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【特別公開】幸野健一×北原次郎×菅原和紀×佐々木洋文/新時代サッカー育成対談「北海道が『育成大国』になるために」

■登壇者
・幸野健一|プレミアリーグU-11実行委員長/FC市川GUNNERS代表/サッカーコンサルタント
・北原次郎|プレミアリーグU-11北海道実行委員長/北海道コンサドーレ札幌アカデミーダイレクター
・菅原和紀|Faminas(ファミナス)監督
・佐々木洋文|トロンコ旭川FC 代表

・ファシリテーター:
北健一郎|サッカーライター/ホワイトボードスポーツ編集長

環境ではなく指導者の携わりで才能豊かな選手が出てくる

──では、幸野さんから皆さんにご挨拶をお願いします。

幸野 私は千葉県でFC市川ガナーズというクラブの代表とサッカー・コンサルタントとしてサッカーの課題解決のために全国でいろいろな活動をしています。その一環として「リーグ戦文化を作っていこう」とプレミアリーグU-11という小学5年生年代のリーグ戦を組織しています。プレミアリーグは5年前から作り上げていって一昨年から北海道でもスタートし、今では全国で33の都道府県がやるようになっています。今日の参加者の皆さんもプレミアリーグに参加していただいている皆さんに集まっていただいて、北海道でさらに育成というものが実りあるものにして世界に通じるような選手が北海道から出ていくようなアイデアを皆さんとここで話し合いながら皆さんのヒントになることがお伝えできればいいなと思っているので今日はよろしくお願いします。

──対談相手のゲストとしてプレミアリーグU-11の北海道の委員長で本業は北海道コンサドーレ札幌のアカデミーダイレクターを務めている北原次郎さんに来ていただいています。北原さん、よろしくお願いします。

北原 よろしくお願いします! 北海道コンサドーレ札幌でアカデミーダイレクターをしている北原と申します。今日は幸野さんに非常に貴重な機会を与えていただきましてありがとうございます。アカデミーダイレクターということで普段はコンサドーレにある4つの拠点を中心としたアカデミーの統括をやっております。プレミアリーグU-11を2年前から北海道でやらせてもらっていますけど、まだまだ他の地域に比べるといろいろな理念を含めてしっかりとできていないところがたくさんあるので、今日はそういうところを含めて勉強する機会にしてプレミアリーグU-11をしっかりと運営できればいいなと思っています。

──北海道コンサドーレ札幌は北海道の子どもたちにとって間違いなく目標となる存在で、そのチームのアカデミーダイレクターという立場の北原さんからいろいろお話を聞けたらと思います。そして今回は他にも、プレミアリーグU-11に参加しているチームの中からゲストの方に来ていただいています。まずはトロンコ旭川FC代表の佐々木洋文さんです。よろしくお願いします。

佐々木 よろしくお願いします。トロンコ旭川FC U-12の代表と監督をしている佐々木洋文です。今日はこのような貴重な対談にゲストという形で参加させていただくことを本当に光栄に思います。

──トロンコ旭川FCはどんなチームか簡単に紹介していただけますか。

佐々木 トロンコ旭川FCは2年前にクラブチームとして設立しました。基本的には旭川から世界を目指す選手を育成するというコンセプトに、勝利至上主義からの脱却ということを大きく言わせていただいてチーム運営をしています。

──佐々木さんは素晴らしいフットボールキャリアをお持ちだと思いますがどんなキャリアを歩んできたかというのもお話ししていただきたいです。

佐々木 Fリーグのエスポラーダ北海道で2年ほど選手をしていました。その前はDC旭川フットサルクラブというチームで2回全国優勝をしています。フットサルという競技ではありますが「旭川という田舎町からでも全国優勝できる!」と体現したと思っているので、そのときの経験を今の子どもたちにも何かしら落とし込めるところはあるかなと思います。

──ありがとうございます。そしてもう一人のゲストは、Faminas(ファミナス)代表の菅原和紀さんです。よろしくお願いします。

菅原 元フットサル日本代表の菅原和紀です。よろしくお願いします。

──佐々木洋文さんとはもう盟友ですよね。

菅原 そうですね。それこそ高校までずっと別のチームだったので学生時代はライバルでしたけど、社会人になってフットサルでdivertido S.S.Pというチームを2人で立ち上げてからはDC旭川、エスポラーダとプレーして、辞めるタイミングも同じでずっと一緒です。僕ら自身もそう思っていますが周りからも「旭川の名パートナー」とずっと言ってもらっている関係性ではあります。

──今はトロンコ旭川FCとファミナスでそれぞれ監督をされていますがファミナスはどういうチームですか?

