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植物民俗の縁

2024年3月29日のgoogleカレンダーに「和石おねっこ祭り」とのメモがあった。当日予定がなくなったのとちょうど都城へ書籍を買いに行く用事があったので、前日、黒田奈々さんにメッセージして何時からか問い合わせた。そのときまで私の頭の中では「おねっこ」=鬼火焚きのイメージになっていた。黒田さんからの説明で、翁草であることを思い出し、それを目的に集まった人たちで、三味線など音楽を楽しむイベントが催されることを理解した。

朝9時30分に到着。約1年ぶりの和石である。和石は宮崎県宮崎市高岡町内山にある去川集落から奥に登った所にある。奇蹟の里山と呼ばれていることを知ったのは3年前であった。

黒田さんに挨拶し、今回も解説を行う南谷忠男先生にも約20年ぶりにご挨拶できた。南谷先生とは宮崎県総合博物館のリニューアル時代に大変お世話になった。最近植物民俗の御著書を刊行されたとのこと。

他にも多くの著書がある。

以前、いろいろお話を伺った「和石地区田園の景観を守る会」の会長 前田律雄さんにも久しぶりにお目にかかれた。以前、電灯電話架設記念碑について情報を提供したことがある。今回、律雄さんと碑文の話をしているとある男性が話しかけてきた。それが二見睦雄さんであった。

10時前には、散策に出発。例年の場所に翁草が少ないとのことで、別のルートを案内するとのこと。ゴールデンウィークの頃に綿毛になるまでその変化が楽しめるという。

散策終了後、カレーをご馳走になり、三味線の演奏が始まった頃、都城まで書籍を購入に行くために中座してしまった。本来は昭和30年代の去川小学校の写真についてお話を聞きたかったのだが、写真だけ律雄さんにお渡しして再度うかがうことを確約した。

そして、都城市西岳の西興寺を訪問した。私がうかがうことになったきっかけは下記の記事であった。

ところが訪問してみると奥様との話が食い違い、少し話して、状況が解った。著者は2023年6月12日に逝去されていた。

奥様の話によると、刊行後、急逝されたとのこと。
昭和16年1月1日生まれ。
昭和39年鹿児島大学教育学部を卒業後、内海中学校、青島中学校、赤江中学校、諸塚中学校、清武中学校、上長飯小学校、三股中学校、置水中学校を歴任し、平成10年4月に実家の西興寺を住職として次ぐことになった。理科の専攻と言うことから動植物を中心に多趣味であったとのこと。南谷先生とも交流があったらしく、奥様は南谷先生との交流についても懐かしくお話しいただけた。
宮崎日日新聞の記事にもあるように、この著書は正一さんの父親から聞いた話や資料をまとめたものとのことである。再版してまだ少しは残部があるとのことであるが、参考までに挨拶文と目次を紹介しておく。

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