ヒトナミ
難易度が高めの人生を匍匐前進しておりますわとりです。
自己肯定感を育てるより奴隷根性にステ振りされた子供時代を経て、立派なアダルトチルドレンとして社会に出航しましたが、中学くらいの頃に「この家がおかしいのであってわとりが悪いわけではない」と強く思えたことはこの救われない人生のうちの小さな灯りでございます。
わとりが小学校入学前、自宅で父が寿司を握ると言い出したことがありました。ご飯を一口大に握って、刺身を乗せるほうです。
わとりは好奇心が強いほうで、やりたいやりたいとお願いしました。父は大きな声で「お前にできるわけないだろ!」と怒鳴りつけ、怒鳴られたわとりはもちろんわーっと泣き出したのでした。
それを見ていた母が「一度やらせればできるかできないか自分で分かるでしょ」と助け船とも追い打ちとも言えない一言を挟んで、わとりは酢飯を握りました。父が作ったものを見て、それになるべく近づけようと。
もともと割と器用なほうで、おそらく父が思っているよりうまく握れたのだと思います。自分でも上出来だ、ほらできた!と思っていました。
父は「ほれ見ろ。気が済んだならあっち行ってろ。」と少しトーンを落としてわとりをそこから追い出しました。その勢いの削げた言い方に、父は自分が思っていたより娘が上手に握れたと本当は思っているんだな、と感じました。
だけど決して褒めてはもらえない。
その後も何度も言われ、今も耳に残る父の否定の言葉。
お前にはできない、お前には無理、無駄だ、そんなことやってどうする、お前なんかにかける金はない。
反抗心をもちながらも、日々上からなぞり書きされて濃く深く刻まれた無力の呪いは、生きる意味も奪っていきました。そうやって自分として生きられず失われた時間のことを思うと、今でもはやくこの人生が終わって欲しいと願わずにはいられません。
できれば家族の面白おかしいエピソードとか書き綴って人気noteライターになりたかった…!
それはともかく、社会に出るにあたって「無理無駄おまえなんか」の声は、無意識の中でずっとわとりを貶めつづけました。
でもそれでは、家から逃げて生きられない。
この環境をどうにかしたいと思ったらやるしかない。
あたらしい環境に身を置く時。あたらしい職場に、新しい人間関係に、あたらしい住まいに一歩足を進める時。
周囲を見回して自分に言い聞かせる。
「ここでほかにも働いてる人がいるなら私にもできる。」
「ここに暮らしてる人がほかにもいるなら、私にも居場所がある。」
わとりを否定し続けた父、家政婦のように使った母でも、この社会で生きてた。
わとりに加害した男も、いじめた女も当たり前の顔でこの世界でご飯を食べて生きてる。
それならわとりにだってその権利がある。
自分以外の誰かがそこに生きてることを意識する。
決して正しくも優しくもないたくさんの人たちが笑ったり泣いたり、だましたり騙されたりして生活しているのを見つめる。
それが自分を殺さないで生きていくためのわとりの習慣です。