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#49 対価を求めたい本当の理由

ツイッターを見ているとわりと定期的に流れてくる誰かのつぶやき。

「タダでやってとか、ありえない!」

絵を描くひとやネイルをするひと、美容師さん、フォトグラファー・・などなど、特に無形のサービスを生業としているひとは、無料でお願いされたり値切られることがわりと日常的にありそうです。

いまのところ、私が誰かから「ストレッチちょっと教えて」とタダで依頼された経験はありません。でも、無形サービス事業なので、こういうツイートをみるとやはり他人事ではないのでいろいろ思うことがあります。


対価を求める理由は、「生活の基盤」「それまでに費やしてきた時間やお金を回収する」「市場価格をむやみに乱さない(価値を下げない)」などいろいろあります。

どれも全うで、そのとおりです。

そして、自分だったらどうだろうかとちょっと考えてみました。それ以外には理由はないのかなと。


最初に思ったのは「完全なるボランティアはイヤだな」ということ。
何かしら対価は欲しい。
それは、仮にお金じゃなくて違うものだったとしても、私が提供することに相応しいものであればOK。

対価を介在させることで相手にも自分にも制約が生まれ、責任が生じます。

責任が生じることで、自分が相手にできることを真摯に考えられる。
制約があることで、その中で最大限のことを提供するためのアイデアが生まれる。

そんなふうに思いました。

けど、ちょっとこれは気取った考えというか、そのとおりだけど、なんか表面的な理由です。


私にとって、相手に対価を求めたい本当の理由は
「自分の強欲さや嫌な部分を見たくない」というほうが根底にあると思いました。

相手から何もないこちらからの一方的なgiveは、相手に対して「これだけやってあげた」とか「私はこんなにいろいろしてあげたのに」という思いを少なからず抱く可能性が高い。

そして、自分でも驚くような傲慢さや、相手を見下すようなイヤな気持ちを感じるのはとても怖いです。
「あぁ、自分はこんなにイヤな人間なのか」と自己嫌悪になりそう。


ちょっと話がズレますが、私は「自分のことは自分も他人も分からない」と思っています。

以前は、自分のことは自分が一番分かっていると思っていたけど、そうでもないんですよね。今まで、「なんでこんなことしてしまったのだろう」とか「なんでこういうふうな気持ちになるのだろう」とか、自分でも想像できなかったことを発言したり、行動したりというのが何度かあります。

これは、悪い意味だけではなく、もちろん良い部分もあります。それまでの自分からは想像できなかった能力に気づくことができたり、それを活かした行動をできたり。

いずれにしても、自分の全てはコントロールできないと思っています。

それだけに、ひとに対する自分の気持ちや接し方にダークな部分を見たくない。だから、何かを依頼されたら何かしらの対価を介在させたい、というのが一番正直な気持ちです。ひとことで言うと、自己保身。

裏を返すと、自分が相手に対して傲慢さを抱かない程度の内容、大した負担にならないことが想像できる内容なら、タダでやることは構わない。
相手との信頼関係やそれまでの関係性、たとえば「あの人には借りがある」といったようなことがあれば大丈夫かも。ごく、限られたケースですが。

それでも、自分の気持ちがおかしなことにならないかは自信がないかもなぁ。むずかしいです、自分のコントロールは。



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