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じいちゃんの頭を撫でる。 #y-10


じいちゃんの頭を撫でた。
じいちゃんは禿げてる。
てっぺんがツルツルで、土星の輪みたいにツルツルの周りを囲んで灰色の毛が生えている

25年ぶりくらいにじいちゃんの頭を撫でた。
毛があるところとないところがあって、そこを行ったり来たりしながら
じいちゃんの頭を撫でた。


じいちゃんが入院する前、
娘のふーとじいちゃんの毛をバリカンで刈ってあげたことがあって、

ふーがじいちゃんの頭をシマシマに刈ったりして、私たち親子はじいちゃんの禿頭で大いにふざけて遊んだ。
じいちゃんの毛を刈ったあと、じいちゃんは娘のふーにだけ散髪代と言って二千円あげた。
すごく嬉しそうに二千円あげていた。

え?ゆきには?と言って、私も二千円せびる。
結局二千円はもらえなくて、この世で一番可愛がられていた孫の私は、いつのまにかあっさりひ孫に抜かれていた。
私にも嬉しそうに二千円あげれば良いのに。
娘よりすごく良いリアクションで喜ぶのに。

その日の幸せをずいぶん時間が経ってから、
死んでいるじいちゃんの頭を撫でながら知った。


桜が終わったあとの新緑がキラキラ光って綺麗だった。
こんな日に、悲しい今日に、こんなに良い天気じゃなくていいだろうに。
傍でじいちゃんのことを切なく思いながらも、新緑の若い緑が綺麗すぎて、見とれた。




じいちゃんが死ぬことが嫌だ。
嫌だ嫌だ、嫌だ。絶対に嫌だ。
許されるなら、ひっくり返って泣いて暴れたかった。

薄い意識のなかで寝かせた身体が上下するほどはかはか息するこの時になっても、奇跡的なミラクル大回復が起こることを祈っている私は悪魔だろうか。

ごめんね、でも嫌なの。

私のじいちゃんなのに、会いたいときに会えなくて、会いたいときに会えないくせに、こんな話ができなくなってから呼ぶなんて、誰がどう見たってこんなに弱っておしまいに近づいてからじゃないと会わせてくれないなんて酷いじゃないか。

もういいですか?って言われる。
命が間も無くの家族の手を握る時間が、もう良いわけなんかないじゃないか。
理解はするけど、納得はできない。
でも、そうするしかない。
なんなんだよ、ほんとに。

握っていたじいちゃんの手を離して、
病室を出る時、
なんて声をかけたらいいかわからなかった。

頑張れは違うと思った。
おやすみも言えなかった。 
本当にじいちゃんがすーっと眠ってしまいそうだったから。
私は迷って、また明日ね、約束ね。って言って、
つけていたビニールエプロンと手袋を外した。


朝が来て、病院に行く。
じいちゃんにもう一度会えた。
たぶん、会えるのはこれが最後かもしれない。
みんな一緒に面会はできないと言われ、別れて入る。

母親と姉は、じいちゃんのそばに置かれたモニターの数字の話をしている。
医療者の2人は、少しずつ変わっていくじいちゃんの身体や
小さくなっていく数字からじいちゃんに近いこれから起こることや、命の刻々がわかるらしい。
私はじいちゃんがここで息をして心臓が動いて、私の声に頷くのが全てだった。
血が通った手があったかい。
じいちゃんは今も確かに生きている。
それがすべてで、それ以外の何もかもは知らなくて良いと思った。


人生の嫌なことからは大抵逃げ切れる。
最悪、やめてしまえばいいんだから。
でもこの目の前にずんずん迫ってくる悲しさからは逃げられないんだと気づいて、絶望した。
寝返りすらできないような悲しさのなかで、私は悲しんだ。
空気が薄い、悲しみに窒息する。

昨日の夜まではどうしても絶対に、何が何でもじいちゃんがいなくなることが耐えられなかった。
でも今朝じいちゃんに会って桃子と話をして
やっとじいちゃんが死んでいくのを許せた。
私がじいちゃんの命の成り行きに文句をつけるのは違うと思った。


じいちゃんが、たぶん、もうすぐ、死ぬ。
死んでいく。
死んでいってしまう。

じいちゃんは私とのまた明日。っていう約束をきっちり守って、旅立った。

枕花を抱いて帰る
じいちゃんのための花束。
花束を抱くのは、赤子を抱くのに似ている。
私の知らない、赤子だった頃のじいちゃんを思って抱く。

じいちゃんが死んで、私はじいちゃんがいなくなった悲しみを憚らないと決めた。
涙が出るなら泣こう。
それで良いじゃないか。
私は私の悲しいを、何かのために我慢しなくても良いでしょう、じいちゃん。

じいちゃんの顔見て泣いて体に触れて泣いて、じいちゃんが棺に入ってからは、棺にかぶさって泣いた。
しくしくって言うより、わんわん。
私のじいちゃんへの愛からくる悲しみを誰にも邪魔されたくなかった。

人類はすごい、とんでもない。
こんなに悲しいことが間違いなくやってくることがわかっているのに
それでも子どもを作って、育てて、死んでいく。
それをずーっとやっていく。





人が亡くなると忙しい。
決めることがめちゃくちゃある。
一昨年死んだばあちゃんのときの資料を見ながら次々決めていく。
この時間には悲しみは挟まらない。
葬儀の決め事のそのほとんどは、これだといくらで、あれだといくらになります。って言うお金の話しで葬儀屋さんと喪主の父親の話の進みが鈍くなると後ろからつっつく。