菅原 ファミナスはトロンコよりも少し早く設立されて、今年でもうすぐ4年目が終わります。もともと僕はずっとスクール(のコーチ)をしていたのですが、そのスクール制をチーム化していこうかというときに旭川実業高校の恩師である富居(徹雄)監督にも声をかけてもらって実業のグラウンドを使わせてもらいながら旭川道北地方の育成メソッドをきちんと構築していけるようなチームを目指して活動しています。

広い、遠い、寒い……北海道のリアルな環境とは?

──今回はこの4人と北海道のフットボール育成をテーマに皆さんと語り合いたいと思っています。まず北原さんは北海道の育成環境についてどう感じていますか?

北原 北海道自体が非常に広くて、広域性が高い難しさと本州に比べて遠隔地にあるので必ず海を渡らなくてはいけないという2つの難しさがある。プラス降雪期があるので外でサッカーできない時間、時期をどうするかという問題もあります。そういう中でも特色ある選手が輩出されてきている歴史がありますし非常にいいサッカー選手が出てくる、可能性のある土地と思っています。

──幸野さんは北海道の育成環境についてはどのように見ていますか?

幸野 北海道には何度も行ったことがありますが、雪の降る時期に行ったことはないです。コンサドーレの事務所で北原さんと話したときに、北原さんは「九州の5県を合わせても北海道の方がはるかにデカイですよ」と言われていたんです。それで改めて地図を見たら北海道って九州の3倍くらいデカいんですよね(笑)。それなのに北海道を一つの単位として扱っていること自体が無理なんじゃないかと。そういう意味で九州が5県でやっているものを北海道はまとめてやっているわけだから地域性は大変だなと。パリから3つくらいの国をまたがるくらいの広さがあるのでその辺りは考慮してあげなきゃと思いますね。

「大きさというものは本当に大変なものなんだな」と思うのと、1年のうちの4カ月は雪に閉ざされてしまっている。僕は東京に住んでますけどまだ今年に入って一度も雪を見たことがない。僕らにとってはそれが当たり前の生活をしている中、僕らにはわからない苦労がたくさんあるだろうけど一時期コンサドーレ札幌は育成組織からトップへ選手がたくさん上がっていた。北海道は選手を輩出しているイメージがありましたけどその裏には大変なことを克服しているんだなと。

──僕も先ほど言ったように旭川市出身で菅原さんと佐々木さんは同級生なんです。もう一人、フットサル・インドネシア代表監督を務めている高橋健介さんも超有名でした。サッカーでプロになれなかった意外さはありますが菅原さんと佐々木さんは選手として旭川でプレーしていたときのことを振り返っていかがですか?

菅原 それこそ、僕は中学生のときに中体連の全国大会に行かせてもらっているんですよ。それで少なからず全国のレベルを知った上で旭川実業高校サッカー部に入りました。実業高校でも3年生のときに選手権に高校史上初めて全国に出場していますが3年生になる前から遠征で本州のチームと対戦させてもらっていて、ある程度自分の力や立ち位置を分かっている部分はあった。もちろん小学生くらいのときは「Jリーガーになりたい」、「プロサッカー選手になりたい」という夢を抱いていましたけど、現実のレベルを高校くらいには知っていたのでそのときにはプロを目指すためにサッカーをしている意識は僕の中にあまりありませんでした。「ただただ仲間とサッカーをするのが楽しかった」とか「北海道大会で勝てたらいいな」くらいのあまり高いところを目指していなかったというのが正直な気持ちでした。

実は選手権の北海道大会が終わったときにコンサから「練習に来てみないか」と声がかかったんです。岡田(武史)監督やエメルソンがいた時期でしたけどそのときには進路を決めるくらいの時期でしたが結果としては僕は旭川の教育大学へ進学しました。実業の監督からは「性格的にも指導者の方が向いてるんじゃないか」ということで教員の道を勧められていた中でいきなりコンサの練習に参加できることになって、言ってみればビビってしまった。「いやいや、そんないいです」という感じで結局練習参加もしなかったんです。

──行かなかったんですか?

菅原 行かなかったですね。チキン野郎なので(笑)。でも今振り返ってみれば「行くだけ行っておけばよかったかな」とかは思います。あとは契約の話も短年契約も複数年にはならなかったみたいで、うちの監督からも「1年見てすぐに切られたらこの先どうするんだ?」という話もされていろいろなこと考えて「練習にも行かずに教育大の面接を受けます」という流れでした。それがあったからこそフットサルに出会えたという考え方なので、これはこれで僕のフットボール人生なのかなと思います。

──佐々木さんはどうですか?

