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自分がない、正にそれ。


こういう系の見出しが目に入るとなんとなく読んでしまう。
大体「へえ、そうなんだ」とか「全部が全部そうなるわけじゃないだろ」とか思って終わる。
この記事は心当たりが散りばめられていた。

私は親よりもキョウダイの影響が強い気がする。
幼い頃、少し歳が離れているキョウダイと同レベルでない物事を揶揄われてきた。
「わからない、できない」は、恥ずかしいことだと、悪だと、思ったいた。
家族には出来ない自分がバレている分、外で良い子ぶっていた。
家でも外でも顔色を伺って、いろんな気持ちを飲み込んで、時々、大爆発して母を困らせた。
そんな私を傍から見ていたキョウダイには「お前は甘やかされて育った」と言われた。
「そんなことない」と思いつつ「キョウダイがそう言うってことは私が間違っているのかも」とも思ってしまう。

自己肯定感が低いというか、自己評価が低い。
それが他者から見た感覚とズレているかどうかわからない。
自分の判断、行動、好み、いろんな事を否定され揶揄われた、そう感じて勝手に萎縮してきた。

こんなことも言い切れないくらいに自分の判断や感覚に自信がない。


うつ傾向の時はこれが顕著になる。
何も決められない。
対処できるはずのことが思いつかない。
だから迷う。
だから決められない。

躁の時はこれが80%くらい吹っ切れる。
「うっせーばーかばーか」
と、誰に対しても強気というか小馬鹿にして、まわりからどう見られようがどうでもいい。

ひとりが好きな自分には躁の方が生きやすい。

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