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うぇいの哲学

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哲学みがある記事のまとめ
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#進化論

祈りの「効用」——自己の関心の明確化と願いを遂行しようとする意志の強化

「ご利益」ばかり気にする利己主義者の皆さまこんにちは😆 うぇいです。 本記事ではお祈りの「メリット」について考えたいと思います。というのも、最近神社に行ってお願い事したりおみくじ引いたりしたときに、そもそもなぜ人は祈るのかを疑問に思ったからです。 「祈っても何も変わらない!」と言う人もいますが、祈っている当人には何かいいことがあるから祈っているのでしょう。ほんとに何の役にも立たないもの・単なる時間の無駄だったらすぐにその習慣はなくなるはずだからです👍 本記事は、世俗的な

プロポーザル(提案)としての哲学

「わー、ずっと悩んじゃう😥」という思考の沼に陥ることが誰しもあると思います。例えば、自分の進路を決めるとき、突然不幸に襲われたとき、また漠然とした不安を抱えたときなどです。 解決の糸口が見えない難問(アポリア)に直面したとき、哲学で提出された議論を参照して何らかの立場を採用してはどうか――これが、本記事の結論です。つまり、哲学者たちの概念や議論に触れることで、一見何も手掛かりがなさそうな問題に対してうまく「付き合える」かもしれないという話です。 1. 哲学は思考の整理に「

「詩」としての哲学——理性ではなく「想像力」重視の哲学

「哲学って、難しいことをゴチャゴチャ言ってるだけじゃないの?」と思っている方もいるかもしれません。まぁ正直そういう側面もあります。「真理探究」の学(Wissenschaft)としての哲学(Philosophie)においては、かなり込み入った議論が行われているからです。 ただ、そのような自分の意思には関係なく定まった対象(例えば客観的真理)を把握しようとする哲学以外にも、哲学の活動領域は拡げられるはずだと僕は思うのです。 本記事は、冨田恭彦『詩としての哲学』を頼りに、「可能

生きること、死ぬこと、応えること

昨日、バイトの同期の一人が亡くなったことを知った。死因は、不整脈による心停止であるらしい。突然の死だ。 彼とは知り合って2年以上経つが、雑談をするようになったのはつい最近のことだ。というのも、彼は深夜で僕は早朝のシフトであり同じ時間に一緒に働くことはほとんどなく、事務的に仕事を引き継ぐことが多かったからである。 1か月ほど前になってようやく、砕けた話をするようになった――そんな矢先の出来事だ。 現代における「信仰」僕を含めて多くの現代人は、「明日以降もしばらく生き続ける

「豊か」でいるための思想——「満たされてる感」のレベルを下げること。過剰であることに喜びを感じること。

豊かさとは何か?——この問いを抜きにして、「豊かな人生」や「豊かな社会」を語ることはできないように思われます。 なぜなら、豊かさについての意味内容を曖昧にしたままでは「豊かな〇〇」に向けた具体的な行動を「あなたがする意味」を考えることができないからです。 例えば、「これが豊かな社会を実現するための仕事だ」と言われる仕事はたくさんありますが、その中であえて「あなた」が特定の仕事に従事する意味は何なのでしょうか。すなわち、社会貢献できる仕事がたくさんある中である特定の仕事を選

賢者とは誰か?

賢者といえば、髭をはやした老人男性がまず想起される。(このイメージはもちろん、今まで触れてきた物語に影響されているのだろう。) 経験を積み思考を巡らせることで、人は老成する。そのような人が、賢者と一般に呼ばれてきたのであった。 だが、いま僕たちが生きる現代社会にあっては、賢者=髭をはやした老人男性ではないだろう。場合によっては、賢者だと思われていた人のアドバイスが役に立たない、さらには害になってしまうということも見られるようになった。 なぜだろうか。理由を挙げるとすれば

素朴に生きている人々の人生を擁護できるか?

