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現世界グルメ『ビーフシチュー』


 基本は、小麦粉とバターである。これが基礎。大事なのは、焦がさない事だ。
 ビーフシチュー。面倒な料理だ。まず、そのカテゴリ分けからして厄介だ。
 ビーフストロガノフ、ビーフシチュー、ハッシュドビーフ、ハヤシライスのルー。
 これらを明確に分けていくのは困難だ。困難極まりない。いや、そもそもカテゴライズに意味はないのだ。そんなものは分類学者にでも任せておけばいい。私は、美味ければそれでいいのだ。そうだろう?
 だが、分類って奴は厄介だ。
 「ラーメンを食うぞ」と意気込んでいたら、抜群に美味しいスープスパゲティが出てきた。
 確かに美味い。満足はした。これは正しいのか。私はラーメンが食いたかったのではないのか。そう。残念な事に、多少は不味くても、口も舌も胃袋も心も、ラーメンを欲していたのだ。
 無論、ラーメンを食いたいなんて思った事を後悔するほど美味けりゃ、話は別だ。口も心も胃袋も舌も、強制的にスープスパゲティに書き換えられるほど美味いなら、文句は出ない。
 しかし、そんな絶品に出会えるのは年に何回だ?
 だから、私は問う。何が食べたいのか。何を求めているのか。知っている味を求めているのか。新しい味を求めているのか。安心したいのか。革新を体験したいのか。
 ビーフシチュー。
 小麦粉とバターが基礎である。
 それが私の求めるビーフシチュー。
 絶対に焦がしてはいけない。
 小麦粉をバターで炒める。丁寧に丁寧に。繰り返すが、重要なのは焦がさないこと。何があっても焦がしてはいけない。重要なのはそこだ。いや、当たり前すぎて忘れそうになるが、ダマなんかもってのほかだ。
 小麦粉を丁寧に炒める。バターも、小麦粉も焦がしてはいけない。
 これがすべての基礎になる。よく、揚げ物をキツネ色なんて表現するが、ビーフシチューの基本はバターで小麦粉を揚げる。いや、炒めると言う方が正解だ。弱火でゆっくりと、絶対に焦がさないように炒める。ダマを作らず、小麦粉とバターがキツネ色に染まるまで、徹底的に丁寧に炒めるのだ。これが基本。気持ちはわかるが、まだニンニクなんか入れちゃいけない。焦げる原因だ。ニンニクを入れるのは最後。間違えるな。
 次は玉ねぎ。こいつは準主役だ。微塵切りにした玉ねぎは、小麦粉に次ぐ基礎材料となる。これもゆっくり炒める。おいおい、待てよ。小麦粉と一緒に炒めるんじゃない。バターも使うな。最低限のオリーブオイルで、玉ねぎから水分を出させて、その水分で油を飛ばさないようにする。わからないか? 小麦粉と玉ねぎじゃ時間の過ごし方が違う。別々に炒めるんだ。
 飴色になるまで? 違う。そうじゃない。飴色にする事が目的じゃない。目的は、玉ねぎを溶かすまで炒めること。そう。玉ねぎでジャムを作る事だ。
 徹底的に、丁寧に炒めて、形が溶けてなくなるまで炒める。その時にようやく飴色になってる事が大事なんだ。飴色にする事が目的じゃない。
 だから、セル質の多い粗悪な玉ねぎは使うな。そいつが舌に触る、いや、舌に障る。小麦粉でダマを作らないのと同じように、なめらかな舌触り。玉ねぎが溶けてクラッシュしたゼリーのようになるまで炒める。
 そうしたらようやく、小麦粉とバターにご対面。
 そこでようやく、玉ねぎの登場だ。
 また会った? いいや、人違いだ。さっきのは微塵切りの玉ねぎ。今度は細切りの玉ねぎ。こいつも少量のオリーブオイルで炒める。
 いいかい。こいつは限りなく中火に近い弱火で炒める。火は通しすぎるな。さっきのは完全な基礎。こっちは具材に近い。限りなく具材に近い基礎だ。
 ビーフシチューの具として、ペコロス(小玉ねぎ)を入れてもいいんだが、そうすると玉ねぎが出しゃばりすぎる。
 表面がしんなりとして、内部はシャキッとした繊維の歯応えを残すように炒める。火はきちんと通せ。それが完璧になめらかなビーフシチューのアクセント。
 お次はジャガイモだ。
