見出し画像

母親は、できるだけ子供のそばにいてあげたほうが良いか

今回の息子との戦いも惨敗した。結果、更年期も重なり、床にふせることとなってしまった。主人も息子も、気が向いた時しか手伝わないという毎日の生活に、私が文句をつけたことが、そもそもの原因。主人の性格上、私の文句にはのらず、黙っている人だから、それがまた私の怒りを加速させる。

今回とても長引いた夫婦喧嘩。ある日、主人が当直でいなかった夜、油断して、機嫌の良かった息子とリビングで珍しく会話して、ぼそっと愚痴った事がいけなかった。息子は急に不機嫌になり、いつものように攻撃を開始してきた。息子の戦い方は、理論立てて、言葉で相手を攻撃する。「誰にここ住まわせてもらってんだ」「お父さんとお母さんとは、仕事の質が違う」「家事やんなくていいから、フルタイムで働けば」のトリプル攻撃。私は思う…あなた浪人生だよね、3月に80万のお金を予備校に納めたのもつかの間、夏期講習に追加で10万の支払いがせまってますけど。コロナの影響で、お父さんの会社、夏のボーナスが出なくて、何とか住宅ローンのボーナス払いを支払い、その支払い全てに、お母さんのパート代は役立ってるんだけど…言いたかった気持ちをぐっとこらえた。酷い言葉には、だいぶ免疫がついてはいるが、やはり言われた言葉キツい。あー負けた、今回も負けた。

幼稚園は2年保育

息子が卒園してから十年以上経っているので、今の幼稚園事情はよく分からないが、市内の幼稚園は、どこも認定こども園の名称となり、人伝ながら保育園と幼稚園の良いところがひとつとなったことだけは知っている。他県からお嫁に来て、自分の病気もあり、ママ友というものがほとんどいなかったので、情報も少なく、当時専業主婦だった私は、できるだけ息子のそばにいてあげたいという勝手な思いから、息子を年中から入園させた。その時は、小さいうちから預けるなんてという古くさい考えがあり、今思うとそんな自分が笑える。

2年保育は短い

人それぞれ、子育てマニュアルは、あくまでも基本の基本、育児書も著者の観点からと考える私。息子の2年保育は、とても短く、もう一年通わせてあげても良かったと思った。母子分離に関しては、知能幼児教室と呼ばれる習い事に、二歳半から通っていたこともあって、年少分はこれで補えるだろうと思っていた。しかし、母子分離が完全にできてたとはいえ、入園当初は、泣いてバスになかなか乗らず、先生に半ば強引に連れていってもらった。バスを待っている時、「どうしても寂しくなったら、先生にお話するんだよ。お母さん迎えに行くから」と言い聞かせたが、帰ってきた息子は、「どうして迎えに来てくれなかったの?僕、先生に言ったのに」と怒った様子。後から先生に話を聞くと、息子は先生に伝えたあと、私の迎えを待って、園庭の小さな山のトンネルにひたすら隠れていたそうだ。そんなことが何回もあった息子だったが、通ううちに友達も出来て、楽しい幼稚園生活を送っていた。私自身は、入園前から園長先生を人から紹介してもらっていて、そんなご縁から、二年間父母会役員をしていた。園児の指導以外のことは、全て父母会の仕事という校風だったので、園児たちに「先生」と呼ばれるほど、ほぼ毎日私も幼稚園に行っていた。役員二年目は、父母会長となり、息子の幼稚園生活をもっと間近で見ることができたので、私にとっては、途中病気がちょこちょこ出たこともあったが、とても充実した二年間だった。

周囲と関わって生きることの大切さ

2年保育は、いわば「入園した年」と「卒園する年」。3年保育の園児たちの友達関係は、出来上がってたと感じたが、息子の持ち前の明るさと積極的な性格は、そこを簡単にクリアーした。しかしながら、周囲と関わって生きていくことは、親と子だけの一対一の関わりより、大きな成長があるのではないかと考えた。それは、反抗期継続中の息子と日々関わって、感じたことである。家庭内だと甘えもある、特に息子は一人っ子で、いつも親を含め、家族から注目され、ただただ可愛がられる存在だった。だから、家族ではない人と関わることは、自分が中心ではなく、相手を尊重したり、時には我慢を覚えたりと、自らが学び、生きる糧を得ると考える。私は、今の息子に伝えたいが、聞く耳すら持ってもらえず、また攻撃されることに、心身ともに耐えられそうにもなく、口をつぐんでしまっている。情けない。

そばにいることだけが愛情ではない

何もかもが初めての私の子育ては、一緒にいて、親子でいろんな経験をして、たくさんの感情を共にすることを大切に考えてきた。しかし、現在の息子を遠目から見ていると、愛情の深さは共に過ごすことだけが方法ではないと、今感じている。子供ひとりひとり個性もあるが、息子の場合は、尊敬できる他人さまが現れない限り、何も現状は変わらないと思っている。

二日に一度の予備校、自宅にいる息子を、今日は一度も見ていない。また夜な夜な冷めた夕飯を食べに、部屋から降りてくるのだろう。私がそばにいなくても、息子は今日もちゃんと生きている。「親はなくとも子は育つ」この言葉が、今の私の心にしみてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?