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自分の選択を正解にするためにワクワクすることをやり続ける 東北大学 近藤 倫生 先生

源先生と益田先生を学生時代にお繋ぎされた近藤先生にお話しを伺ってきました。

自然生態系を維持できる社会システムのモデリング

—今どんな研究をされているかお教えください。

近藤先生:自分が何をやっているのか、広がりすぎてよくわからなくなってきていますが、生態系に興味があります。特に次の2つのことに興味がありますね。1つは自然生態系で、「どうしたら破綻せずに複雑な生態系を存続しならがら発展できるんだろう」ということを理解したいです。

もう1つは生態系は面白く素敵なものなのに、社会システムや経済システムのせいで破壊が進んでいて、「どうしたら生態系を壊さずに人間社会とうまく接続できるだろうか」ということに、ここ半年くらい急に興味が出てきています。

—この半年で、というのは何かきっかけがあったのでしょうか。

近藤先生:内閣府が作ってるムーンョットっていうプログラムがあるんですけれど、その中に、2050年の日本はどんな社会になっているのがいいのだろうか、を考えるミレニアプログラムがあるんですね。必要な科学技術はどんなもので、どんな研究がなされるべきか、を検討するプログラムです。

全部で21チーム国内から出ているんですけど、半年くらい前に僕が代表で、1個チームを作りました。その報告会がつい先週終わったところです。この半年は社会課題をどう解決するか、を面白いなと思っています。

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↑近藤先生にオンラインでお話しをお聞きしました。

白亜紀後期の恐竜大量絶滅より速いスピード

—それは解決に向けて動いていけそうなものですか?

近藤先生:やらないとわからないです。でも、危機感はすごくありますよね。特に今の地球の生態系の状態がわかっている人だったら「これはまずいぞ」って思っています。

例えば、白亜紀の後期に直径10キロくらいある隕石がメキシコにぶつかって、地球上の7割くらいの生物が絶滅したんですよ。7割ってどえらいことなんだけど、今起きている絶滅のスピードはその時より速いんです。とても大変なことなのですが、みんな知りません。

このままいくと、地球は冗談ではすまないくらいにまずい状態です。どうやって破壊の進行を止めるかが大事です。これは、生態学だけをしていてもどうしようもなく、観測のシステムをつくり、それを元にして生態系の状態をどうやって把握するか考える必要があります。また、どうやって人間の社会経済活動を変化させるかも考えないといけません。

これはもう、とてもビッグチャレンジです。勝ち目がなくても不思議じゃないって感じています。しかし、後10年、15年先の定年までには、やらないとどうしようもありません。

—経済活動も、となると難しいですよね。色々問題がありそうです。資本主義から考え直さないといけない可能性もありますよね。シンガポールのような国家資本主義だと解決策を国で決めることもできるかもしれませんが、今の日本はそう簡単には進まないですもんね。

近藤先生:なので、ボトムアップでつくっていかなければなりません。そのためにはどうやって生態系を管理するべきか、「地方の生態系を地方の住民が自治する形」をつくらないといけないなって思っています。こういう社会システムの話をするとすごく暗くなるんですよね。生態学の話をもう少ししましょうか(笑)

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↑2016年舞鶴湾で環境DNA調査をされた時のものだそうです。

他者共存を数式で表した生態系モデルに衝撃を受けた

—なぜ研究者になろうと思われたのですか?生態系の研究をやりたくて研究者になったのか、それともいろいろ経験された中で生態系の研究にたどり着いたのでしょうか。

近藤先生:50歳も近いおじさんにこの話をすると人生について語り始めますよ(笑)僕は、「よし研究者になろう」と本当に思ったのは博士課程の2年の時です。

中学生、高校生の時はお坊さんか科学者になりたいなと思っていました。考えることが好きなので、「この世界がどうなっているか」みたいなことを色々考えて、思いついたことを人に教える仕事をしたいと思っていたからです。自然科学だと科学者だし、人文科学だとお坊さんだな、と思っていたんですよね。

大学生の時は科学者の可能性ももちろん考えてましたが、お坊さんのことは考えてなかったですね。3回生の時に、もう亡くなってしまった僕の師匠である理論生態学者の東正彦先生の授業を受けてとても衝撃を受けました。

その授業は、数学を使った生態系のモデル用い、たくさんの種類の生物がなぜ共存できるか、という問題を扱っていました。お互いに間接的に影響を及ぼし合っていて、影響を及ぼし合ってる状態を数式で表し、解析すると、なぜ他者共存してるかわかる、ということでした。高校までは、中高一貫の仏教校にいたため、他社共存は「仏教と通ずる」と思い、非常に興味を持ちました。仏教にある「縁起」という「世の中にあるものは何一つとして独立して存在してない」という考え方に似ていました。

