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深夜に食べるカレーの殺人的な旨さ

 いつからこの習慣が身についてしまったのか。それはおそらく抗精神病薬であるジプレキサが処方された頃だろう。僕は二十歳過ぎたあたりから精神の調子を崩し、一時は持ち直して、大学を卒業後、新卒で一般企業に就職した。ブラック企業とまでは言わないが、ホワイト企業とも言い難い、とにかく残業の多い会社だった。平均残業時間は70~80時間で、毎日10時頃まで残業し、土曜日も出勤して、仕事しかしない日々を送っていた。そんな中で僕の唯一の楽しみは、仕事帰りに回転寿司に行ったり、ココイチの大盛りカレーを食べたり、マクドのダブルチーズバーガーを食べたりすることだった。はっきり言ってこんな食生活をしていたら太るに決まっている。入社して1年で、僕の体重は10キロ増えた。しかし、これは僕が現在のジャバ・ザ・ハット化に至る序章でしかなかった。

 ある時、僕の勤めていた会社が大口の取引を行った。それに伴い、従業員全体に大きな負担を強いることになった。僕も例外ではなかった。70~80時間の残業は150時間近くまで膨れ上がった。慣れない他の部署の仕事もするようになり、その状態が数ヶ月も続くと、僕はそこで限界を迎えてしまった。朝起きようとしても身体が痺れて全く動かなくなってしまった。立ち上がることも困難になっていた。どうしようもなく、体調不良ということでそういう日は休むことにしたのだが、そんな日が、2日、3日、5日、8日と増えていき、とうとう有給休暇を使い果たしてしまった。

 そんな僕を見かねて、当時の上司が休職を勧めてくれた。僕の体調のことをすべて話したら、とても親身になって話を聞いてくれて、傷病手当金のことを教えてくれたりして、とても助かった。

 休職してしばらくして、僕は精神病院に入院することになったのだが、その上司はお見舞いに来てくれたりもした。本当に良い上司だったと思う。これを見ることはないだろうが、ここで感謝をしたいと思う。ありがとうございました。

 だが、治療の甲斐もなく、僕は休職期間が終わるまでに復職できなかった。復職をしようとしたが、身体が動かない、という症状は完全には治っておらず、休む日が少なくなかった。人事から病状が改善されてないと判断され、依願退職することになった。僕は逃げるように職場を後にして、晴れて無職となったのだ。

 その頃から僕の体調はさらに悪化することになった。体調を崩した当初のように身体が動かなくなってしまったのだ。「働きたくないでござる」などと言っていた僕だが、失業はそれなりにショックな出来事だった。そこで処方されたのが、先に述べたジプレキサだった。主治医からは「活動的になる薬」というような説明を受けていた。確かに活動的になった。食欲的な意味で。

 ジプレキサを処方されてから、僕は甘いものを食べずにはいられなくなった。特にチョコレートが無性に食べたくなった。気がついたらチョコレート菓子を2箱、3箱、4箱と食べ続けていた。タバコを吸いながらチョコレート菓子を食べると美味しく感じた。母には「とにかくチョコレート菓子をたくさん買ってきて欲しい」とお願いしていた。チョコレートを食べないと精神的に落ち着かなくてイライラするようになり、肉体的な疲労感で苦しめられるようになった。

 さらに時間が経つと、チョコレート菓子を食べるだけでは満足できない身体になっていった。甘いもの(炭水化物)を食べないと身体がしびれて力が入らないような状態になり、歩くことも困難になっていった。何故か、何かを食べればその状態は良くなる気がしたし、実際に身体の調子は良くなった。夜な夜なキッチンに赴いては買い置きしてあるカップラーメン、インスタント食品、缶詰、冷凍食品を漁るようになっていった。多い時は、カップラーメン3個、インスタントカレー5個、缶詰3個、冷凍食品5袋を一晩で平らげてしまったこともある。

 キッチンに食料がないときは調味料を食べていた。マヨネーズ、ケチャップ、砂糖を啜っていた。「啜っていた」などと可愛いものではない。買い置きしてあるマヨネーズのチューブを何本も食べ漁った。キッチンに本当に食べられるものが無くなった時は、押し入れから、買い置きしてある新しい砂糖の袋を開けて、そのままむしゃむしゃ食べていた。食べなければ身体が動かない、痺れて麻痺した状態になってしまうという症状が、強迫観念となり、僕を突き動かしていた。

