研ぎ澄まされた美
私の美の基準は「極限の簡素化」である。酒も花も言葉も、無に近ければ近いほど良い。和歌に惹かれるのも簡素の美がゆえだろう。
装飾を削り落としきると、張り詰め、鋭利で澄み切った空気が現れる。
そこにはごまかさない覚悟、強さがあって、しゃんと一人で立っている姿が目を惹くのだ。
例えるなら、椿の一輪挿し。大学生の時に華道部の付き合いで行った、下鴨の三井別邸を借りての展示会で見た、黒い細口瓶に活けられた一輪の椿。一輪だけだからこそ、花の向き、枝の色合い、葉の数、入射の角度、全て計算されていて、濃茶の錆びた風情のある木肌の枝は、ゴツゴツと固まった釉薬の黒とスッと伸びた立ち姿が特徴のシンプルな投げ入れ瓶に馴染み、有機物と無機物の接点の違和感を感じさせない。あえて口との間に空間をあけて伸びた枝は、幾何学的に幾度か折れ、鮮やかで光沢のある肉厚の葉のアクセントを付けながら、深紅が艶やかながら七分咲きで神秘的な花部に繋がる。枝の流れや空気まで無駄なく利用しきったこの作品は忘れられないものの一つである。他に華やかな盛り花が並ぶなか、奥まった暗い場所に活けられた質素なその花は、人々の足を止めさせる力を持っていた。淡いかげに、強く、光る、黒と赤。
ふと、あの椿を思い出していた。冷えた風に深まる秋、賑やかに咲き誇っていた植物たちが枯れ、景色が削られ、研ぎ澄まされていくのを感じながら。
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