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夏場の台所にて

台所の窓を開けると、モミの木がこちらを覗き込む。
家の高さと背丈がほとんど変わらないので、日陰にはなるけれど風通しが特に良くなるわけでもない。
けれど彼らが立ち並んで風を防いでくれるから風雨が入ってくることもなく、家の前は車通りも人通りもほとんどないので、何か作業をする時はいつも捗って仕方がない。

だから毎朝、ごはんの支度が一段落つく頃に沢山の蝉の声が鳴り響いていることに気がついて、ようやく安堵する。

つい漏れ出てしまうため息は、朝の忙しなさに一区切りついたからか懐古的な切なさから来るものか。
お盆に近づくにつれてどこもかしこもすっかり夏の雰囲気に包まれると、胸の奥がくすぶられるのはいくつになっても変わらない。

遠くに登り立つ入道雲、時間の移ろいを知らせる蝉の声、氷が溶けて落ちる音、アスファルトが乾くにおい。
毎年巡ってくる季節は同じなのに、毎回とめどない懐かしさを感じては、切ない気持ちが溢れてくる。それも食事の支度をしているときには、一段と色んなことを思い出すのだ。

子供のころ両親は共働きで忙しくしていたので、長い長い夏休みのほとんどは、友達か兄か、家で畑をやっている祖父母と過ごしていた。

縁側に座って庭を眺めながらお兄ちゃんとアイスを食べてたなあとか、
おばあちゃんがおやつに茹でとうもろこしとかゴーヤチップスを作ってくれたなあとか、
虫取り網を掲げて、庭中のセミやトンボを追いかけ回して遊んでたなあとか。

遠い記憶にある盆踊り大会の光景も、未だに鮮明に思い出される。
小学生の頃は毎年、おばあちゃんに着付けてもらった浴衣に身を包んで、小学校の校庭で行われる盆踊り大会に遊びに出掛けていた。
踊り終えたあと、暗がりの中やわらかく灯る提灯の下で、ジュースのサービス券を握りしめてどれをもらおうか真剣に悩んでいたものだった。
このジュースのサービス券というのは踊りに参加した子どもがもらえる券で、わたしと友人は沢山飲みたいからと何度も踊りに参加しては、サービス券を手からこぼれ落ちるほど握りしめていた。

大会の終わりに行われる抽選会で何かが当たったことがある気がするけれど、何だったのかはもう忘れてしまった。
子供の頃は楽しくて嬉しい気持ちでいっぱいだった夏な筈なのに、いつからかそれを懐かしんでは少し寂しさを覚える季節になった。

においと記憶は強く結びつくと言うけれど、ご飯の支度をする時に何かしらを思い出しやすいのは、蒸される空気の香りが関係しているのだろうか。

この何とも言えない気持ちはいつどこからやってきたのかわからないし、いつか無くなるものなのかすらもわからないから、ちょっと困ったものだなぁ。

暑さと蒸気と闘う夏場の台所。滲む汗を拭いながら、度々物思いに更けるのであった。

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