佐々木 僕はそんな華々しい感じでもなかったし、全国大会というものを経験したのはフットサルを始めてから。キタケン(ファシリテーターの北健一郎)が言う「こういう選手がプロになるんだ」のレベルには到底満たしていなかったと思います。やはり地域柄「プロサッカー選手になる」というものが身近にないというところもそこを夢見ない、目標にしないというところにはあるんじゃないかとは思います。だからこそそういう地域から脱却してもっともっと身近に出てくるような環境にしたいなという思いで、自分の目指したかった高みを子どもたちに見せてあげたいなという思いでやっています。

──佐々木さんの現役時代はやはり情報はありませんでしたか?

佐々木 当時は今ほど入手できなかったと思います。海外のサッカーに触れる機会もそんなに発達していなかったと思う。Jリーグができて小学生のときに、外国人選手のプレーに感動して観ていたので。

──気持ちはわかります。「Jリーガーになりたい」というのは「パイロットになりたい」とかそういう感覚ですよね。

佐々木 まさにそういう感じでした。なので目標としてどう歩むか、フットボールと向き合っていなかったのが当時の僕だったなと思います。

──なるほど。北原さんはコンサドーレでいろいろな地域を見ていると思います。その狙いやいろいろな地域を見ているからこそ感じる違いとかありますか?

北原 狙いとしては北海道にJリーグクラブが一つしかないため北海道の多くの方がコンサドーレを応援してくださっている。そのことはすごくアドバンテージだなと思っています。なので他のJリーグクラブと比べてたくさんの拠点を増やしていくということに対して喜んでくださる方が多い。なのでこのような活動を拡大しています。

2016年にコンサドーレ札幌は「北海道コンサドーレ札幌」という名前に変えてホームタウンを広域化した一環としてやっています。加えて、オホーツクや稚内といろいろなところで奈良(竜樹)選手のようなたくさんのいい選手がいて、その中でも大きい街ではなくて小さい町ですごく可能性もあって夢を持っているんだけど努力しても努力が実る環境がないということが大きくあると思う。その環境を少しでも整えたり改善していくことがクラブとしては求められていると思うのでこういう活動を今行っています。

──今シーズンからコンサドーレに復帰した小野伸二選手がもし静岡ではなく北海道で生まれていたらあそこまではなっていなかったのではないかと思います。自分に才能があってもそれに気づかなかったり、先ほど佐々木さんの言ったように周りにどれくらいのレベルがいるかわからないから天井効果がすごく低いところに設定されてしまう課題があるように感じます。

北原 ゲーム環境という意味ではやはり大きくあるかなと思っています。多分、小野伸二さんもすごく低い年代から切磋琢磨してライバルがいろいろなところにいる環境で清水や静岡という中でプレーしていたんじゃないかと。ただ、才能ある選手、可能性ある選手が大人がもっと適切に関わっていればおそらくその思いをより掻き立てることができると思うし、才能を自分で伸ばしていく力が高まっていくと思う。もしかしたら今、この環境でも大人が適切に関われば同じように才能豊かな選手が出てくるんじゃないかと。この環境で出ないのではなくて我々の携わりで出ていないと思います。

降雪地域のフットサルはサッカーにメリットか?

──ケンさんは千葉にいて関東にはジェフユナイテッド千葉もあればFC東京もある。こういう環境は子どもたちのレベルは上がりやすくなりますか?

幸野 世界中みんな普遍的にそうなわけですから。

──世界中がですか?

幸野 やはり成長するには強豪ライバルが必要なわけで、それが身近にいる環境というのは当然ながら成長スピードは早いと思う。それがないとさっき次郎くんが言ったようにハンデになる。だからといって日本中均一にはできないわけだからその与えられた環境の中でやるしかないです。その中で青森山田高校じゃないですけど、僕ら指導者が創意工夫しながらその差を埋めるために全国を回ったりしている。寒冷地で大変だと思いますけど選手が育たないわけではない。僕の目からすると寒冷地はフットサルをしていますし、それが今日のテーマにもなると思っていましたけど、フットサルは果たしてサッカーにおいてプラスになるのかどうか。逆になるのであれば、それがハンデではなくメリットになる可能性もある。

──サッカーができなくてフットサルをプレーすることがメリットになる。

幸野 サッカーができなくてフットサルをやらざるを得ないかもしれないですがそのフットサルがサッカーにおいてもプラスになるのであればそれはまた違う見方にもなると思う。元フットサル日本代表の菅原さんもいますがその辺りは皆さんどう捉えているかを聞きたいです。

佐々木 そこに関してはメリットになると信じてやっているというのが正直なところです。どうであれ、フットサルをやらざるを得ない環境をどうやってメリットに変えていくかが勝負だなと思ってやっている。不利をどう有利に持っていくかというところの戦いだなと思っています。フットサルとサッカーで何がメリット、デメリットかという部分の整理は今まだ整理中ではありますけど、いかに狭い中でフリーの時間を作るかというところの勝負がフットサルにおいてはかなり長けていると間違いなく思う。そこに関しては確実にメリットだなと思っています。

