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自分が苦労したんだから他人も苦労しろよって理屈

嫌い。本当にこの世の悪だと思う。人間の醜さの極み。
そうすることで他人がどんどん強くなって、いずれ自分を呑み込みに来るだけだというのに、どうしてわざわざ成長の機会を与えようとするのだろう。
なんならその苦労によって成長するのにずいぶん時間がかかって、その分自分の人生を浪費したというのに、どうして同じことをしてほしいと思うのだろう。

少なくとも自分の後進には、自分が一生懸命超えた穴は軽く飛び越えてもらわなくては発展しないし、自分がこれから飛び越えなくてはならない未知の穴の超え方を、一緒に考えてほしいものだ。
つまらない感情論に正当性を上塗りして、他人の為を思ったり思わなかったりして、同じ穴にはめようとする行為は無駄。本当に、残り僅かな人生の時間を浪費しようとする行為だ。

あらゆるモノとコトが加速した現代において、その遅れは致命的である。
かつて3世代かけて培ってきた技術は1世代の最初の仕事程度になり、あらゆるノウハウは言語化され、五感で直接感じられる粒度で共有される。
2世代目には既に神域。そして3世代目以降はない。
その時点でもう全く別なニーズと技術が生み出されており、2世代目が確立した技術など旧世代の老害程度にしか活用できなくなってしまうからだ。

後継者が必要ないからあらゆる後継者不足問題も解決。
希望に沿わない跡継ぎや縁談はもはや必要なく、残すだけ残しておきさえすれば、後世で必要なのであれば後継者が必ず現れ、勝手にアーカイブを使ってアレンジしてくれることだろう。それでも後継者がいないということは、それはもうその時代には必要ないということだけだ。

だから足の引っ張り合いは致命的なロスになる。
後世に対してですらない。自分の人生の致命的なロスだ。
そうしている間にも同じような仕事をしている人が効率化を実現し、あなたの仕事はいずれ失われるだろう。
より強い、より賢く柔軟なものだけが良く生きることができ、ロスをしているような者からは権限と自由が奪われ、安い賃金でみんながやりたがらない汚い仕事を延々とさせられることだろう。

苦労を美徳と思うものよ、気をつけよ。
とはいうが、きっと自分で気づくことはできないのだろう。
残念だ。


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