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入口

カウンセリングに行きました。カウンセリングを利用するのは初めてです。行こうと思ったきっかけはこちらの記事にあるように職場での出来事でしたが、相談のメインは、職場の話ではなく、子供のときの話に自然と向かうことになりました。


カウンセリングについては半信半疑でした。

あまり他人を信用しない性格ですし(よく言われる)、例えば触られるのが嫌だったり(彼女と過去に出会ったごく一部の人だけが例外ですが、それでも違和感があるし、本来は一番信用できるはずの親がまずだめ)、他人に恋愛感情を持つことがなかったりする(彼女は例外)など、恋愛とも似ていそうに思える心の内面を見せるカウンセリングはあまり向いていないのではないかとも思っていました。恋愛と似ていそうというのは勝手な想像ですけれども。

それでも、臨床心理士の人を探し、丹念にホームページを見て良さそうなところにあたりをつけ、予約をして、長らく行ったことのない少し離れたところ(でも懐かしいところ)まで出かけたのは、今、まさに必要なのではないかとなんとなく思えたからです。

詳細は省略しますが、1回目のカウンセリングで、氷解(という表現が一番しっくりくるように思える)の入口にはなんとかたどり着けたように思います。本当に良かった。ベテランの臨床心理士の方のおかげです。感謝しかありません。セッションの前半は私の感情が閉じたまま、まるで凍り付いたように感情が出てこないままだったので苦労されたのではないかと思います。閉じていた感情が少し緩んだきっかけは、(まさかそうなるとは予想もしなかったのですが)席を移動した後で視線の前に見えたクマの小さなぬいぐるみでした。

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私自身のためではあるのですが、感じていることを書いておきます。セッションで感じたことと、セッションが終わってから帰宅途中や家で感じたこと(家では彼女が感情の整理を助けてくれました)、その夜に見た夢や夢の名残りから感じたことが混ざっています。

虐待は自分が思っているよりも酷かったようです。そして、地面の下、もっと言えば、(まるでホラーやサスペンス映画のようですが)地下室の下に埋められているとしか思えない子供の自分は、考えていたよりも幼いようでした(6歳より前?。上の記事の出来事は9歳のとき)。酷いことに関係しているらしい、知らない女性の肖像画もその地下室にありました。ただ、この地下の部屋にたどり着いたときも私の感情は半分閉じられたままで、自分でも詳しいことはよくわからなかったのです。それでも臨床心理士の方といろいろ会話しているうちに、良いエピソードを拾い上げることができ、入口にたどり着くことができたように感じています。

いろいろ気になることが残っています。

肖像画の女性が誰なのかということはもちろんあるのですが、その地下にある石の部屋は、私がちょうど4歳から6歳ごろ(だったと思う)に毎晩のように苦しめられた悪夢に出てきていた部屋でした。このことは、カウンセリングを受けたその夜に見た夢で気付きました(夢が教えてくれたように思えます)。そして、感情が少し緩むきっかけとなったクマのぬいぐるみを見て、同じ6歳ごろの私に対してなぜある気持ちを抱いたのかも気になります(どういう気持ちであったかはちょっと書くことができません)。

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実は、次回の予約は入れていないのです。このまま過去のこと、地面の下にあるものを掘り返して、それが今の私や彼女(一番大切なもの)に良い影響を与えるのかがよくわからないのです。少し時間をおいて、(初回の予約をしたときのように)自然の感情に従ってみようと思います。

そして

あまり自分を客観的に注視し続けない方が良いように感じました。入口から先に進むことは必要であるように思うのですが、自分のことであるのに客観的に見るのを続けていると、感情がどんどん凍り付いて閉じてしまうのかもしれません(例えば、悲しいエピソードなのに泣くことができないのです)。臨床心理士の方に、自身のことなのに他人事のようですと指摘され、指摘を受けてみれば確かにそのとおりでした。

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気付くことはなかなか難しいことだと思うのですが、もし、虐待を受けているのではないかと少しでも感じることがあれば、住んでいる地域の公的機関にご相談されることをお勧めします。あなたには何の罪もありませんし、もし、誰かに相談することで家庭が壊れることになったとしてもあなたの責任ではありません。

相談が難しければ構わない。
でも、責任がないということは覚えておいて。