ただ逆にレンジでいうと限りなく狭い中でプレーするのがフットサルなので外に出たタイミングで一番ネックになってくるのはそこだなと感じています。そこをどういうふうに調整していくかというところでは、実はまだ僕の中で答えがないのでそこをカズとも話をしながらどうやってやっていくかというのが、この地域を育成大国に持っていくところにつながっていくと思っています。

菅原 ヒロがチームを始めて4年目で僕は2年目なので2年先輩になりますけど、僕も当初は自分の経歴を信じて「フットサルの戦術をそのままサッカーに」とか「ピヴォ当てを攻撃の最終レンジに入った時の崩しに使えるのか」とか「パラレラと言われるフットサル戦術が最後の最後にシュートを生み出す戦術になるのか」と、こだわりがありました。ですけど最近はフットサルをサッカーに繋げるものはトランジションの部分かなと思っています。冬になってフットサル大会が開催されて、攻守の切り替えのところがサッカーからフットサルに入るとぼやけているんです。ということはサッカーでもトランジションを言ってやっていても距離感の違いだとかコートの広さの部分でそこの意識ってなかなか根付いていないんだなとすごく感じています。

冬になったら嫌でも毎回フットサルのトレーニングになるので、そうなるとトランジションの部分が良くなってくるんですよね。トロンコは通年で週に1回やっていると思いますけど、夏にもフットサルを取り入れるメリットが初めてあるのかなと感じています。ファミナスは夏は基本サッカーなんですけど、やはり週に1回だけでもフットサルを取り入れて切り替えの部分の意識づけがぼやけないようにというので、もしかしたらフットサルって通年必要なのかなと感じています。

幸野 こんなに近い2人でも考え方が全然違うわけですね。僕は一度フットサルU-20代表監督をしていた鈴木隆二さんと議論したことがありますけど、やはりみんなそれぞれいろいろな考え方がある。彼は2対1の攻撃とかフットサルの戦術はサッカーで応用できる部分がたくさんあると言っていました。決してなくはもちろんないわけじゃないですか。だけども環境としてそれをやらざるを得ないのであればなんとかしてそれをプラスな方向にもっていくしかない。でも、フットサル的な技術の高い選手が出ている評価はあるんですか? 例えば「Jリーガーの中でも北海道出身の選手はフットサルをやってきただけあって足下の技術が高いよね」という評価は僕の中であまり聞かないので。

──確かに北海道出身のサッカー選手やコンサドーレの選手で足下に長けた選手はそんなにいないですよね。

北原 そうですね。ただ、今までで言ったら山瀬(功治)選手もそうですし宮澤(裕樹)選手もそうですし、コンサドーレ以外でも西大伍選手だったりテクニカルな選手は比較的輩出している方なんじゃないかなと思っています。

幸野 そのベースにフットサルがあったと考えていいですか?

北原 4種年代ではかなりフットサルをプレーしていることで足首でクッとボールの方向を変えたりするところなんかはフットサルによる影響ですごくいい方向にいっていると思います。

北海道の降雪期間のトレーニング事情は?

──コンサドーレのアカデミーは冬の雪が降っている期間、どうしているんですか?

北原 体育館も使えますし、人工芝のフットサル場を使わせてもらうこともあります。屋内施設が取れないときには雪中サッカーもやっています。

──雪中サッカーは遊びではないんですか?

北原 真剣にやりますけど、かなり埋もれたりするので足腰の強化の方がメインにはなります。キックという意味では屋内に入るとできないので雪中サッカーでキックをすること自体はメリットがあるかなと思います。

──皆さんは冬場の練習はどうされているんでしょうか。高校サッカー選手権の始まる前に外で練習ができない状況で大会に臨むのでかなり不利なんじゃないかと正直思いますが……。選手権を体験している菅原さんはどう思いますか?

菅原 実業は選手権が決まったときには12月の中旬から本州の方に入ってずっと遠征の中で練習、練習試合を繰り返してそのまま大晦日の本番に臨んで、一回戦負けでした(笑)。

──そのとき外での経験の少なさは感じましたか?

菅原 一応、長期的な春休み、夏休み、冬休みは本州の方へ遠征には連れて行ってもらっていました。行ったすぐはどうしても視野が狭かったりとハンデはあると思います。ですがやはり2、3日したらある程度は慣れてくると思うんです。ただ、さっき次郎さんからキックの話がありましたけど本州のチームと僕が違いを感じたのはキックの質が違いますね。ロングキックとキックの球質が北海道の選手より本州の選手の方がきれいなキックをするなと思っていました。

──佐々木さんは冬の練習はどうしていますか?

