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中沢新一著『レンマ学』を精読する(1)

中沢新一氏の『レンマ学』は「考える」きっかけが無数に織り込まれた一冊である。これを丁寧に読んでみたい。

まずは第一章「レンマ学の発端」である。

中沢氏はレンマ学で試みることを次のように明示する。

「レンマ学は、大乗仏教の縁起の論理土台として、新しい「学」を構築しようとする試みである。かつて鈴木大拙井筒俊彦によっても、このような「学」が構想されたことはあったが、いずれの試みも未完成に終わっている」p.14

この一節だけでも、幾人もの偉大な思考の先達とその言葉たちが、縦横無尽に、縁起的に、つながりはじめそうな気配に満ちている。

 縁起とはなにか?

 鈴木大拙が構想しようとした「学」とはなにか?

 井筒俊彦が構想しようとした「学」とはなにか?

こういった問いを思わず立てたくなるところであるが、まずはこれらの問いへの答えは保留にして、『レンマ学』先に読み進めることをおすすめする。

なぜならこれらの答えは『レンマ学』を読んでいけば、自ずとその輪郭が浮かび上がってくるからである。

「レンマ」という用語

ここで「レンマ」という言葉である。

この言葉は古代ギリシア語であり、哲学や数学といった分野でしばしば使われてきた。例えば「ジレンマ」の「レンマ」もこれである。

「レンマ」などという言葉は聞いたことがなくても、「ジレンマ」なら知っている、という方は案外多いのではないだろうか。

「ジ」は「二つの」という意味なので「ジレンマ」は二つのレンマ、ということである。

中沢氏はレンマという言葉を、山内得立氏の議論に基づいて用いると宣言する。

山内得立氏は、その著書『ロゴスとレンマ』において「仏教の縁起的論理」と「古代ギリシア哲学の概念であるレンマ」を関連付けて理解しようと試みた。

もとはギリシア哲学の用語であり、様々な哲学者や数学者がそれぞれの分野で様々な意味合いで用いた用語であり、近代に至り日本の山内得立氏が「仏教」の「縁起」の論理を理解する手がかりとして用いた概念である「レンマ」。

しかし、ここではまだ「レンマ」がどういうことか、分からない。

用語の意味はどこに書いてありますか?

ちなみに、大学のゼミの後輩などから時々聞かれるのは、「○○という概念や用語の意味はどのように決められているのですか?その決まった正解はどこに書いてありますか?」といった質問である。

こうした質問ができるのは、ある言葉の「正しい意味」ということを限定しておくことができるはずだと想定しているからである。あるいはそうした意味の「正解」が、誰にとっても同じ正しい意味が、どこかに書き込み済みであるはずだと想定しているからである。

確かに、言葉の意味ということにはそうした形で経験できる側面もある。

特に日常の世界を再生産する言葉はそのような「正しい意味」が予め設定されたものに見える。

あるいは初等教育から中等教育にかけて、任意の言葉の正しい意味を辞書を引いて調べてきたという真面目な学生たちにとっては、謎の言葉の正しい意味は、どこかの辞書を調べれれば載っているはずだ、という考えになるはずだ。

ところがである。

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