君はアクセシビリティ対応を丸投げにしていないか

ちょっと前の話題になるが、Webアクセシビリティを考慮する際に「こういうのはやってはいけないよ」というポスターを英国内務省が発表して、それがポスターの出来が非常に良く分かりやすいと、日本のWeb界隈でも結構SNSとかを中心に盛り上がった。日本の有志の方が日本語に翻訳したバージョンも作成してくれていて、以下の記事で見ることが出来る。
もし知らなかったという人は是非以下の記事を見てみて欲しい。これからのWeb業界に関わっていくならば知っておいて損はない情報だ。

なお、SVGやPDFデータは英国内務省のGitHubリポジトリにアップされている。ポスターのライセンスはクリエイティブ・コモンズBY-NC-SAだそうだ。会社の壁にデカデカと貼り出しても良いかもしれない。


アクセシビリティについてはもう数年前からWeb界隈では騒がれていた話なので知らない人の方が珍しいかと思っていたんだが、ここ1、2年の間に関わったプロジェクトメンバーでもよく分かっていない連中が意外と多くて驚いた。理解が進んでいないだけならまだしも、「アクセシビリティってナニソレ美味しいの?」レベルのゴミも稀にいたりするから日本のWeb界隈もまだまだだなと感じる。

訴訟大国アメリカでは某アーティストのサイトのWebアクセシビリティ対応が不十分で一部のファンが不利益を被ったとかで裁判沙汰にもなっていた。ヤフーニュースなんかでも取り上げられていたが、案の定ヤフコメには「イチャモンだ」「訴えたもん勝ちだ」とか安定の底辺コメントが溢れていた。ヤフコメはマジでゴミしかいないな。

裁判沙汰というのは流石にレアケースかもしれないが、それだけWebアクセシビリティは国際的にも重視される時代になっている。これはWebが既にインフラとしての地位を確立したからだと思う。例えばだけど、何らかの障害がある人が水道やガスを使えない状況だったらどうだろう?それは早いところ解消してあげるべきだと思わないだろうか。
90年代後半くらいだとWebは「世界とつながる」を謳い文句にしたエロ画像収集ツールに過ぎなかったかもしれないが、今はそうじゃない。ネットバンキングが使えなくなれば多くの会社が給与振込もできなかったりする時代だ。


悲しいことに、Webアクセシビリティは大多数の「健常者」とされる人にはピンとこない話だったりする。綺麗に色分けされたサイトデザインや、大胆でカッコいい配置でグリグリ動くテキストとか、それは健常者からすれば「カッコいいサイト」で終わる。でも色覚障害者からすると色分けだけで情報をグルーピングされてもわからないし、大胆に動かすためにバラバラにされた文字をスクリーンリーダー使用者はちゃんと情報として受け取れないかもしれない。


例えばだが、以下のテキストをどう思うか。

12/31

「12月31日」と理解出来る人は多分視覚障害を持っていない。使用するスクリーンリーダーにもよるだろうが、もしあなたが目が見えなくて「31分の12」と読み上げられてしまったらどうだろう?
もし仮に視覚障害者でなくても、海外の方だとどうだろう?例えばアメリカでは「December 31st」とか「31/12/2021」だったりして、12/31だと理解できない可能性もある。国内向けサイトなら大丈夫かもしれないが、もし多言語対応して海外展開しているサイトだとか、国内向けでも海外からの移住者がターゲットに含まれるサービスだったら、この時点で既に出遅れていることになる。

この場合、ブランディングの都合などでデザイン表現を優先するならば、マークアップでスクリーンリーダー用テキストを入れるなどして対応が必要になる。有能でよっぽど気が利くエンジニアなら、こういう箇所を理解して予め入れてくれることもあるだろうが、基本的には事前に仕様として伝える必要がある。


意外にもこういうことを考えていない人は結構いたりする。頭のどこかで考えてはいても、きっと誰かがやってくれるなんて思っていたりする。
上記のポスターを見れば分かると思うが、テキストの量や言葉選びも実はアクセシビリティ対応の中に入っている。それはつまり、デザイナーやエンジニアといった制作サイドの連中だけではなく、運用サイドの連中もWebアクセシビリティ対応の一端を担っているということでもある。もっと言うと、最初の企画やUX設計段階で既に始まっている。だから人任せにするなんてのはあり得ないのだ。


ちょっと前に「高輪ゲートウェイ駅」の看板が明朝だというので、一部デザイン界隈の連中からネット上でツッコミが入ったことがある。それに対して「読めるから良いじゃん」という、思わず頭をサッカーボールの様に蹴飛ばして差し上げたくなるようなバカ共が湧いたけど、実は大部分の人はその程度の認識であることが多い。
正確には「明朝だからだめ」なんじゃなく、明朝は一部の障害を持つ人にとって見づらくなる可能性があるので、駅の看板のような公共性の高い場所では比較的可読性が高いゴシック体にするか、ユニバーサルデザイン対応の明朝(モリサワのBIZ UD明朝とか)を使うべきじゃないかという話だ。

一応、JR東日本は「可読性チェックはしている」と言っていたが、同駅が今後海外から来訪した方を迎える駅として気合を入れて開業したという背景を考えると、せめてUD対応の明朝にするとかであるべきだったんじゃないかと思う。


ちょっとゲスなことを言うが、アクセシビリティ対応しているというのは価値になる。少なくともアクセシビリティ対応における過渡期とも言える現在は。だからその辺の詰めが甘いというのは、はっきり言って自分たち自身で価値を下げていることになる。


アクセシビリティに対応するということは、決して他人事ではない。丸投げにしないで少しでも知識を得たり配慮することは、回り回ってあなた自身の価値になる。だからこそ是非少しでも気にしてみて欲しい。
そうすると、設計もデザインもマークアップも少しずつ変化してくるはずだ。

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