佐々木 うちは今、冬の練習は体育館でしかしてないです。ただやはり今年いろいろ考えさせられるものもあって、この冬場をどうメリットに変えるかという部分に関しては次郎さんおっしゃるように雪中サッカーというもので補わなければいけないなと思うところはあります。どうであれ視野からくる選択肢は絶対に変わってくるはずなので視野を伸ばしておかなければいけない。その感覚を保っておかなければいけないところは体育館だけではどうしても構築できない。そこに関してはこの先変えていかなけれないけないだろうなとは考えています。

体育館だけでやっている最大のデメリットは、レンジが違うという部分でキックの求められる質が変わってくること。ショートばかりではいけないですよね。ロングが上手くならなければいけない環境に置かれているからロングが蹴れるようになる、蹴りたくなる状況だと思うので。そこは補っていかないといけないと思っているので、冬場であっても遠くに蹴る感覚を確保するものは雪の中で足腰を鍛えながらやっていかないといけないんじゃないかと思っています。

幸野 やっぱり大変ですね。うちなんかではフットサルをプレーしている選手が来るとどうしてもヘッドダウンして逆サイドを見れなかったり視野が極端に狭い部分とどうしてもボールを足下に入れてしまう部分がある。それは慣れてくると修正できますけど根本的に違う2つの競技での修正は大変だなと僕も感じています。

北海道がクリアすべきハード面の課題とは?

──ケンさんがzoomの背景にされている壁紙は自前で持っているサッカーのフルピッチの人工芝ですよね。

幸野 そうです。千葉県の市川市にある北市川フットボールフィールドという私たちがPFI(プライベイト・ファイナンス・イニシアティブ)という手法で自前のグラウンドを作って、ここを僕らのホームグラウンドとして使用しています。ここにはクラブハウスもあってJクラブ並みの施設を持って僕らは活動しています。雪はもう2年くらい降ってないです(笑)。

──北海道の場合こういった素晴らしいグラウンドがあっても冬の間は雪で埋まってしまう。次郎さん、北海道でこのような環境を作るにはどうすれがいいのでしょうか。

北原 環境はかなり大変だなと思います。大きく分けると札幌、旭川を中心とした都市部とそれ以外のところで状況が違うかなと。やはり人工芝のグラウンドが非常に増えてきているので人工芝だと札幌では3月末くらいで使えますし旭川でも4月から使えるようなところはあります。ただ、それ以外の地方に行くと天然芝のグラウンドがたくさんあるんですけど雪溶けから考えたらまだクローズしているところが多い。なので5月くらいから使うことになって10月くらいにクローズしてしまって、かなり狭い期間でしか使えないです。コンサドーレのトップチームは下にヒーターを入れてもらって12月の降雪期でも使えるようにはしていますけど他の地域よりも(グラウンドを)作るときにお金がかかります。

幸野 ヨーロッパのスウェーデンやノルウェー、フィンランドへ冬の時期にサッカーの視察へ行ったことがありますけどみんな雪を固めて普通に雪の上でみんなサッカーやっていますからね。トップリーグのプロの試合でも普通に雪の上でやっていますからね。「すごいな」というか、めちゃめちゃ雪が降っている中で普通に試合をしているからすごく頼もしいなと思いますし多分日本ならそこまでやらないと思います。

北原 雪はどのくらい降っているんですか?

幸野 完全に下が固まっている状態です。それと観客も大変だなと思うんですよ。でも観客もいっぱいいるんですよ。だから北海道の人もそうしろというわけじゃないですけど、考え方とか固定観念縛られている部分が何かあるのかなと思ったし、世界の寒冷地に行って思うことはいろいろあります。南極の氷の上でみんなサッカーやっていますからね(笑)。ああいうのを見ると「サッカーってこんなところでもやってるのか」という場所でもどこでもできるんだなと思います。

僕が聞いたのは、日本が一番人口がいるのに世界的に雪が深い。青森市とか長岡市は30万人とか10万人いる都市なのに雪が3mとか4mも積もるので世界的にも珍しいらしいです。そういう意味では雪のハンデはサッカーにおいては当然ある。一時期Jリーグ秋冬制になる案が浮上しましたけど「北海道を含めた降雪地帯を見放すのか」と議論になったじゃないですか。降雪地を救済することはできないですし「そのときだけアウェイで南に出ていろ」というのもめちゃくちゃハンデになるので結局(その案は)流れてしまったわけじゃないですか。

──そうですね。ちなみに佐々木さんは幸野さんのことはイベントの前から知っていたんですよね。

佐々木 僕はパッションを大事にしているんです。情熱的にコーチングするほうなので、幸野さんが「パッション」という書籍を出していたので読んでいました。まさかこんな出会い方ができるとは思っていませんでした。

幸野 ありがとうございます(笑)。

佐々木 すごく面白いです。「こういう考えが日本全国に広まったらどんなにみんな幸せだろうか」と思って読んでいました。

──それで刺さったのが「育成年代においてもハードを使わなければダメだ」という話だそうで、ハードはコンサドーレと違ってファミナスさんとトロンコさんはない。ハードに対してはどんな考えですか?

