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『エリザベス・コステロ』 J.M. クッツェー (著) 鴻巣 友季子 (訳) クッツェーのひねくれねじれ具合炸裂の文学論作家論小説論を複雑な構造で、最終的に小説の形で語った短編集。文学は何をどういう構造で語りうるのか、その可能性を縦横無尽に語っています。「アフリカの人文学」での人文学論、最高です。

エリザベス・コステロ 単行本 – 2005/2/1
J.M. クッツェー (著), J.M. Coetzee (原著), 鴻巣 友季子 (翻訳)

Amazon内容紹介

文学の本質を探求する作家の業を描き、欧米の読書界騒然、ノーベル賞作家の問題作。オーストラリア生まれのエリザベス・コステロは、『ユリシーズ』に着想を得た『エクルズ通りの家』で世界的に知られる作家だ。六十も半ばを過ぎてなお、彼女は先鋭的な発言をし、行く先々で物議を醸す。ある文学賞授賞式のためにはるばる渡米したときは、スピーチやインタビューで棘のある言葉を吐き、付き添い役の息子とも意見を闘わせる。また文学講師を務める世界周遊の船では、旧知の作家と再会しても、彼の作家としての姿勢、文学論に異論を唱えてしまう。人道活動家の姉ブランチが住むアフリカでは神と文学まで話が及び、さらに神話やエロスについて考察を深める。文学シンポジウムに出向けば、批判的に取り上げようとした作家本人が出席することが判明し、角を立てまいとスピーチを書き直すべく徹夜するはめに…。『恥辱』で二度目のブッカー賞を受賞した著者が、架空の作家エリザベス・コステロを通して小説とは何か、作家とは人間とは何かを問う、審判の書。

ここから僕の感想

 鴻巣友季子さん翻訳のクッツェー作品、『恥辱』ももちろん読んでいて、『イエスの』シリーズの三作目を心待ちにしているところなのだが、この前、鴻巣さんのツイッターでこの本について何やら書かれていたので、読んでみた。

 クッツェー作品は(鴻巣さん訳以外の作品も)、日本語で読めるものの半分以上は読んでいると思うのだが、主人公のひねくれっぷりが、主人公が男性でも女性でも、子どもでも老人でも半端ないところが、いつものことながら。

 これは、本の成り立ち自体のひねくれ具合がまたすごい。

 60を過ぎた老女性作家、オーストラリア人、いくつか賞を取った有名作家ではあるのだが、紹介される時は若い時の出世作でしか紹介されない。世界各所での様々な場所での講演会で語られる文学論と、そこでの出来事、知り合いとの出会いや議論、思い出される過去、そういう短編が6章。

 鴻巣さんの巻末解説によると「架空の作家の講演」という中身で、クッツェー自身が大学で講義する、その講義録をクッツェーが小説という形で再編集したもの、なんだそうだ。

 第一章の「リアリズム」は、そういう意味では、「小説作法」的内容になっていて、おお、この先もさまざま小説作法が続けば、クッツェー先生のガイダンスに従って、僕も小説書けるかな、なんて思ったが、二章からは、もう全然、違う展開。予想もつかない、一章ごとにだんだんと、自由にいろいろ逸脱してくるのだ。どんどん小説ぽくなっていくの。そして最後からひとつ手前の「門前にて」ではもう、ああ。言わんけど。

 そしていちばん最後についている「追伸」というのは、どう読んでいいのか。そもそもの成り立ちが、また複雑な。『チャンドス卿からの手紙』という、ホフマンスタールという作家の書いた小説。それがチャンドス卿からフランシス・ベーコンへの手紙、と言う形をとる小説なんだそうだが、その中の手紙の一節を引用しつつ、その妻が、その手紙についての弁解弁明の手紙をベーコンに送った、という手紙をクッツェーが書いてみた、という章なのだ。ん?ここにこの小説全体の主人公、エリザベス・コステロはいないなあ。しかし、このチャンドス卿の妻の名前がエリザベスで、エリザベス・チャンドス、エリザベス・Cで、頭文字は一緒。

 さらにいうと、エリザベス・コステロが、どの講演会に行っても若い時の出世作でしか紹介されないと書いたけれど、その架空の小説『エクルズ通りの家』というのは、ジョイスの『ユリシーズ』の主人公のブルームの妻モリーを主人公に書かれたものだ。有名な小説の主人公の妻を借りて、新しい小説にするということを、最後に「追伸」でやってみせる。そして、そこでまた、文章表現について語らせている。という、何重にねじれているのか、この小説は。クッツェーと言う人は。

 そうなのだよね、文学、特に小説と言うものが、どういう成り立ちで何について書かれる(あるいは書いてはならぬ)ものかについての、方法論とテーマの可能性について、わずか200頁ほどの短編集なのだけれど、もうそのひねくれ具合と言ったら、さすがクッツェーなのでありました。

 個人的には、南アフリカの修道院のシスターとして、貧しい人、エイズの人、子どもを救う病院の役員として働き、その体験を本にして有名人になったエリザベスの姉ブランチ。彼女がその功績に対して名誉学位を授与される、その授与式というのにエリザベスも招かれて、「人文学(ギリシャ・ローマの人間中心主義を復活させた思想文化運動)をカトリックの立場から批判する姉と、人文学、特にギリシャ的立場から擁護するエリザベスの論争を描いた「アフリカの人文学」。「人文学」というのが、「キリスト教」との対立概念であること。「人間学」ではなく「人・文・学」文についての学であること。つい最近、『人文主義の系譜: 方法の探究 』木庭 顕著 というのを読みかけていたおかげで、議論されていることのややこしさだけはよく分かった。それに対するクッツェーらしい後日譚での落ちのつけ方、びっくりした。クッツェー流石、でした。

 ウクライナの戦争以降、落ち着いて小説を読めず、「この薄さなら一気に読めるかなあ」と手に取ったら、薄さのわりに中身が濃くて超ヘビー級。しかし、ものすごく面白かったので、一気に読めちゃいました。現実に過酷な戦争などがある中で、小説を書き続けるという(読み続けるという)ことの意味も、この中で問われている問題の一つなのだな。

 人文学、文学、小説というものを人生でいちばん大切なものと考えて生きるということ。それを選んだ人には、必読の書でした。

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