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始祖の社会学者、デュルケームの倒し方(武井壮風に)

デュルケーム。

彼は社会学を大きく前進させた、初期の偉大な学者です。「デュルケーム抜きにして社会学は語れない」と言われているほど、後世に多大な影響をもたらしました。彼の残した『自殺論』や『社会分業論』、『宗教生活の基本携帯』は、今もなお、それぞれの学問分野のバイブルとなっています。

正に「始祖の社会学者」「天才的名著製造機」それがデュルケームです。


さて、今回はそんなデュルケームの倒し方を紹介していきますね。


まずは、デュルケームのストロングポイントを知るために、彼が成し遂げた功績を見ていきます。彼の残した最大の功績、それはやはり「社会というものの見方」を決定的に変えたことにあるでしょう。

「社会とは一体何なんだろう。」この問いに真剣に向き合ったのがこのデュルケームです。

デュルケームが生きていた当時、殆どの人々は「社会とは人間が生み出したものだ」という考えに縛られていました。

「社会って、人間がいて初めて生まれるものでしょ?だったら人間が社会を作ったのは当たり前だよね。人間➡社会、これが真理だよ。人間がパンケーキを食べたいから、パンケーキが売れる、人間がtictokが好きだから、tictokが流行るのさ。」

とこんな風に。当時はキリスト教の力も強く、この考え方に疑問を抱く人は極々僅かでした。

そこに「いや!違う!」と乗り込んできたのがこのデュルケームです。

彼は「人間が社会をつくる」だけでなく「社会が人間をつくる」という側面を強調しました。人間がパンケーキが好きだからパンケーキが売れるだけではなくて、パンケーキが売れているから、人間がパンケーキを食べたくなるという事実を見出したのです。

そして、社会➡人間という図式で、物事を考えるべきだと主張しました。
今では割と「当たり前じゃない?」と思われているこの考え方が世界で論じ始められた時の、最前線でバリバリ活躍していたのがこのデュルケームなのです。


さて、そんなデュルケームを倒すにはどうしたらいいのでしょうか。ここからは、彼のウィークポイントを見ていきましょう。

「社会」ってすごく抽象的なものですよね。だけどデュルケームは、「社会というものを科学的に見たい」という気持ちが強かったんです。そのために彼は、「社会をモノのようにみる」という手法を持ち出しました。

「○○な社会が良い!」「××な社会は良くない!」と主観的に判断せずに、「ほうほう、これは○○な社会ですね。」「なるほど。これは××な社会だ。」と客観的に「社会をみる」ことを推奨しました。

つまり!!彼は、「この社会が良い!」と判断することを強く嫌がるわけです!
ここにデュルケームの最大の弱点があります。


まず、「ねえねえ、デュルケーム~、この社会ってどうかな~?」と、夜の新宿三丁目に案内しましょう。

すると「オイオイ、そこの外国人さんよ。」とヤンキーが現れます。

身なりのいいデュルケームは当然のようにヤンキーに絡まれるわけですが、彼は「この社会は怖い!」と断定することが出来ません。

ヤンキー「なあ、あなたどっから来たんだ?」

デュルケーム「う~ん、この社会は若者が多く、タバコを吸っていて、不良の率が高く、、」

ヤンキー「あ?なめてんのかこら?」

デュルケーム「不良たちはとても切れやすく。。」

ヤンキー「何だとおらぁ!!」

よく分からんことをつぶやくデュルケームは、確実にヤンキーたちにボコボコにされて帰ってきますので、何もせずとも僕らの勝ちです。

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