佐々木 この本の中に「ソフトよりもハードに投資しろ」という章がありまして、僕としてはこの不利な土地でどうやって環境を整えていくかということも考えていかないといけないのは間違いないのですがそこに簡単に着手することができないという中でソフトに対しての質をずっと求めてやっきたので、こういったものを読んで限りなくハードが重要だというところに共感しています。今現在僕らが常時使わせていただいているのは高校のクレイ(土)のコートをお借りしてトレーニングさせてもらっています。月3回は旭川市の人工芝の施設をタイ味イングが良ければ使えるのでそこを使わせてもらうというやり方でトレーニングしていて、1週間に1回は体育館でフットサルをプレーしているという練習環境です。なので「毎日人工芝で練習できたらどれだけ幸せなんだろう」というのは指導者として選手の気持ちを考えてもすごく思います。

──菅原さんのファミナスはどういう環境で活動していますか?

菅原 ファミナスは実業高校のめちゃくちゃきれいな人工芝のグラウンドで毎日練習させてもらっています。そういう面で旭川で恵まれているのはコンサドーレ東川とファミナスくらいですね。

──コンサドーレ東川もいい環境なんですか?

菅原 コンサドーレ東川も人工芝ですね。

北原 東川町の人工芝のグラウンドを使わさせていただいております。

──人工芝のグラウンドはそんなに希少なんですか?

菅原 希少です。

──では子どもたちは土のグラウンドでプレーしているんですね。

菅原 普通の少年団のチームは小学校の土グラウンドが普通です。あとはコンサドーレ東川以外の僕ら町クラブがどういった環境でやれるかというところ。ですが旭川の人工芝グラウンドは4種だけじゃなくいろいろなカテゴリーが使うので予約が埋まっていて使いたくても使えない状況なのであと1つ、2つあればいいなと思いますね。

──グラウンドを作ることに対しての課題はケンさんはどう思いますか?

幸野 本でその章を書いたときは北海道のことをイメージしていたわけではありませんでした(笑)。北海道の人たちまで同じようにグラウンドを作れと言うつもりはなく普遍的に書いたわけですが、僕らが本土で北市川フットボールフィールドのようなグラウンドを作っても(年間の)40%の時間も使えなかったらとてもペイできない。だから何か別の方法が必要だと思うし、そこをエンターテイメントに変える要素を北原さんがこのzoom中に僕へLINEしてきたのですが……。

──次郎さん、何を送ったんですか?

北原 ヨーロッパで大人のサッカーをやっているスタジアムの傍でお風呂に入っている写真ですね。

幸野 デンマークのホブロスタジアムで温泉に浸かりながらめちゃくちゃ雪が降っている中でサッカー観戦できるようになっているんです。ハンデをこのように変えてしまう発想はすごいなと思って。この中でも普通にトップリーグでは試合をしているんですよ。

──でも旭川の降雪量はこのレベルじゃないですよね。

北原 そうですね(笑)。

幸野 すみません(笑)。でもコンサドーレもスタジアムの横を全部温泉にしたらいいじゃないですか。

北原 そうですね。温泉の熱で雪を溶かせばいいですからね。

プレミアリーグU-11を北海道で開催するワケ

──いろいろとお話をしてきましたがプレミアリーグ北海道U-11についても話せればと思います。次郎さん、これは2年前から始まったんですよね?

北原 そうですね。去年は残念ながらコロナの影響でできませんでしたが。

──これはどういう基準でチームに参加の声をかけたんでしょうか。

北原 2019年のときに実際に動き出したのは4月を過ぎたくらいで、すごくバタバタしていたので我々のアカデミー組織を中心にコミュニケーションを取っている方たちにお声がけさせてもらいました。

──コンサドーレからは札幌、東川、釧路、室蘭といった各地域のチームと旭川のファミナスとトロンコ、室蘭のFC DATE。素朴な疑問ですがどうやって試合をしているんですか?

北原 本当に急だったのでこの年はコンサドーレ札幌のアカデミーのグラウンドに毎回来てもらってやっていました。全ての交通の整備は札幌に向けて整備されているので「集まりましょう」となったら札幌になることが多い。旭川と室蘭は2時間圏内ですけど、釧路が4時間かかるので朝から出てきてもらって2時間試合してもらってまた4時間かけて帰ってもらうというのは非常に心苦しいですね。

──実際に参加している佐々木さんと菅原さんはどうして参加しようと決めたんですか?