3回生の後期に研究室配属があり、東正彦先生のところに行き、「仏教に興味があって、全てのものが全てに依存している世界観をモデリングしたいです」って伝えたら引き受けてくださってゼミの指導をしてくださいました。

運命を変えた一本の論文

しかし、4回生の春に大学院に行かないで就職する可能性を考えたことがあり悩みました。村上龍を読んで金持ちになりたい、こういう豪華な生活をするには、研究者ではお金儲けできない、と思ったんです。どんな企業に入るとお金儲けできるのか、様々な企業の年収等を調べたところ、当時はまだバブルが弾けてなかったこともあり、商社や銀行がとにかく儲かるってことがわかったんです。ところが、調べ尽くすとお金がどうでもよくなってしまいました。

その時、大学院に行こうとはっきり心に決めました。しかし、研究者の可能性は考えていましたが、まだ研究者になるぞと決めたわけではありませんでした。博士課程2年の時に、自分にとってとても重要な論文を一本書きました。

テーマは単純で、生物群集で共存できる種の数がどうやって決まるか、というものなのですが、自分が本当に初めて面白いと思って書いた論文でした。その論文が、ほぼ1発アクセプトで審査に通ったんです。

「自分が初めて本当に面白いと思ったものをレフリーが面白いと認めてくれたこと」が非常に嬉しく今でもその喜びを覚えています。アドレナリン全開です。当時はEメールでなく、手紙で受理通知が来ました。エアメールが来てて開けたらアクセプトと書いていて、「うわーーー!研究者になろう!」と思いました。たった一個の論文、研究のことでなろうって思ってしまいましたね。

—迷っている時期に、今までの人生で一番心が動かされたことが起こったらきっかけになりますよね。

近藤先生:人間でもそうですよね。この人素敵やなって思うことのきっかけはしょうもないものも多いです。おじさんは自分のことを話し始めると嬉しくて、たくさん話してしまいます(笑)

研究者としての素質は楽観的であること

—1番大変だったことはありますでしょうか。

近藤先生:研究に関して、「辛いな、失敗した、どうしたらいいかわからない」と思ったことは一切ないんです。僕がすごいからではなく、とても楽観的なんだと思います。

研究する時は必ず、事前に「こうなるに違いない」という直感があるんです。そうなるに違いないと信じすぎているため、違う結果が出たら不思議なんです。不思議で、なぜ結果が違うか考えている間に、「あ!わかった!」が出てくるんです。

最初に考えていたこととの相違点を発見したり、違う考え方をすると説明できることが面白いんです。「こうなるはず」となり、次のテストに移ります。失敗しても、それは重要なことに気付いていなかったからで、「次すれば絶対上手くいく」といつも思っているんです。なので、失敗したと思ったことがないんです。

—僕もお気づきかもしれないですけど、超楽観的タイプなんですよね(笑)多様な先輩研究者の声を届けていくことが趣旨なので、今回のようなお話しもとても嬉しいです。

近藤先生:ある時、とても尊敬する東正彦先生に「近藤くん、研究者にとって最も重要な資質は何やと思う?」と聞かれたことがあるんです。その当時は、「誠実であることです」と言ったのですが、東先生に「楽観的であることや」と言われました。その時の僕は楽観的であることの重要性がわかりませんでしたが、今ではよくわかりますね。

本当に新しい発見や、みんなが気付かないことに気付くためにはしつこくやらないとダメなんです。そして、どういう人がしつこくできるかって「必ず上手くいく」って思っている人なんです。

「しつこい人が成功するか」というと違うけれど、「成功しようと思うとしつこく続けるしかない」と思います。だからこそ、研究者は本当に自分が好きなことや「これならしつこくできるぞ」ってものを研究することが1番大事だと思います。

母親の影響で自信家に

—元から楽観的だったでのしょうか。元から、幼少期から楽観的な方と、生死を彷徨うような出来事があり、それを超えることなんてない、と後天的に楽観的な方がいるような気がしています。

近藤先生:親、特に母親の影響だと思います。僕の母親がものすごく楽観的な人間で、怒ったりも一切しませんでした。子どもは何をしても褒める、そういう女性でした。そのため、過剰な自信を身につけたのだと思いますね。

—僕も祖父母に育ててもらったため、何でも褒めてくれたので、超自信持っていますね(笑)