 そして3ヶ月ほど経って夏から秋に季節が変わろうとした時、服が全く自分のサイズに合わないことに気がついた。無職になってからというもの、ほとんど家から出ることがなく、ずっと部屋着で過ごしていたため、体のサイズが変わっていることに気が付かなかったのだ。体重計に乗ってみたら、復職しようとした時には70キロ程度だった体重は、軽く100キロを超えていた。3ヶ月で30キロ以上体重が増えていたのだ。身体の変化に全く気が付かなかった。

 いや、体調の変化はあった。パンツがとてもきつくて、足回り、腰回りが痛かったし、お腹の調子も悪く、下痢ばかりしていた。だがそんなことはお構い無しだった。自分の体調に無頓着であったのだ。

 ここで初めて主治医に相談した。「主治医も気づけよ!」とは思うが、病院にもまともに通院できない状態であったため、それも致し方ない面もあったかもしれない。その日を境にジプレキサは中止となった。

 異常な食欲(食欲と呼んでよいのかわからないが)はある程度は収まった。少なくとも砂糖をそのままむしゃむしゃ食べるようなことはしなくなった。しかし、夜食を食べるという習慣はすっかり自分のものとなってしまっていた。多少は改善したとはいえ、夜食を食べる行為は一向に直らなかった。具体的に言えば、カップラーメン5個くらい食べていた状態から、カレー二杯食べるくらいで満足できるようになった、というところだ。

 言い訳するようだが、通常の空腹とは全く異なるのだ。僕は元来我慢強い方だと思う。過去に、まだ体重が60キロ台だった頃、1ヶ月ダイエットを敢行して体重を7キロほど減らした実績がある。そのときに感じていた空腹はまだ耐えられた。
 今僕が感じているのは空腹とは違うもの、食べないと気持ちが悪い、食べないと眠れない、食べないと精神が不安定になる、そういうものなのだ。だから夜食を食べないようにすることのハードルがとても高い。
 そんな生活が1年ほど続いた。

 ある時、病院で血液検査をした。肝臓の値が異常な数字を示しているので、内科で再検査してほしいとのことだった。
 内科で再検査してみると、脂肪肝と診断され、初期の糖尿病とも言われた。脂肪肝はだいたい想像がついていたが、糖尿病と言われたのはショックだった。肝臓がんの方がマシだった。がんは放置していれば数年で死ねるが、糖尿病は一生苦しむだけでなかなか死ぬことはない。手足が腐り、苦しみながら死んでいくことを想像したら、とても怖くなった。

 もう一つの出来事があった。大学の同期が結婚することになったのだ。人生で初めて結婚式に招待された。そこで集合写真を撮ったのだが、後日それを見返してみると、自分の姿があまりにも醜くなっていたのだ。その姿はとても醜悪で、まるでジャバ・ザ・ハットのようだった。体調を崩してから数年経っていたが、一度も自分の写真を撮って見たことがなかったのでとても驚いた。まさかここまで醜いものだとは思っても見なかった。

 この2つの出来事を機会に、僕はダイエットをすることを決意した。決意したのはいいのだが、なかなか行動を改めることができない。どうしても夜食を食べてしまう。
 だが、夜食を食べる量を調節して、あまり食べすぎないようにすることにした。体重は10キロほど落ち、内科の再検査でも血糖値も適正な値を示し、糖尿病からは脱した。

 しかしながら、依然として自分が醜いことには変わりがない。90キロ台に体重は落ちたとはいえ、ジャバ・ザ・ハットのような外見はそれほど変わらなかった。

 現在も夜食を食べてしまう。意識して食べないようにはしているが、深夜に食べるカレーがとても美味しく感じ、食べないと胃から口にかけてとても薬臭く、食べないと落ち着かず、食べないと眠れず、そんな日々を送っているため、どうしても食べてしまうのだ。

 唐突だが、「女の子とセックスしたい」この欲望が最近とても強くなった。体調が回復してきたこともあるのだろう。だが、ジャバ・ザ・ハットでは、どんな女の子も相手にしてくれない。風俗嬢だって相手にしたくないだろう。風俗に行くのにもお金がかかる。こんな体型ではどんな仕事だって務まりはしない。

 「セックスしたい」という欲望によって、ダイエットの決意はますます固くなった。そして今日も100キロ近い身体で家の周りを走ってダイエットに勤しんでいる。夜食を食べない日も増えた。

 全てはセックスのために。夜食の克服が当面の課題である。

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