僕の創作活動の目的の1つに、泥まみれで、つまり素朴に苦労して生きている人の人生を学問の知見から応援するということがある。 少なくとも、学問には大きく2つの力があると思われる。すなわち、学問の知識が個人の思い込みを事実でもって破壊するということ。そして、地域や時代や文化を横断することで、他なる視点を身につけられるだろうということだ。 学問は、直接的に人生をより良くさせるものではない。けれども学問は、人生を間接的な仕方で豊かにしてくれるのではないかと僕は考えている。 さまざ

「人生の意味」を問うてしまう人のための、5つの考え方

僕の記事で一番読まれている記事が、以下のものになります。今回は、下の記事を加筆したよというお知らせです。 要約です ↓ 人間社会は非常に複雑ですが、その根本には生殖=再生産という事実があります。社会や共同体のルールが定められている理由は、人々が平和に暮らすため、言い換えれば人々の「生存」と「繁殖」のためと言えます。では、人類の生存と繁殖の先には何があるのでしょうか?... そもそも、このような問いを立てること自体が、生物学的には「バグ」であるように思われるのです。 生き

大衆はどこにいるのか?

哲学を学ぶと、現代の”常識”と呼ばれるものがどれだけ一時的なものかが感じられるようになります(そして捻くれていきます)。それで、「現代人は~なところがバカだよね」とか考えたり言っちゃったりします。 けれども、哲学を学ぶ自分もふつうの現代人として日常生活を過ごしているわけですから、自分で自分に説教しているとも言えます。 哲学を学んでいる自分は特別だぜ!と僕は思っているけど、実情は凡庸な大学生の一人です。僕が専らやっていることと言えば、YouTubeの再生数1を刻むくらいのこ

関心があるとか、興味を持つとはどういうことなのだろう

僕はしゃべりたがりだ。聞き役に徹するのは苦手だと自覚している。読者の皆さんは会話において自分が話を展開することが多いか、あるいは聞く側に回るほうが多いか、自覚してるだろうか? いずれの立場にせよ、話の内容に興味があるか否かは重大な点であるだろう。なぜなら、興味の欠如したトピックでは会話にノリ切れないからである。 僕の場合で言えば、野球と車の話は全く興味がわかない。だから、いくら〇〇選手が活躍しただとか、車の部品がどうとか言われても知識がないからわからないしわかろうともしな

コロナ vs 長寿社会 死について考える学問「死生学」

1. なぜ外出自粛しないといけないのかなんでいま外出自粛しないといけないんですかね? もちろん、感染拡大の防止というのが一般的な理由でしょう。でも、もっと根本的な理由があるのです。 一言でいえば、死にたくないからでしょう。今回の自粛は、「人々が生きたいと思っていること」が前提なのです。 コロナが示したものの一つに、死の観念が人々を強烈に不安にさせるということがあります。みんな、なんだかんだ「命は大事だ」って思っているんですよ、やっぱ。 生きていないと何も始まりませんから

Ayase「幽霊東京」から哲学的に思考する

人は自分と向き合い続けることはできない、と僕は思っています。なぜなら、自分について深く考えれば考えるほど「自分」という存在がいかに不確かで不安定であるかが自覚されてしまうからです。 人は、自分の存在の重さ(Last)に耐えられない。 重さに耐えられない人間は、そこから逃避します。どのような仕方で? 一言でいえば、気晴らしです。不定形で掴めない存在から逃れるように、忘れられるように、何か別な物事で置き換えるということ。 僕は、哲学的な思索に耐えられなくなったら、散歩に出か

マルティン・ハイデガーって誰? 「存在の意味への問い」をめぐって

本記事では、ドイツ哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976)について紹介します。 そもそも、なぜ日本で哲学を学ぶのにあたって西洋のエラソーなおじさんの本を読まないといけないのでしょう? 僕は哲学を、「自分で考えるために学ぶもの」だと考えています。したがって、自分に関心のある問題について考え抜いた人物の著作を読めばそれでいいんじゃないかなぁと思うんですよね。自分の思考の質を上げるための材料として、「古典」を読むという態度です。  僕は「なんで生きないといけないの? 

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』要約 YouTube動画原稿①

本記事では、YouTubeの原稿を公開します。 「暇」と「退屈」とどのように向き合うか?どーも、うぇいです。突然ですが、みなさん、暇な時間はどのように過ごしていますか? 例えば、YouTube、Twitter、インスタなどでしょうか。もしかしたらこの動画も、暇つぶしのために見ている人もいるかもしれません。 そもそも「暇」とは、何なのでしょうか。また、僕たちはなぜ「退屈」するのでしょうか? 今回は、國分功一郎さんが書いた『暇と退屈の倫理学』を要約することで、「暇」と「退屈