自然な感情を守り育てること

朝から雨が降っている。春の雨。雨は優しく、水音の静けさが、ヴェールのように空気を覆い、胸に沁みていく。

昨日は一日かけて長文の記事を書いたので、目覚めても少し目がチカチカする。夜の間にいいねをくれた人の記事を見に行くと、同年代で大事な人も仕事もある人が何人かいた。みんな、自分の感情がわかっていて思いのままに人生の選択ができているし、大人の職業人としての顔、社会とのつながり、大切に育てている感情があって、豊かな世界だと思った(あ、感情が言語化できてる!)。

比べて私は何もないし、経験を次に繋げることができていない。ただ、自信を失って立ち止まっているだけ。でも、こうしているうちにも時間は過ぎて若さはなくなっていくし、心も能力も成長、変化し続けている人を見ると、焦る。同い年の友達も結婚したし、みんなどんどん進んでいく。変わっていく。自分の人生を自分のものとして形作っている。色々な経験をして落ち着き始めた人も出てくる、25歳。私は私生活で人と濃い関係を築いて泣いたり笑ったりすることが少なかった。語るべき人生が発達障害とアルバイトでの否定で自信を失ったこと、そこからの暗黒の五年間しかない。主な登場人物は自分だけ。人間関係に深く入り込んで悩み、自分の色々な面を知ることがなかったし、仕事(大学生までは勉強、将来)の不安だけで、あまり他の感情を持つ機会がなかった。いや、機会はあったけど、意識がそこに向かなかった。今思うと、なんて一面的な、貧しい時間だったことか。もっと色んな事に挑戦したら良かった。苦しむばかりでなく、自己実現が上手くいかない葛藤も、誰かに対する深い愛情や喧嘩も、趣味の楽しさも、同時に色々なことを抱えて、多面的な人になることが私のすべきことだった。

私は人生経験が少ないため、話し方は堅いけどどこか幼くて、年齢に気持ちが付いていっていない。話し方を緩めれば、自分は大人のポーズすら取れなくなってしまうような気がする。大人であることと楽しんで生きることの両立の仕方がよくわからず、歳を重ねることにただ不安を感じている。何か持たなければ。まだ20代で、自由が多いはず。まだぎりぎり、幼くても受け入れられるかもしれない。今のうちにもっとたくさん、失敗や成功体験を積んだり、色んな人に会って世界を広げないともったいない。

でも、正直、自分は何がしたくて生きているのかわからない。自分の感情をよく理解し活動的で密度の濃い生活を送っている人に近づきたいと思うけれど、自分のことがよくわかっていなくて、どうすればいいのかわからない。この、実家にいて、働いていなくて楽しみも何もない毎日からどう抜け出せばいいのかわからない。誰か、助けてください。


ただ思うのは、自然な感情を受け入れることは大事だと思う。今は鬱病だったときと違って、何もしていない時間を長く感じている。鬱の時は時間の感覚すら感じられないし、「退屈だな」というような感情はない。ずっと、自分は無能だ、何もできない、これから一体どうすればいいのかという考えに集中していた。起き上がることすらできなくて働けないし、ご飯も食べられない。本当にずっと布団の中にいても、何も感じない。働き始めてからも、仕事以外の時間はぼーっとして何も感じられなかった。でも、今は、何もないまま歳を重ねていくことに焦っているし、「何かしたい」という気持ちが出てきている。鬱病だったときはよく平気でいられたなぁと思うくらい、何もない毎日がつまらない。何をすればいいのかわからないけど、鬱病の意欲低下とは違うように思う。今は人生がリセットされたような白紙の状態で、道筋が見えないのだ。具体的なことはまだイメージできないけど、もっと、辛いことも楽しいことも両方ある豊かな人生を送ってみたい。働いていないのに欲求を持つ資格はあるのか、働きもせずに家にいる間は暗くしていないといけないなんて思うけれど、自分の気持ちに正直であることを許してあげたい。明るい気分になることもあるし、外に出たくなるときもある。そんな、自然に出てきた感情をジャッジして抑え込まないようにしたい。今は鬱病でもなくて、ただ何をすればいいのかわからないだけの引きこもりなのかもしれないけど、そんな自分を受け入れたいと思う。これからは、自分の気持ちに正直に、恥ずかしいところ、情けない部分も人に見せていこうと思う。人からの否定を怖がらず。正しさ100%でできていない、立派でもない、これが私なのだから。ごまかさずに、今の自分も責めずに自分を育てていこう。

感情を殺さずにありのままで、いつしか大切なものが確かにある豊かな毎日を送れるようになれたらと思う。

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