佐々木 僕らとしてはやはりより高いレベルのチームとリーグ戦を戦えるという機会としては非常にありがたい環境ですので、旭川から札幌までの交通の時間を考えたら全然参加させてもらえた方がありがたいなと思って参加しています。

幸野 実際に試合をやってみてどうでしたか?

菅原 ボコボコにされるのはコンサドーレ札幌だけですね。全然強いですけど旭川にいてボコボコにされる経験はないので、自分たちのレベルより高いレベルの相手と戦う環境を与えるのが指導者の仕事かなとすごく感じています。「今はこういう時期だから同じくらいの力とやろうか」とか「何もできないくらいやられるのも大事だな」と思ったら自分たちより格上とやらせてもらう。それが年上になってもダメなんですよね。フィジカルの差がどうしても逃げ道の理由になってしまうからやはり同年代で何もさせてもらえなかったり、何が違うのかと子どもたち本人が感じてくれることが成長につながるのかなと。自己解決の力につながるかなと思って参加させてもらいました。

──トロンコもファミナスも旭川ではかなり強い方なんですか?

菅原 自分たちで言うのもなんですけどコンサドーレ東川に続いてトロンコとファミナスが2強を争って「コンサを頑張って倒す」くらいの位置で頑張っています。

──なるほど。そういう面ではそれ以上のチームと戦うためにこうして外へ出ていく必要があると。

菅原 そうですね。そう思って出ていました。

佐々木 さっきカズが言ったように子どもたちが体感して経験して感じてより「やりたい」、「やらなきゃ」という思いになることの方が多い。僕らがどれだけ高い水準を求めていてもそこを必要としなければそこを求めないのでその経験の場というのは必ず必要になると思っています。これが今は北海道のリーグとしてやってもらっていますけどそれが全国の相手に対しても経験させてあげたい気持ちは間違いなくありますし、そこから得られるものはより成長を加速させると思っています。

──旭川の大会はトーナメントが多いなか、リーグ戦はどう思っていますか?

菅原 そんなことないよね?

佐々木 最近は全日本少年サッカーも年間を通してのリーグ戦を行っていますし、「試合数を増やそう」という考え方になってきているので、予選はリーグ戦、決勝はトーナメントですね。先ほども言われた1クール目と2クール目と2試合やることで戦い方が変わるとか1試合目を分析して2試合目、どう挑むかというところは指導者内ではやっていますけど、子どもたちに対してそこまで深く落とし込めていません。先ほど幸野さんがお話ししていたところは今後率先してやっていきたいですね。

──ケンさんも本の中で、2巡で行う重要性をかなり言われていますよね。

幸野 そうですね。なんで僕がリーグ戦を全国でどんどん推進しているかというと、トーナメント主体でやっている全日本少年サッカー大会とか全国高校サッカー選手権とかインターハイとか野球の甲子園とか、トーナメント主体で行っている国はヨーロッパや南米にはない。90%の試合はリーグ戦が基本なんです。なぜかと言うとリーグ戦というのは基本的に16チームブロックが多いですけど、そうするとホーム15試合、アウェイ15試合で30試合を戦うことによってホームとアウェイを繰り返すことで一度やった試合の反省点を修正して、次の試合をするというサイクルによって選手も指導者も学ぶ仕組みができているんです。だけど日本はトーナメントばかりやっているから次にいつ戦うのかもわからないような相手と試合をするのでそれを映像で分析して振り返っても意味がない。だからリアリティがなくなってしまう。選手たちがそういう思考にいかない。

ヨーロッパの選手たちはコーチに言われなくてもやられた相手に二度とやられたくないので当たり前に振り返る。僕自身もヨーロッパにずっといてその中で育ってきたので当たり前のようにその仕組みを導入しないとそもそも日本の育成のスタートに立てない。だから6年前に「日本サッカー協会が組織するリーグ戦化がなかなか進まないよね」とみんなが言ったときに「僕らがいいと思ったことをやればよくて、なんで日本サッカー協会に頼るのか」と僕は思っていたので「じゃあ俺らがやるよ」と言って日本サッカー協会に代わって僕らがリーグ戦を立ち上げました。それをどんどん広げていったら33都道府県とこんなに広がりました。

東北も今までは青森県と福島県の2つの県でしかできていませんでしたが4月から東北全6県でプレミアリーグをスタートできるようになりました。これは素晴らしいことですし、これで40都道府県くらいになっていると思うのであと1、2年で全国制覇できるんじゃないかと思っています。これだけ多くの人がリーグ戦の素晴らしさを体感して、3ピリオド制で全員が試合に出場できる仕組みを採用しているので試合に出られない子はいないので楽しみながら強くなることを実現したい。これが全国で当たり前のような形になればいいなと思っています。

──次郎さんはこのプレミアリーグの話が来たとき、どんなふうに感じましたか?

