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マルティン・ハイデガーって誰? 「存在の意味への問い」をめぐって

本記事では、ドイツ哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976)について紹介します。

そもそも、なぜ日本で哲学を学ぶのにあたって西洋のエラソーなおじさんの本を読まないといけないのでしょう? 僕は哲学を、「自分で考えるために学ぶもの」だと考えています。したがって、自分に関心のある問題について考え抜いた人物の著作を読めばそれでいいんじゃないかなぁと思うんですよね。自分の思考の質を上げるための材料として、「古典」を読むという態度です。

 僕は「なんで生きないといけないの? オレが生きようが死のうが世界って淡々と続くじゃん」という根本気分(Grundstimmung)から考えているので、ハイデガーの存在論に惹かれているのだと思います。

理性や論理が重視される学問においては、客観的に考えることが求められます。それは、学問が蓄積されなければならないからです。主観的な意見は、「あなたはそういうふうに思うのね」と言われて終わりです。けれど、そうであるがゆえに、学問においては「考えたこの私」というものが消されてしまうのが実情です。

けれども人間の思考というものは元来、「自分にとっての問題に向き合う」ためにあるのではないでしょうか。つまり、自分がよりよく生きるために人は考えるのではないかと僕は思うのです(人間の有する「合理性」とは元来、形式的な合理性ではなく「生物としての合理性」、すなわち「生き延びるための推論能力」であるはずだ)。

ハイデガーは具体的・個別的な「この私」というところから考えられるような思想です。僕にとってはハイデガーと向き合うことが自分の問題と向き合うことにもなるから、読んでいるのです。

以下、ハイデガーについて簡単に解説いたします。(以下、「である」調です。)

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1. 経歴

マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger)は、南ドイツのメスキルヒという小さな村に教会の堂守りの子として生まれた。教会の神父の世話でフライブルク大学に入学し、初めは神学部で司祭を目指していたが、後に家族の反対を押し切って哲学部に転部した。

エトムント・フッサールのもとで、アリストテレスの研究をした後、34歳でマールブルク大学教授となる。38歳で『存在と時間』を刊行し、20世紀の哲学界に大きな影響を与えた。その翌年、フッサールの後継者としてフライブルク大学に戻る。

44歳でフライブルク大学の総長となり、ナチスに入党するも、1年で総長を辞職した。第2次大戦後はナチスへの協力を理由に教職を追放されたが、ハンナ・アーレントカール・ヤスパースの協力もあり、1951年にフライブルク大学に復職。翌年に退官するが、その後も講義や講演活動を行った。1967年、死去。

2. ハイデガーの思想

ハイデガーは、「存在とは何か」という問いを問い続けた。ハイデガーによれば、存在への問いは古代ギリシアから脈々と、西洋哲学が常に問い続けてきた根本的な問いである。けれども、この問いは必ずしも意識的に問われてきたわけではないし、またその問いに的確な答えが与えられたわけでもない。「存在とは何か」という問いを問うことは、伝統的な西洋哲学との対決をも意味するのである。

ハイデガーの思想の哲学史的な影響としては、第一に、その後のフランス現代思想への影響が挙げられよう。すなわち、サルトル、メルロポンティー、デリダやレヴィナスなどへの影響である。けれども、基本的にはハイデガー以後の哲学者は何らかの形でハイデガーに影響されていると言える(それは英米系の哲学であってもそうだ)。また日本思想への影響も大きい。特に、日本の哲学界を牽引したいわゆる「京都学派」への影響は、無視できないものである。

3. キーワード

アレーテイア(Aletheia)

ギリシャ語で「真理・真実」を意味する言葉。語源的には、忘却や隠蔽、さらには冥界を意味する「レーテー」に、否定や欠如を意味する前綴り「ア」が付け加わることによって形成されている。この語をハイデガーは「隠れなさ/不覆蔵態(Unverborgenheit)」と文字通りの意味でドイツ語に訳している。

世界内存在(In-der-Welt-sein)

『存在と時間』で、当時のハイデガーが「存在を理解する特異な存在するもの」という意味で「現存在(Dasein)」と呼んでいた人間の存在体制を表す規定として導入した概念。

これは第一義的には、孤立した主体としての人間が対象世界と向かい合い科学的な認識を介してそれに迫っていくという近代哲学の構図を斥け、自分が常に一定の具体的な世界の中にいるのを既成事実的に見出すほかない人間の在りようを特徴づけるものである。

世界内存在で言う「世界」とは、物の総体や理念のことではなく、現存在の個々の営みにおいて漠然とながら常に前提とされている意味連関の全体である。内存在も、事物相互の空間的包含関係ではなく、世界という意味連関の開かれた在り方を指す。

思考の材料

参考文献
第一学習社編集部編『テオーリア 最新倫理資料集 三訂版』、第一学習社、2013年(第1章)

木田元『ハイデガーの思想』、岩波新書、1993年(第2章)

高田珠樹『ハイデガー 存在の歴史』、講談社学術文庫、2014年(第3章)

秋富克哉・阿部浩・古荘真敬・森一郎編『ハイデガー読本』、法政大学出版局、2014年

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その他

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