じいちゃんの遺影も決める。
黒紋付きを着せたら、明らかに顔が負けていたけど仕方ない。
一昨年のばあちゃんが上品な着物で、じいちゃんがポロシャツって言うわけにはいかない。
背景の色でも一悶着である。
たくさんの色とグラデーションの付け方、まるでプリクラである。
水色と淡い緑で迷って2色見比べたいと言ったら、追加料金がかかると打ち返される。
生臭い話である。

葬儀までの間、私たち家族の口からでた言葉ランキングは、一位がじいちゃん。で、2位は間違いなくシーチキンである。
一昨年のばあちゃんの葬儀の時、お返し物のシーチキンがとても喜ばれた。
コンパクトな箱なのに、ずっしり思い。
はて、なんだ?と思って帰って開けたらシーチキンの缶詰が9つも詰まっていて、それはそれは嬉しかったのだ。
もらった人も私と同じようにそれはそれは嬉しかったと思う。

シーチキンは昔に比べてずいぶん高くなったし、万能選手でおかずがないときは醤油とマヨネーズをかけてご飯に乗せただけでもジャンクな旨味がたまらない。
戸棚を開けて入っていたら嬉しいランキングでもシーチキンは上位に食い込んでくるに違いない。

見積もりを見比べて、差額がでたら許容できる範囲か父親に聞く。
前夜の作戦会議で、AとBで迷ったら金額の高い方にしよう。と母親と決めていた。
別件で不在の母親に代わって、時折弱気になる父親に、迷ったら高い方だ!高い方にしろ!と言うのが私の主な役目だった。
この上ない適役だった。

資料を見ながら話をまとめていくのは仕事柄得意だ。
これをこう変えた場合、金額はいくらくらい変わるか葬儀屋さんに聞く。
概算で良いんで。と言うと、本当になかなかのハイレベルな概算で、請求書が来てその概算具合に驚いたりした。
概算と言う言葉は便利だ。
シーチキンと同じくらい。


一通りのことを決め終えてからも条件反射のように泣いて、じいちゃんの葬儀が始まった。
私は一人暮らしをしていた頃、じいちゃんにアホほどお金をもらっていた。
孫の私にアホほどお金をあげたけど、まさか私からお金をもらうときがくるなんて思ってなかったでしょ。ってじいちゃんに悪態をつきながら旦那の名前で香典をあげた。

じいちゃんの弔辞を読んだ。
読みながら、弔辞って変だな。って思う。
読みながら色々なことを考えて、考えたくて、途中で読むのを休んだりした。
これは誰のための弔辞なのか考えてた。
じいちゃんのためのようでじいちゃんのためじゃないと思った。

私自身のためなのは間違いないと思った。
じいちゃんが死んで家に寝ている間、じいちゃんに言いたいことは全部言ったから、わざわざ弔辞を読む必要はないのかも。とも思ったけども、私がじいちゃんをどれだけ好きかを見せつけたくて読んだ。
私はいつでも休まずヨコシマに生きている。

私と、じいちゃんを同じだけ愛する家族と、じいちゃんを慕う人みんなで一緒にじいちゃんを想う時間を作るのが弔辞だと思った。


もうそろそろ涙も枯れるわ。って思ったけど、私の悲しいはごんごん湧いて枯れるどころではなくて、
法要の色々を終えてアパートに戻ってからも私は湧き続ける悲しさから出られなくて。
救われたいと思った。
この悲しみから救われたいと思った。




亡くなった人を想うと、天国でその人の周りに綺麗な花が降る。
ジェーン・スーさんのラジオの言葉に救われる。
天国のじいちゃんの周りに花を降らせる。
これが今私にできることで、今日までもこれをせっせとやってきたのだと知る。

たぶん今頃、邪魔なくらい降ってる。
じいちゃん、傘ささないといけないくらい降ってる。
ひとしさんの周り、なんだって花いっぺ降ってっことー。って近所の人に言われるくらい降ってる。
あまりに降るから歩く道もなくなって、一昨年死んだばあちゃんが暇なくずっと掃いて端に片付けてると思う。
私は、天国に綺麗な花を降らせている。

念願の手芸クラブに入った娘の買い物のために手芸店に行く。
色とりどりの糸で縫う花いっぱいの刺し子を見つけて買う。

ただ線の上を縫っていくだけなのに、下手すぎてひっくり返るかと思った。
毎晩、隙あらば縫った。
家事も妻も母親もそこそこに縫った。

家族が寝た後、音を消したテレビの明かりで縫ったりして、本当にあっちこっちな縫い目。
縫い目があっちこっちでも、戻ったり直したりしないで縫った。
あんまり上手だったりすると、じいちゃんは外注を疑ったりすると思った。
高校時代、彼氏にあげるマフラーをばあちゃんに編ませたくらいだから。
間違いなく、これは孫の私が縫った。

最後のひと花を縫ったら、最後のひと針を縫いあげたら、何か変わると思った。
素晴らしい達成感とか、気持ちが晴れやかになったり、不意打ちをくらったとしても泣いたりしなくなると思った。

でもそんなことはなくて。
ぱっと見綺麗な花いっぱいの布巾を目の前に広げてもキラキラに明るい毎日はやって来なかった。

寝て、起きて、作って食べて、仕事して、作って食べて、寝て、
いつもの毎日が続いているだけだった。



それで、良いんだ。
何事もない、ただのいつもの毎日にじいちゃんが戻してくれたと気づく。
私はいつもの毎日のなかで、じいちゃんに花を降らせながら生きていく。

1時間ひらひら降りっぱなしの、日もあれば、
2分間だけ迷惑なくらいめっちゃ降ってあとは全然。みたいな日もある。
そのうち、たまには花降らせてくれーい。って私の怠惰にあっち側からクレームが来たりするかもしれない。

それで良いじゃないか。
そうやって生きていけばいいじゃないか。

やっと私は、私の悲しみを成仏させた。



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