 こいつは小さくてしっかりしたメークインを選べ。そいつをホイルでひとつずつ丁寧にくるみ、低温でゆっくりと確実に火を通す。
 絶対に火を通しすぎるな。火を通しすぎると、具ではなく基礎のように溶け込んでしまう。しっかりとした歯応えを残しつつも、芯まで完全に火を通し終わるようにホイルで包み、ゆっくりと確実に火を通す。
 メークインの粘り気を出しつつも、しっかりした歯応えを残した火の通し具合が肝心だ。
 そして、人参。
 お前もオーブンで調理する。絶対に炒めたり湯がいたりしてはいけない。湯がけば旨味が逃げる。炒めればカラメル質のしつこい甘さが出る。
 丁寧にホイルして、ゆっくりと火を通す。皮が指で裂けるギリギリの火の通し具合。こいつも火を通しすぎると基礎になってしまう。
 いや、最初からそうやって溶かした人参をペーストにして、基礎に混ぜるのもいいが、甘みが強すぎる。大人は少しビターに行きたい。
 ブロッコリーは塩茹でだ。こいつはコクと旨味だらけのビーフシチューの清涼剤だ。かすかな塩分と、火が芯まで通るギリギリの所で止めなきゃならない。芯が残るのは問題外だが、少しでも火が通り過ぎるとビーフシチューに馴染んでしまう。そうするとそれはそれで美味いが、ビーフシチューという料理を一皿、美味いままで食い終えられなくなる。そのためには、ブロッコリーが清涼剤でなくてはならないのだ。
 そして、セロリ。たまらなく魅惑的な野菜だが、今回の主役はこいつじゃない。今回はブーケガルニ(香り付け)として活躍してもらう。演劇で言えば舞台背景だ。お前がいないと殺風景になってしまう。今日はローリエと一緒にビーフシチューという舞台を彩ってもらう。
 そして、トマト。
 舞台を飾るには、最高の女優だが、今回は脇役に徹してもらう。キミは最高の女優だが、この舞台で主演を張ると「ハヤシライス」という別の演目になる。
 だからゲスト出演だ。一瞬だけ舞台に現れ、主役に進むべき道を教える老婆の役だ。それぐらい地味でないと、ハヤシライスになってしまうからね。おっと、生トマトじゃダメだよ。濃厚なシチューを台無しにする。トマトペーストの酸で舞台を引き締めてもらう。
 そしたら、ようやく主役のお出ましだ。
 牛すね肉。
 何のためにたっぷりとバターを使ったか。脂肪分の少ないすね肉が花開くためさ。
 硬いすね肉をしっかり焼いて焦げ目を付け、旨味を引き出す。そして、柔らかくなるまで煮込む。しっかり噛んでほどける柔らかさを残し、肉を噛みしめる喜びを与える。
 主演のドレスは何がいい? マデイラ酒だ。コクと深みと甘さをたたえた赤いドレス。
 その他の衣装は赤ワイン。基本はボルドー酒だ。だが、ビーフシチューに合わせる酒がローヌなら、ローヌに変えてもいい。ロワールならロワールもいい。ビールに合わせてビールを入れるのもいい。だが、基本はボルドーワイン。安物はダメだ。安いワインなら、ボルドータイプのチリワインを使う。
 ワインの苦味と渋みが料理をぎゅっと締め付けてくれる。
 さあ、しっかりと煮込め。
 ゆっくり、丁寧に。絶対に焦がすな。焦がした苦味は敵だ。丁寧に丁寧に煮込め。
 煮込んだら、ようやく具材を合わせてやる。ほとんどの具材は漬けてやるだけでいい。それで充分に染み込む。そして、濃厚なビーフシチューが絡みついてくれる。
 ほうら、完成だ。
 ほんの少しだけ、刻んだパセリを。
 ライスもいいが、ここはフランスパンだな。香ばしく焼いたフランスパンだ。
 ああ。たまらない。
 これがビーフシチューだ。私の求める最高の演目。
 料理は私を異世界に連れ出してくれる。
 さあ、今夜はビーフシチューにしよう。よし。今から準備をしても間に合わない。
 あの洋食屋、今日は開いてるかな。
 
 

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(´・Д・)」 文字を書いて生きていく事が、子供の頃からの夢でした。 コロナの影響で自分の店を失う事になり、妙な形で、今更になって文字を飯の種の足しにするとは思いませんでしたが、応援よろしくお願いします。