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『ポーランドの人 』 J.M.クッツェー (著), くぼたのぞみ (翻訳) 本文200頁ほどの中篇だが味わい深し。かなり高齢(70代後半)単身男性ピアニストと49歳の知的な家庭ある女性の恋(というか男性側からの一方的な恋)を女性視点側から描く。クッツェーは執筆時82歳高齢男性なのだが、その手際は。

『ポーランドの人 』 2023/6/1
J.M.クッツェー (著), くぼた のぞみ (翻訳)

Amazon内容紹介 

があまりに長いので初めの方だけ

究極の「男と女」を描く、クッツェー最新作!
英語版に先駆けて刊行!
 物語に登場する「女」は、バルセロナの音楽サロンを運営する委員会のメンバーであるベアトリス。「男」は、ショパン弾きで名を馳せ、サロンに招聘されたポーランド人の老ピアニスト、ヴィトルトだ。ショパンの「前奏曲」を弾く彼は、ダンテの信奉者でもある。ヴィトルトはベアトリスに一目惚れして、ポーランドに帰国した後も、彼女にCDや恋文を送り続ける。よき夫がいて息子は成人し、孫もいる49歳のベアトリスは、ショパン弾きのヴィトルトの求愛をばかげていると思いつつ、その言葉や、音楽、自分への好意の示し方に興味津々に反応するうち、マヨルカ島の別荘にヴィトルトを招くことになるが……。
 80代になったクッツェーが、ベアトリスの視点から求愛される心理を細やかに分析的に描き出そうとする。

Amazon内容紹介

本の帯のほうが、小説の雰囲気を伝えているなあ。

「ときどき確かめたくなることがあるものなんですよ、女って。自分がまだ魅力的だって証拠が欲しくなる。」 
クッツェー最新作 ショパン弾きの老ピアニストがバルセロナで出会ったベアトリスに一目惚れ、駆け落ちしようと迫るが…。
 求愛する男と求愛される女のすれ違う心理に迫る、ピリ辛ロマンチック・コメディ!

本の帯

ここから僕の感想

 高齢のノーベル賞作家が、死に近いくらい高齢の老人男性主人公の恋(と性)を描いた小説、というのを、昨日のガルシア・マルケスの『わが悲しき娼婦のたちの思い出』に続いて、二日連続で読んでしまった。偶然なのだが。

 これが出版された2022年、クッツェーはもう80歳を超えている。主人公のポーランド人のピアニストは70代後半。作者自身と同じ年齢という設定だと思う。昨日のマルケスの方は男性が90歳で相手の女性が14歳とマルケスらしい荒唐無稽設定だったけれど。こちらの小説では女性は49歳の知的で裕福な既婚女性で、この女性視点で小説は語られていく。(一人称独白ではなく、神の視点が主に女性心中に寄り添って語られていくのがメインである。意図的に語り手は揺れる。)彼女には子どもも二人いるし、孫までいるという現実的にありそうな設定である。

 クッツェーには『エリザベス・コステロ』という架空の高齢かつ高名な女性小説家を主人公、ないしは語り手とした連作があり、この前感想を書いた『モラルの話』という短編集も、半分くらいはこの女性作家が主人公であった。また、南アのアパルトヘイト廃止前の暴力的時代に、高齢白人女性を主人公とした『鉄の時代』という小説もある。

 クッツェーの小説の男性主人公は、恋愛においても性的関係においても、男性中心主義と言うか、女性に勝手な幻想を抱いて暴走するタイプが多いが、そういう男性の身勝手さを女性主人公側から冷徹に批評的に描く、ということもずっとやってきた作家である。

 クッツェーの女性視点での語りが、女性読者が読んだときに、どの程度納得できるものなかは、僕には分からない。が、それを理解したい、その視点から自分の男性中心主義的思考言動振る舞いを批判的に把握したいという欲求がクッツェーには強くあるように思われる。

 そんなクッツェー(マルケスと違ってまだ生きている)が、「そろそろ死を意識する年齢になった高齢男性の恋」というのを、女性の、冷静だけれど、しかしけして冷たくはない、情熱的ではないけれど親切な人柄が感じられる視点から描いていく。なんだかその視点とか書く温度感が素敵、それがこの小説の最大の魅力なのである。そこを楽しみながら読んだ。

 老ピアニストはショパン弾きとしてある程度の名声を持つ。のだが、この女性、老ピアニストの弾くショパンに全然魅力を感じない。(話は脱線するが、小説に出てくる楽曲についてYouTubeで検索していろんなショパン弾きのショパンを聞きながら読んでみた。こういう感じかな、この人の感じかなとか。)そもそも夫とやや距離ができているとはいえ、平穏な夫婦生活をしていて独立した二人の息子とも良好な関係にある。家庭を乱す気などまるでない。そのうえ、その音楽に全く心も動かない。とすると女性の側に、老ピアニストとどうこうなるという要素はひとかけらもない。

 また、ピアニストはスペイン語は話せず、女性とは堅苦しく不完全な英語でしか会話できない。女性も英語は若いとき2年間の留学をしたので不自由ないとはいえ、母語ではない。

 そもそも恋愛する要素がなく、言葉でのコミュニケーションも不全である。のに、年老いたピアニストは、ダンテの神曲のベアトリーチェのような運命の女に出会った、これからの生涯を共に過ごして欲しいと積極的である。近くの音楽学校で教えることにしたから会いたい。ブラジルへの公演旅行に同行しないか。なにかと誘いのメールを送ってくる。(話は脱線するが、訳文で「手紙が来た」とされることもあって、「メール」と「手紙」が混在する。こういうときは紙の手紙かなと思うが「すぐ削除した」とあったりするから、手紙と訳されていても、電子メールである。80歳近くても、やはり今時だし、世界を旅して回るピアニストだから、電子メールなのだなあ。そりゃそうだよな。本筋とは関係ないが、そう思った。昨日のマルケスの小説主人公は新聞にコラムを書いているが、手書きで書いたものを、とつとつとタイプライターに打っていたが、最後のほうでは恋心を書いたコラムを、手書き原稿をそのまんま画像として新聞に載せるようになって大評判になるという面白展開がある。老人にとって、書くという行為と、その手段というのは、ひとつ大事なことである。特に愛を語る文章を何でどう書くが。)

 話は戻って、「これからの人生を共に生きてほしい」なんて言われても、しかし、女性からしたら、老ピアニストはもうすぐ要介護になりそうなおじいちゃんであるから、「死ぬまで介護してくれ」と言われているようにも感じられてしまう。

 さて、どうなるのでしょう。というのが、なかなか素敵な展開である。というか、小説家としてクッツェーは本当に上手いなあと思う。本文200ページに満たない、中篇というくらいの長さだが、なかなかに劇的展開からの深い余韻を残す。

 最後のあたりではカズオ・イシグロが『忘れられた巨人』ラストで語ったのと同じ、老人男性側の切実な願い、テーマが扱われ(どういう願いかは下にリンクを貼ったnoteに飛んで読んでいただけるとありがたい)、それを女性がどう考えるかという、ここでも「男女温度差」が書かれているのだが、繰り返しになるが、ここでの女性の温度感が、熱烈ではない、きわめて冷静なのだが、しかし冷たくはない。ほどよく温かい。暖かい。そこがとても良い。

 僕の友人皆さんは高齢者の区分に入りつつある方が多いと思うので、これからの先を考えるのにも、なかなかおすすめであります。家庭に波風立てる気は全くない方も、この先も恋愛ありだと思う方も。どちらにもお勧めです。


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