北原 当初話が来たときはまだこのプレミアリーグU-11の理念とかそれに伴うルールの背景を理解していなかったので初年度はしっかりできていなかったかなと思います。ですが「まずはやることが大事だ」と思ったのでお話があったときにすぐ「やらせてもらいます!」と返答しました。ただやはりグラウンドの問題があるので「とりあえず自分たちのグラウンドでとにかく今年はやってみよう」というのが正直なところ。でも実際にやってみてかなり重要なことだと感じました。

──菅原さんと佐々木さんも「是非参加したい」とのことでしたが今シーズンの予定はこれからですか?

北原 そうですね。是非やりたいと思っていました。ただ、去年は札幌と札幌以外の行き来がコロナの関係で規制されていたのでそういう意味ではすごく難しく、その辺りとの兼ね合いを考えながら2021年度はやりたいなと思っています。

登壇者プロフィール

● 幸野健一(こうの・けんいち)
プレミアリーグU-11実行委員長/FC市川GUNNERS代表/サッカーコンサルタント
1961年9月25日、東京都生まれ。
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中央大学卒。サッカー・コンサルタント。7歳よりサッカーを始め、17歳のときに単身イングランドへ渡りプレミアリーグのチームの下部組織等でプレー。 以後、指導者として日本のサッカーが世界に追いつくために、世界43カ国の育成機関やスタジアムを回り、世界中に多くのサッカー関係者の人脈をもつ。現役プレーヤーとしても、50年にわたり年間50試合、通算2500試合以上プレーし続けている。育成を中心にサッカーに関わる課題解決をはかるサッカーコンサルタントとしても活動し、2015年に日本最大の私設リーグ「プレミアリーグU-11」を創設。現在は33都道府県で開催し、400チーム、7000人の小学校5年生選手が年間を通し てプレー。自身は実行委員長として、日本中にリーグ戦文化が根付く活動をライフワークとしている。また、2013年に自前の人工芝フルピッチのサッカー場を持つFC市川GUNNERSを設立し、代表を務めている。

● 北原次郎(きたはら・じろう)
プレミアリーグU-11北海道地域委員兼北海道実行委員長/北海道コンサドーレ札幌のアカデミーダイレクター
1981年10月23日、北海道生まれ。
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筑波大学卒。大学卒業後の2004年に母校・筑波大学蹴球部のコーチとして指導キャリアをスタートし、2005年から2010年まで、ジュビロ磐田に籍を移し、スカウト兼コーチやテクニカルスタッフを担当。その後も、清水エスパルスコーチ、ジェフユナイテッド市原・千葉、コンサドーレ札幌コーチを経て、2015年にコンサドーレ旭川U-15監督、2016年から現職に。Jクラブのゲーム分析や、アカデミーでの指導、指導者たちの統括など様々な役職を経て、現在も育成年代に多角的な立場で携わっている。「個人の能力だけではなく、グループの中で力を発揮できるような育成」を軸に“どんな選手でも成長させること”を目指している。

● 菅原和紀(すがわら・かずのり)
元フットサル日本代表/Faminas監督
1982年7月14日、北海道生まれ。
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20歳の時にフットサルを始めると佐々木洋文と共に設立した「divertido S.S.P」でいきなり全国4位に輝き、2年後に設立した「DC旭川フットサルクラブ」では全国優勝を経験。全国大会で2年連続最優秀選手賞を獲得した。その後、2009年からエスポラーダ北海道でFリーグに舞台を移し、日本代表としても活躍。当時の日本代表監督からは「日本最高のレフティー」と称された。2010年の引退後に指導キャリアをスタート。地元・旭川でU12のクラブチーム「Faminas(ファミナス)」を立ち上げ、現在も監督を勤めている。

● 佐々木洋文(ささき・ひろふみ)
元エスポラーダ北海道/トロンコ旭川FC代表
1982年7月19日、北海道生まれ。
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「divertido S.S.P」で全国4位、2年後に設立した「DC旭川フットサルクラブ」では全国優勝を経験。2009年からエスポラーダ北海道の選手として、鳴り物入りでFリーグに参戦した。華麗なテクニックと甘いマスクで人気を集めた。2010年に引退後は古巣・DC旭川フットサルクラブで指導をしていたが、2016年には、現在の「トロンコ旭川FC」の原型となるアカデミーを、小学校時代の同級生でもある元フットサル日本代表・高橋健介と共にスタート。世界水準の育成理念を掲げるクラブの代表として活動している。


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