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楢﨑正剛とプーマ担当者の知られざるエピソード。“日本の守護神”のスパイクへのこだわりと、南アW杯のベンチで見せた生き様と

 三浦知良といえばプーマ、本田圭佑といえばミズノ、香川真司といえばアディダス、長友佑都といえばナイキ。日本を代表するトップ選手たちは、イコール、フットボールメーカーの象徴的存在でもある。

 海外でも、顕著な選手が何人もいる。

 メッシはアディダス、クリスティアーノ・ロナウドはナイキ。誰でも知っている有名な契約だろう。だから、“ネイマールといえばナイキ”だったところから、つい2カ月前の“プーマ移籍”は大きな話題を集めた。

 そんなプーマは、GKというポジションにおいて絶大な地位を築いている。世界最高のGKと呼ばれてきたジャンルイジ・ブッフォンや、現役最高選手とも評されるヤン・オブラク。日本では、楢﨑正剛を筆頭に、川島永嗣やシュミット・ダニエルといった現役日本代表、それに元日本代表・林卓人もプーマを愛用してきた。こうした選手は、文字通りメーカーのアイテムを“愛用”し、メーカーとの製品開発にも協力する。一方でメーカーも、契約選手のパフォーマンスを引き上げるために試作と開発を繰り返し、性能を追求し続ける。

 いわゆる「楢﨑正剛といえば」を逆にして、「プーマといえば」が成り立つような関係性。プーマに限ったことではないが、サッカー選手とメーカーの関係とは、単なる机上の契約にとどまらないのだ。

 では、実際に契約選手とメーカーはどのような関係を築いているのだろうか。

 今回、楢﨑を長年支え続けたプーマの担当者、プーマジャパン・スポーツマーケティング本部マネージャーの冨田大平氏に話を伺う機会を得た。そこで語られたのは、契約選手の存在意義、トップ選手のアイテムへのこだわり、そして、楢﨑との知られざるエピソード。楢﨑正剛を、“プーマ視点”で明らかにする。

ブッフォンと楢﨑に共通するのは「GKとしての影響力」

 元イタリア代表GKのジャンルイジ・ブッフォン(ユヴェントス)は、モデル並みの頭身を生かし、ジャージ姿でも絵になる男前だ。「PUMA」のトラックジャケットにデニムを合わせたカジュアルコーディネートがCMで流れると、洒落っ気ある世界中のサッカー男子は彼に見とれた。

 プレー中も彼の手元、足元にはプーマ製のギアが光る。技術面でGKのプレー概念を変えたとも言われるブッフォン。そのテクニカルな側面を系譜する形で、現在、世界で最も安定感のある守護神と言われるスロベニア代表GKヤン・オブラク(アトレティコ・マドリー)もまた、プーマのグローブ&スパイクと共闘している。トップレベルのGKとプーマ。この関係性は、日本でも成立している。

 日本代表の川島永嗣とシュミット・ダニエルが契約し、元日本代表の林卓人もプーマを愛用する。

「われわれにとって世界的にブッフォン選手が果たしたブランディングイメージはやはり大きいと思います。それと同時に、日本でこれだけのトップGKに愛用していただいているのは、楢﨑正剛さんの存在がすごく大きいと感じています」

 そう話すのは、プーマジャパン・スポーツマーケティング本部マネージャーの冨田大平氏。楢﨑と同じ、関西弁混じりの柔和な語り口が特徴的な人物だ。

 ブッフォンが世界的なマーケティングで果たしてきた貢献は、日本における楢﨑にも言い換えられる。きっと楢﨑本人にこんなことを伝えると笑いながら謙遜し否定するだろうが、ブッフォンと同じように日本のGK界に彼が与えてきた影響は計り知れない。

 楢﨑がプーマと正式に契約を交わしたのは、プロ3年目の1997年。出会いや当時の印象について、冨田氏は回想する。

「私が言うのもなんですが、当時は本当に田舎から出てきた人見知り小僧で(笑)、僕も人見知りなので最初はそんなにたくさんしゃべった記憶はないんです。ただ同じ関西出身ということもあり、自主トレやキャンプを重ねて仲良くなっていきました。当時私が所属していたのがプーマのスパイクなどを扱っていた日本の総代理店・コサリーベルマン社でした(2003年にプーマジャパンが設立され販売・生産が集約された)。そこではGK専門メーカーのウールシュポルト社の製品も扱っていて、一方で、90年代初期から中期はプーマ自体がまだそれほどGK用品に力を入れていない時期でもありました。普通であればGKにはウールシュポルト製品を使っていただく流れだったのですが、ちょうど楢﨑さんと契約をするときにプーマもGKに力を入れ始めたタイミングでした。新しいプーマの一面を打ち出す意味でも、『あなたの力をお借りしたいです』という形で楢﨑さんと契約を結ばせていただきました。それからは楢﨑さんの活躍や影響力の大きさとともに、我々もGKに向けたブランディングを形成していくことになりました」

