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興味はないだろうが、僕の経歴

どの場においても、自己紹介は欠かせない要素になってきており
自己アピールが強すぎると、『なんか我が強い人だな』
興味がある人があっさりしていると『え!?もっと聞きたい』と
実は難しいバランスで成り立っている。
そんなバランスは無視して、まずは僕がどのような人であるか
自己紹介していく


①幼少期の僕

北海道の片田舎で過ごしていた小2の時に埼玉県へ引っ越すことになった。その頃にバスケットボールを始め、試合にも出られるチームに所属していた。

②高校でバスケをやめる

中学までは小学校の時からの知っていたメンバーで継続できたが
高校入学すると僕は誰も知らない環境でのバスケに
魅力を感じなくなっていまった
親や友達にも反対されたが、僕は決めていた
バイトをしたい!そして自由なお金が欲しい!
お小遣いなどはもらっていた(月1000~2000円程度)が
使う理由はさほど見つからないが
とにかく早く大人になりたかった
高校にアルバイトの許可証を出して
応募をしたが、コミュ障だった僕はどこも受からなかった
最後の頼みで…18歳以上が条件だったラーメン屋さんに直接バイトを
募集していないかと声をかけるとすぐに採用してくれた
人材不足の現場ではどんな子でも採用してくれるんだなと
子どもながらに少し社会を理解した。
厳しい店長だったが、終わった後はご飯をおごってくれたり
青春の過ごし方を教授してくれた
実はそこから10年近い付き合いになる人になる。
大人の男性とは…かっこいい男とは…
ちょっと大人になった気分の僕は
大学進学する予定だった。
ただの勉強不足ですべての大学に落ちた

③浪人~大学卒業

本当に勉強不足だった。高校3年生が
I.my.me.mine.すら区別できないのである
つまりは中学の勉強からしていない。
1年間やり直すと
Fラン大学(文学部歴史学科)には何校か合格した。
とりあえず特待生で入れる学校を優先して進学。
入学金は0円だし学費は半分だし、バイト代で補える。
大卒というブランドだけが欲しかった僕は
卒業単位123ギリギリの取得単位123で卒業した。
文学部歴史学科で学んだことは
僕はこの学科に向いていないという気づきだった
古文書を見て、崩れた字を解読して、だれが何をしたのか
そこからどのようなことが言えるか想像できるか。
楽しい人には楽しい。でも僕はその時
空き時間で始めた学童バイトに夢中だった
保育士資格を取ろう!てっとり早いのは専門進学だ!
その大学卒から初めての専門進学者となった

④専門生活~社会人一年目

無事に特待生制度で専門に進学した。
2年での保育士資格と幼稚園免許のコース。
とにかく忙しかった。
また男という面はある意味アドバンテージになることもあった
僕は実習ではだれよりも鬼ごっこや激しい遊びになり
記録は帰宅後深夜まで細かく記入した。
とても良い評価だったので、卒業式に何か優秀賞みたいなものももらった。
そして悲願の保育士への道へ
初日9時出勤~帰宅23時
これが土日研修もはいり、14連勤が起きた
あっ、入る所、間違えた。(てへっ
そんなことに気付くのは3年後になるのだが、
社会人はこんなもんなのかと思っていた
洗脳って怖い

⑤転職~園長先生へ

4年目に転職した。
今までのところはなんだったのかと思うくらい定時で帰れる。
ただとてつもなく人間関係が悪い。
なんだこのギスギス感は…
揚げ足取りに必死な園長。
僕は何度も呼び出されて
なんでこういうことをしたのかという問いに
丁寧に説明したが
それは違う!と一喝された。
保育に正解がないといった言葉はどこにいったのか…
ただ、これぐらいの理不尽は
ラーメン屋でのパワハラ鍛えられた。
目の前で考え方の視点と見え方を指摘すると
園長はびっくりしていた。
攻撃力が強いが、守備は弱いタイプなのだろう。
確かにその言い分もできるのかと自己納得してから
そこから毎日のように、
園長とコミュニケーションをとることを意識した。
ただの報告ではなく、問題に対しての
答えや対処を3つぐらい用意していく。
どれがいいと思いますか?
僕はこれが一番リスクないと思うんですよ的な
自然と職場雰囲気も良くなり次の年にはリーダーや役職に任命された。
3年目が終わるころ、あるフェスで園長先生への打診がきた
まだ早いだろ…と思ったが、まぁなんとかなるか。
わかりました。引き受けますと改めて転職を行った
収入アップv( ̄Д ̄)v イエイ


園長先生から無職へ

開園3年目の園の園長先生になった。
初めて行う仕事で戸惑う日々が1~2か月続いたが
少し慣れてきたときにやっと園に馴染んできた
職員とのコミュニケーションや保護者からの信頼は得ていた
ただ一つだけ問題があった
経営陣との対立。
現場と理想的な環境への追及で
たびたび意見の相違があった。
それが1月になると表面化すると
なかなか譲らない僕の態度が気になったのだろう
呼び出されて
僕自身が職員を駒のように使っているという指摘だった。
なんでそのような意見が出てきたのか?
何よりも職員のことを考えていたつもりだった。
コミュニケーションの部分で
断片的に見たらそういう形に見えるときはあるだろうが、
シフトの配置を伝えるだけで駒扱い?
評価の仕方が、例え一部の人で言ったのが
全体の問題になるのは納得できない点
最後に園長が誰よりも長い時間園にいるのに駒扱いとは
どう考えてもおかしいと考えたが
日頃の関係からも
言い返すことはしても、何か無駄に見えた。
プツッと自分の中で、切れた状態になった。
最大の敵は無能な味方である
わかりました。今日で辞めさせて頂きます
僕は、この時精神的に何か問題を抱えていたとも思う。
仕事を辞めた。

⑦現在

最後の退職は良い終わり方ではなかった。
そこは素直に反省したが、同時に寝る時間が短くなった
色々なストレスが一気にきたのだろう。
現在は、田舎に引っ越し少しずつ数か月かけて
体調が回復している。
無職も悪くない。体のメンテナンスがゆっくりできる。
僕は、数年分に歯医者、皮膚科、眼科、心療内科など
これまで払ってきた社会保険料を返してもらうように通院している
親知らず、虫歯の治療、肌はきれいになって、
コンタクトはよく見える。よく寝られる。
健康が一番という改めて感じる。

おまけ:誰も興味がないのに…

もしここまで読んでくれた方が拙い文書に目を通して頂き
本当にありがとうございます。
本当はこういうことを書きたいわけではないです。(笑)
次回からは僕が書きたい徒然なる雑学をご覧ください。

#自己紹介
#保育士
#雑学


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