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本たちとの時間

最初に、ここしばらく感じているジェンダーの変化具合から。

8月はこういう感じでした。

その後、agenderにはならず、10月になるころにほぼfemaleの状態が少しあり、それからmaleが強くなってきて、今はfemaleが60-50%、maleが40-50%ぐらいで安定しています。おそらくはこの状態が、本来の私のベースだと思います。10代や20代の頃に「女の子が入っている」とか「乙女心を持っている」とか、今振り返れば酷い表現をされていた状態-しかし、今でも理解してもらえないであろう自信がありますが、最も馴染みのある状態-です。安定しているけど敏感で、周囲にあるいろいろなものやその変化や美しさを感じられて、たまに身体の違和感に囚われる状態。

ある種の自己完結のようでもあるこの状態は、例えば狩猟のために山の中に一人でいたり、草原を一人で移動するのにちょうどいいのかもしれません。技術的にはともかく、メンタル的には苦も無くできる気がします。

余談ですが、ジェンダーの変化の状態は性的な欲求にも影響するようで、ほぼfemaleの状態になると、特にagenderの要素が強くなるとほとんど無くなってしまいます。2週間以上何もしないでも全く平気。同様の場合に疑われるらしい更年期障害というわけでもなく、性ホルモン値は(下限ぎりぎりですが)正常値です。

生まれもってそうなわけで、「女性が入ってる」とか「女性ぽい」と今言われたら、「違う。こういう自分がただいる。自然にそうなだけ。そういう風に創られている」と答えるかな。当時は違う感じ方をしていたけれど。

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本を読むのが好きで、小学生の頃からよく図書館に通っていました。小学校の図書館が北側の暗い一角にあって、図書館に行くまでの廊下が昼間でも真っ暗で怖かったことも覚えています。就職してからは仕事が忙しかったこともあり、ほとんど読まなくなっていたのですが、自分自身のジェンダーについて整理を始めたことをきっかけに、読書の習慣が戻ってきました。

悪くない。これは、本当に悪くない。本を読むのはすごく楽しい。なのに、どうして仕事してると次第に本を読まなくなるのか?

ジェンダー関連では、ノンバイナリーがわかる本を読んだ後、歴史的な経緯や思想の変化に関する本をいくつか読みました。次に読むのは「トランスジェンダー問題-議論は正義のために」(明石書店)で、机の上に積んであります。この本はすごく評判がいいみたいです。装丁も素晴らしい。ところで、翻訳の高井ゆと里先生は、私がこのnoteを書くきっかけとなった方です。先生のツイートを見ているうちに、書いておこうと思い立ちました。


小説はいろいろ読みましたが、なかでも一番良かったのは「いずれすべては海の中に」。サラ・ピンスカーの短編集です。

各編とも淡くて深い余韻を残す話でした。そして読み始めたときは知らなかったのですが、登場人物には(作者自身が投影されているであろう)クイアのキャラクターが複数登場します。彼らの感情や物事の捉え方、人とのかかわり方は、とても自然で共感を感じるものがありました。例えば、描かれている彼らの好意や恋愛や性的な感情も、非対称的なものではなく、とてもフラットなものであるように思えます。このような共感は、小説にしても現実であればなおさら、これまであまり感じたことがありません。他者との関係がフラットであることは、とても貴重で大切なもののように思えます。



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