思い出すと今でも涙が出てくる、南アフリカW杯での出来事

 20年を超える両者の関係。もちろん、この間には多くの出来事や感情を共有してきた。中でも忘れられないエピソードが、冨田氏にはあるという。

「2010年の南アフリカW杯に、私が契約選手のサポート役で行ったときの話です。当時の日本代表には契約選手が6人いまして、そのうち5人(中澤佑二、松井大輔、駒野友一、長谷部誠、川島永嗣)がピッチに立ちましたが、楢﨑さんだけが立てませんでした。契約選手の多くは同じモデルのスパイクを履いていたんですが、楢﨑さんの理想とするスパイクとは少し違いました。理想に近づけるよう調整をしましたが、結局最後まで理想には近づけることができず大会に突入しました」

 楢﨑が大会直前に川島にポジションを奪われたことは、広く知られている。そしてベンチに座ることになっても、腐ることなくチームメートを支え続けていたこともまた同様だ。選手たちにだけ、ではない。当地にいた冨田氏ら関係者にも、楢﨑はいつもと変わることなく、自然体で接していた。

「僕は普段は彼のことを正剛と呼んでいるんですけど、正剛は「(ポジションを奪われたこととスパイクのことは)関係ない」と言ってくれました。それどころか、『トミさん1人でしょ、話しましょうよ』と僕に気を遣ってくれました。誰が見たって悔しくて厳しい状況だったにもかかわらず、彼はそんなときでも人を見て、配慮し続ける人間なんです。僕はこの話をすると、今でも涙が出てくるんですが、でもこうした人の心を見つめることができるのは、GKというポジションを務める人間にとってものすごく大事なんだと、正剛を見ていていつも思います。チームメートを最後尾から見つめ、適切に声をかける。正剛だから(田中マルクス)闘莉王のように感情の激しい選手もコントロールできたのだと思います」

完成形に向けて突き詰めるのがGK。「その極みが正剛だった」

 そして冨田氏は、あらためて楢﨑のこだわりに耳を傾けていくことになる。

「彼のスパイクのこだわりは軽さや重さ以上に、横にステップする際に足ズレをするかしないか、という部分でした。『そこが気になるシューズは困る』と常に言っていました。まさに、ステップを細かくとりながらポジショニングを調整するプレースタイルと合致するこだわりです」

 南アフリカW杯が開催された2010年は、同時に楢﨑が所属した名古屋グランパスがリーグ初制覇を果たしたシーズンだった。楢﨑は、後のとあるインタビューで「優勝したときに履いていたスパイクは、僕の理想に一番近かった印象に残っているものです」と答えている。W杯の悔恨を経て、帰国後からJリーグで勝利を重ねていった名古屋と楢﨑。そしてそのシーズン、最高のスパイクという相棒を得た彼は、GK史上初めて、J1リーグMVPに輝いたのだった。

 冨田氏は、そんな楢﨑正剛をずっと間近で見つめてきた。

「あれだけ人見知りだった青年が、経験を重ねるごとにどんどん人として成長していきました。GKはどこの選手よりも淘汰されるポジションであり、だからこそより完成形に向けて突き詰めていく人たちでもあります。僕が見てきた中で、その突き詰めていく様の極みが、正剛でした」

 そして、こう続ける。

「だから引退した今、彼がGKという世界をさらに多くの人に知ってもらいたい、広げたいという考えで行動していることを応援したいです。われわれは現役時代、彼に多くのものをもたらしてもらいました。だからこそ今後はわれわれができることで、正剛を支えたいです」

 現在、楢﨑正剛氏は、自身のGKノウハウを明らかにした「楢﨑正剛オンライン講習会」の購入者が無料で参加できる「GKオンラインサロン」を主宰している。サロンの参加メンバーには、全国のGK指導者やサッカーファンに加え、現役日本代表のシュミット・ダニエル選手や、大宮アルディージャGKコーチ・松本拓也氏、元Jリーガーで日本体育大学・学友会サッカー部GKコーチ・高木義成氏など、多彩なメンバーが顔を揃え、「GKの世界や本質をもっと日本に広めたい」(楢﨑氏)という目的のもと、技術面からメンタル面まで、あらゆるテーマで活発な意見交換が行われている。

 11月26日(木)には、GKアイテムをテーマにした交流会を開催。今回は、ゲストスピーカーとして、現役時代から長年、楢﨑氏のプレーや活動を支えてきたプーマのスタッフ、冨田大平氏も登場予定だ。

 グローブやスパイクなど、GKならではのアイテムへの疑問・質問、悩みなどを、楢﨑氏やプーマのスタッフに直接聞ける貴重な機会。ぜひ、以下のページから限定募集中の参加を検討してもらいたい。

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