まんがで『失われた時を求めて』読破しちゃった日に、たまたま同時に読み終えたミシェル・ウエルベック『セロトニン』が、いろいろ偶然シンクロしすぎていて驚いた。
Amazon内容紹介「マドレーヌを口した瞬間、少年時代の記憶が甦る奇妙な感覚。「私」の成長とともに描き出される、第一次世界大戦前後のフランス社交界の人間模様。それは「私」の失われた時を探し求める長い旅の始まりだった…。独自の時間解釈と記憶に対する見解を提示し、20世紀の文学・哲学概念を変革させた傑作大長編小説を漫画化。」
「まんがで読破」シリーズという、内外の文学思想の名作を漫画にして読んじゃうシリーズを妻が買いそろえてはトイレに並べていて、僕も、すごく有名なのに読んでいない名著はたくさんあるので、こいつは便利と、毎日、なんか読んでいる。
世界でいちばん手ごわい小説と言われているプルースト『失われた時を求めて』、当然、読んでいなかったのだが、今日、トイレで発見して手に取った。まともに小説で読んだら文庫本で、岩波だと3冊、集英社だと13冊ってどうしてそんなに量が違うのかよく分からないが、漫画だと分厚いとはいえたった一冊、ええい、読んでしまえ、まんがで。読んじゃった感想は、次のミシェル・ウエルベックの最新作の『セロトニン』の方で一緒に書きます。
『セロトニン』 (日本語) 単行本 – 2019/9/26
ミシェル・ウエルベック (著), 関口涼子 (翻訳)
Amazon内容紹介
「巨大化企業モンサントを退社し、農業関係の仕事に携わる46歳のフロランは、恋人の日本人女性ユズの秘密をきっかけに“蒸発者”となる。ヒッチコックのヒロインのような女優クレール、図抜けて敏捷な知性の持ち主ケイト、パリ日本文化会館でアートの仕事をするユズ、褐色の目で優しくぼくを見つめたカミーユ…過去に愛した女性の記憶と呪詛を交えて描かれる、現代社会の矛盾と絶望。」
さて。さっき書いたように、「まんがで読破」でプルーストの『失われた時を求めて』をたまたま読破しちゃった日に、ここ何か月か半分ほど読みかけてほったらかしていた『セロトニン』残り半分を読み切ったのだが、なんたる偶然。この小説、『失われた時を求めて』へのオマージュ、というか、ウエルベック版『失われた時を求めて』だったのでした。こじつけとかじゃなく、本当に、作品最後の方に、小説の中にちゃんと、そう言及してあり、解説でも、そういう風に解説している。
いつものようにウエルベック小説の主人公は、いろいろあからさまな女性関係の積み重ねの果てに、人生後半で独りぼっちになって途方に暮れるインテリ男性、というパターン。その総集編のような小説なわけでした。人生を、女性遍歴を回顧しながら人生の意味を考えるというのは、まさに『失われた時を求めて』なわけです。
前作『服従』では、フランスにイスラム政権が生まれて、イスラム教への改宗を迫られるというか考える大学教授、という設定が話題を呼んだわけですが、今作では環境生命科学工学院という理系エリート大学を出て、モンサントに就職した後、フランスの農業関係の公的機関で、農業政策、EUの農業政策なんかに関わる仕事をしていたエリート中年男性の、女性遍歴の末の人生のどん詰まりを描いていきます。
ちょっと前に書いたカズオイシグロ論での「政治、仕事での失敗・後悔」と「愛情生活での失敗・後悔」を、記憶を通して描く、という基本構図、そのまま、このウエルベック小説にも当てはまるので、これは現代の欧州の純文学的には王道のテーマなんだろうと思います。
カズオ・イシグロの英国的上品さと較べると、ウエルベックの「白人男性中心主義丸出しの、露悪的アプローチ」はいつものことながらハラハラさせられます。露悪的、としか言いようがない。これがベストセラーになるわけだから、フランスというのは、なんというか、アングロサクソンとは本当に全然違う文化なんだよなあと思います。
EUの農業政策の中で、フランスの農家、酪農家が追い詰められていくという時事的問題は、ちょうど日本の種苗法改正とそれへの反対運動が話題になった折なので、僕もちょいと勉強したところだったし、何せ、モンサントですから、そういう意味で、社会的にホットな話題を小説に取り込むアンテナの鋭さというのは、いつものことながら、流石です。
しかし、それが中心テーマかというとそうではなくて、中心テーマは、冒頭、書いた通り、愛情生活にしか人生の幸せを見いだせない個人主義のいきつくところまでいった現代フランスで、それをつかみそこねて人生後半を迎える悲劇を、丸出しに誠実に描く、というものです。あのときどうして、ということの後悔。取り返しようのないいくつかの選択。
この先には、あとは死しかない、という人生の終盤を見つめる、絶望的なのになんというか客観的に自分を観察する視線が、ひどいんだけどすがすがしい。最低なんだけれどすがすがしい、というこの感じは、ウエルベックの最大の特徴、美点だと思います。僕の、そして僕の友人たちの年齢は、まさにウエルベックに最適の年齢ではあるのですが。どうだろう。ちょいとつらすぎるかも。そして、女性には、「この男、本当に最低」としか思われないような気もするが。フェミニズムもポリコレもあったもんじゃない、ひどい話ですので。
でも、フランスではベストセラーなんだよな。僕は好き、大好きなんだけど。
『失われた時を求めて』の小説版は、死を前にして他に何にもやることがなくなったら、最後の最後に読むことにしようかなあと思います。
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