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『サピエンス全史』から『ホモ・デウス』へ ー「虚構の力」の使い方

『サピエンス全史』で知られるユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書『ホモ・デウス』を読む。

本書のタイトルにある「ホモ・デウス」とは一体何のことだろうか?

ホモ・サピエンス(わたしたち)ホモ・ネアンデルターレンシス(いわゆるネアンデルタール人)といった様々な種をひとまとめにしたカテゴリーが「ホモ属」である。

ホモ・デウスは、やがてホモ・サピエンスから分かれて進化するであろう、ホモ・サピエンスとは別種の新種のホモ属のことを呼ぶ名前である。遠い将来、ホモ・サピエンスの子孫たちは変異を繰り返し、ホモ・サピエンスとは別の種類のホモ属、ホモ・デウスへと進化する。

ハラリ氏は『サピエンス全史』において、わたしたち人類、つまり「ホモ・サピエンス」の歴史を虚構の力という観点から俯瞰することを試みた。ホモ・サピエンスが獲得した「虚構の力」とは、虚構を作り、仲間と共有し、協力関係を打ち立てる力である。これに着目して数万年に渡るサピエンスの歴史を振り返る。

一方、『ホモ・デウス』は現在についての本である。

わたしたちは現在、過去の歴史の積み重ねの一番上の層で日々生活しつつ、ほとんど予測不可能な「将来」あるいは「未来」という虚構によって、不安や期待の感情をかき回される。自分たちの将来が多少でも良いものになれば、マシなものになればと、ありうる可能性を想像し予測をしては、いまこの瞬間に、無数の小さな判断や決定を重ねている。

多数のホモ・サピエンスが様々な生きる場所で行う不透明な未来に向けた判断や決定が、束となって、おおきなうねりとなって、後から見れば「歴史」と呼ばれる変化を織りなしていく。

未来の人類の姿を思い描く

『ホモ・デウス』の「デウス」とは「神」のことである。そうなるとホモ・デウスとは神のようなホモ属、神のようなヒトの種ということになる。

神、デウスということで、ハラリ氏はどういったことを考えようとしているのだろうか。

いま、わたしたちホモ・サピエンスは、DNAを書き換えたり、身体に機械を接続したり、言語的思考をコンピュータのソフトウエアによって補ったりと、人間というものを従来にはないものへと作り変えるテクノロジーを得ようとしている

テクノロジーによる人間の作り変えは、自然の生命の偶然で「レンマ的」な進化の過程とは異質なかたちで、人間を別の生命へと変容させる可能性がある。

とりわけ驚異的なのは、人間の意識や思考を、有機体つまり肉体を離れたところへ移植する可能性までもが追求されていることである。

脳をふくむ有機物でできた神経系が、結局の所、電気信号と化学物質による情報伝達の流れを引き起こすハードウエアであり、そのハードウエアの動き方として存在する信号処理手続きのプロセスこそが「意識」と呼ばれる現象の客観的な姿だとすれば、その複雑な構造と動作のアルゴリズムを客観的に把握することができれば、あとは同じ構造と動作アルゴリズムを有機物ではない別のハードウエア上に実装することもありない話ではない、と。

もちろん、これは今日受け継がれえている常識からすればまったく荒唐無稽な話に聞こえるのであるが、そのように聞こえてしまうのは、私の耳が、おそらく数百年くらいのタイムスパンで受け継がれてきた「常識」によって過去の方へとチューニングされているからであろう。

飛行機で旅行する人は超能力者?あるいは神?

こうして作り変えられた人間は、身体の特長の点でも、遺伝の点でも、何よりその主観性の様式の点でも、ホモ・サピエンスとは異なる、別の人類、ホモ属になるだろう。その新しいホモ属に与えられる名前が「ホモ・デウス」である。

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