルでは、「アイデアをビジネスに変えること」や「そのビジネスでお金を稼ぐ」プロセスを考え抜くことに全力を尽くしている。
イノベーションとは既成概念に対する挑戦である。前例がなくて当たり前だ。最初から人々に称賛され、歓迎されるわけがない。だからこそ、こうしたプロセスをたどる中で、そのイノベーションに価値を持たせるための論理的な思考力が重要なのである。
世界で1000万人もいないユダヤ人が次々とイノベーションを起こす理由は、教育にあると広く言われている。その肝は論理的な思考力を子どもの頃から、家庭でも学校でも、日常的かつ徹底的に鍛えていることだ。
──日本人はそうした思考が苦手な面がある。打破する鍵はあるか。
岸良 本来、人間は考える力を持っている。しかし、日本の教育現場で教えられるのは「覚える」ことに偏りがちで「考える」教育が少ないことがその一因だと感じる。
打破する鍵は「科学者のように考える」ことだが、実践するのは簡単ではない。それは、科学者のように考えることを妨げる次の4つの障害があるからだとゴールドラット博士は指摘している。
障害① 物事は複雑だと考える
グローバル化が進み、さまざまなステークホルダーが絡む世の中で、ますます物事は複雑化していると考えてしまうことがブレークスルーとなる解決策を考える妨げになる。
科学者は一見複雑に見えるさまざまな事象の中に何らかのシンプルな法則があると考える。それがブレークスルーの源泉になるのである。
障害② 人のせいにする
人のせいにしたところで問題が解決しないことは明らかだ。これが問題解決への道を閉ざしてしまう。科学実験では予測と違う結果が出た時、どこかに「思い込み」があったのではないかと考える。科学者なら当たり前の考え方だ。人のせいにせず、「思い込み」のせいにすれば、誰も傷つくことなく、既成概念(思い込み)を打破し「問題解決」が一気に進むことになる。
障害③ 対立は仕方ないと考える
あちらを立てれば、こちらが立たずの対立があると、「妥協案」を考えてしまう。それが真の解決策を見つけ出す妨げになる。妥協とは、どちらか一方、または双方に我慢が必要で完全な解決策とは言えない。科学の世界では、対立する概念があれば、それを両立する方法を考える。それがブレークスルーの源泉となる。
「和」を重んじる日本人は、初めから対立を避ける傾向が強い。だが、それがブレークスルーとなる解決策を見出す機会を逸することになってしまう。対立を隠しても真の解決策にはならない。対立が解消された時に初めて真の「和」が生まれるのである。
障害④ 分かっていると考える
これは、学びが止まることを意味する。科学者はある学びを得たら、「それを土台に次に何ができるか」を考える。分かっていると思える状態は「次の飛躍のためのより強固な土台」なのだ。
日本文化には大きな
アドバンテージがある
晩年、ゴールドラット博士は「企業の成功にとって最も重要な要素は『人間関係』だと気付かせてくれたのは日本人だ」と語った。社員のモチベーションや社員同士のコラボレーション(つながり)こそが肝要だという日本に根付いた「和」の文化こそが、彼に感銘と新たな気付きを与えたのである。
イノベーションはもはや1人の天才だけでできるものではない。多くの人のモチベーションとコラボレーションが必要である。日本にその土壌があること自体が大きなアドバンテージであることは確かであり、学習能力の高さは日本人の秀でた能力の一つだ。「科学者のように考える」ことを実践し、因果関係を突き詰める思考力と論理力を磨く。
そうすれば日本企業は自然と世界をリードするような確たるイノベーション大国になると確信している。その確信は、日本企業の現場に接する度に高まるばかりである。
出典:Wedge 2022年10月号
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