近藤先生:一生続くと思いますよ。本当に感謝していますね。

恩師の死がきっかけで、依存から自立へ

—東先生のお名前が何度か上がっていますが、東先生から見て、近藤先生は印象的な学生だったのでしょうか。

近藤先生:僕を特別に評価していたわけではないと思います。博士課程3年になる年の3月に、東先生が事故で亡くなってしまい、3年の4月から指導教員がいない状態で1人で研究していたんですけど、そこですごく大きく変わりました。

それまでは、「東先生が面白いと言うからには、面白いに違いない、なぜ自分はそれがわからないのか、きっと面白いはずだから考えよう」とある種絶対的な存在で、依存していました。
東先生がいないと頼る人がいないので、自分で面白いかどうかを判断するようになり、今の研究スタイルになりました。

東先生は今の僕を見ると「近藤君こんなんだったっけ」とすごく驚くと思います。いい論文を書いたり、いい研究結果が出たりしたら、今でも「東先生に見せたい」と思います。

学生にカッコイイ背中を見せられる大人でありたい

—そこまで思う、東先生とは何者なのでしょうか。

近藤先生:かっこいいんです!例えば、国際シンポジウムを主催すると、世界の名だたる超有名研究者、論文を読んで尊敬しているような研究者が日本に来られているので、最後に偉い先生にまとめてもらいましょう、となるパターンが多いんです。しかし、東先生はその総まとめも自分でされていました。それを見て、しびれて、「こうなりたい」と思ったんですね。

—今、近藤先生がシンポジウムを開くと、ご自身で総括をされるのですか?

近藤先生:やりたい(笑)できるだけするようにしてはいますが、なかなかできていないんです。学生がいるので、僕が経験したような体験を自分の学生にもしてほしい、「近藤みたいになりたい」と思ってほしいので頑張っています。

一生懸命するといい

—何十年かして、「近藤先生みたいになりたかった」と言ってくれるといいですね。これから挑戦したいことと若手研究者に一言をいただけたら嬉しです。

近藤先生:将来に向けて挑戦したいことは、今進んでいる生物多様性の喪失、生態系の破壊のような具体的な社会課題、社会的な問題の解決に関わりたいです。

若い人にメッセージは、「一生懸命するといいですよ」ですかね。一生懸命するといいって言うと、一生懸命すると思い通りになるんですか、と思うかもしれませんが、違うんです。一生懸命しても思ったようにはならない、けれど、悪いようにもならない、が真実です。

A地点を目指して頑張るとB地点にたどり着きます。A地点ではないですが、B地点もそこまで悪くはありません。後から振り返った時に「一生懸命したからここまでたどり着けたのか」って気付きます。

—「一生懸命」は、がむしゃらに、自分の時間や人生を犠牲に、と捉えられがちですが、そうではないですよね。

近藤先生:「一生懸命」とは、恐れないで、ワクワクする方に進むことです。ワクワクする方に進むことは、たまにとてつもなく怖いんです。今まで積み上げてきたものが全部壊れるかもしれないと思うからです。「一生懸命」とは、「やるしかない」って気持ちになったらすぐやることです。そして、それをずっとし続けることです。

—ありがとうございます。今まで良しとされていたものを、ずっと続けているだけだと、もうダメですもんね。

振り返って後悔しない選択を

近藤先生:やればやるほど新しい展開が見えてきます。どこかで止めてもいいんです。もう大学の教授だし、これ以上社会的な地位として上はもうないかもしれないです。しかし、それだと面白くないです。「これワクワクする!」に出会うと、飛び込むととてもワクワクするけど、それ以上に危ないものが出てきます。そこで、「えい!」と勇気をふり絞るんです。

—覚悟の決め方はあるのでしょうか。

近藤先生:究極は、「かっこよくなりたい」だと思うんです。つまり、何かをやった後で、「その選択肢を選んだ自分すごい」と思えるどうかです。そう思える選択はほとんどが危険です。無難な選択をすると、安定かもしれないしイージーですが、後で振り返った時に思い出したくなくなるんです。

—面白いですね。「チャンス逃してしまった」と後から後悔することありますもんね。

近藤先生:人間が幸福になる最大の要因の1つも「自分のことを自分で肯定できるか」です。危険で、怖いと思いながらも、挑戦してみることで後から幸福になります。


とても面白かったです。近藤先生ありがとうございました。

キラキラした部分だけじゃない、先輩研究者の皆様の不安だったこと、悩んだこと、どうやって乗り越えたかをどんどん発信していきます。
次回もお楽しみにしていてください。

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