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「優しい」は僕にとっての感嘆詞

僕の周りは優しい人で溢れています。

だからこそ相手に「自分なんて優しくない」とか言われた時は必死で否定しちゃうんですよね。

ただ、そこで「じゃあ優しいってなんなの」と言われてしまうと今までの僕は上手く答えられなかったんです。
せっかく優しいのに相手に伝えられない悔しさだけが残っていて。

そこで僕の中に「優しい」という言葉が存在する理由を考えてみました。

それでたどり着いたのがこの記事の題名にもなっている通り、「優しい」という言葉が感嘆詞だということ。


例えばテストの問題を見て心のなかで「わお!」と言ったとします。
その時、この一言は状況によって様々な感情が含まれますよね。

問題が多くてびっくりしたという驚き。
前日の問題が出ているという喜び。
逆に前日飛ばした問題が出てしまったという絶望。
そもそも問題じゃなくて印刷ミスがあったという戸惑い。

ただそんな違いがあったとしても、ひとつひとつの意味なんて深く考えないですよね。

「優しい」という言葉もきっとそんな感じなんじゃないかなと思います。
少し違うことといえば、相手の行動を受け取った瞬間ではなくても使えるということくらい。

誰かにとっては違くても、自分にとって「優しい」と感じた瞬間であればそれは優しさなのかなって思います。

なんとなく相手の行動や言葉によって心が温まりそれが「優しい」になる人もいれば、逆に自分の過ちに気づいて誰かを大切にできた時、誰かに怒られたあの頃を思い出してそれが「優しい」になる人もいます。

そんな感じで、「優しい」は自分の言葉では表しきれない感情を一言で表してくれる感嘆詞なのかなって思います。

そして「優しい」が心から溢れてしまった時に、つい言葉になって出てきてしまう、そんな感覚な気がします。


だからこそ、自分が「優しい」という言葉を受け取った時は誰かの何かになれたのかなと受け取って。

逆に誰かに「優しい」を伝える時は、つい出てしまった感嘆詞を自分の言葉で表現するつもりで相手に伝えたいです。



ということで本日もここまでのお付き合いありがとうございました!

感嘆詞、感嘆詞と言ってきましたが、「優しい」は述語にもなれるので文法的には間違いですよね。
でもそこは理系大学生の僕は国語が苦手ということにして大目に見てもらえたら嬉しいです。笑

ちなみに、「やさしさ」については約半年前の僕が一度記事にしていたので、お時間のある方はぜひこちらも読んでみてください↓


明日から5日間、名古屋に行ってくるのでもしかしたら投稿が途切れるかもしれません。
ただ、そのままnote投稿を辞めるということはないので、待っていていただけたら嬉しいです!



では、また。

いつか僕の記事を読んでここのボタンを押してもらえた時には、夢叶えて誰かを笑顔にするために使います。もしも僕にその価値を見出してくださった時には精一杯の感謝を!