マツコの知らない仕出し料理の世界
今日は家族の記念日ということで近郊の料理屋さんにお願いして仕出し料理を持って来ていただきました。
六月からずっと胃腸の具合がピーヒャラピーヒャラパッパパラパ-だったため、外で買ってきた食べ物はおろか、家のお料理ですら牛肉豚肉だめ、青魚だめ、歯が悪いので固いものもだめと、制約だらけの食生活だったのですが……
だからこそでしょうか。素材の味を生かした旬のお料理は何もかもが胸を打つ美味しさで、感動しっぱなしでした。そもそも一年半外に出ていないのでお店の味自体めったに口にできない生活となっていましたが、だからこそこうしてお店の味そのままでお料理をいただける仕出しの素晴らしさ、ありがたさ、温かみを感じることができました。
特に美味しかったのが粒山椒と白味噌に軽くつけた鯛の焼き物。枝豆ときゅうりの白和え。蒸し穴子。そして風味豊かな栗ご飯。つい数年前まで栗は苦手だったのですが、今回の胃腸の崩壊により味覚が変わり、美味しいと感じるようになりました。
鯖寿司は普段なら大喜びで食べるのですが、まだ生ものが怖いのでがまん。代わりにお刺身はフライパンで軽く焼いてもらって、わさび醤油でいただきました。イカが柔らかくて夢のよう……
からだが不自由になると様々なことに気がつきます。例えばお箸の便利さです。今は手に痛みがあってお箸が持てないため代わりに軽量のプラスチックフォークを使っていますが、これだと和食全般が非常に食べにくい。西洋料理はある程度大きさと硬さのあるものを手元の皿で切って食べる構造になっていますが、和食はあらかじめ調理の段階で食材を切っていますし、例えばおからや白和えのように形状を保っていないもの、柔らかく煮染めているため崩れやすいものも多いです。フォークは、刺す・すくう・巻くなどの機能を持ち、箸は、掴む・摘む・かき込むなどの機能を持つ。食事作法の文化によって食材や調理法へのアプローチが違ることがよくわかります。
汁物を飲むときも、今は器を上げ下ろしするのが負担なため基本的にスプーンを使っています。ですが今回、せっかくのお料理なのだからと煮物椀を直接口に運ぶ形で飲んでみて、そのふくよかな出汁の香りに驚きました。同じ椀物を飲むのでも、スプーンを使うのと直接お椀に口をつけて頂くのとでは、全く味わいが違うのです。香りはお出汁を作る上で欠かせない要素であり、日本料理は食事に使う道具の特性と味付けが密接に関わってデザインされているのだと学びました。
煮物椀は土瓶蒸しのように松茸と鱧の組み合わせで秋らしく、菊の花びらが散りばめられ目にも鮮やか。心踊る華やかな一碗でした(お汁は自分たちの好みでたっぷり注いだので盛り付けの形が崩れてしまいました)。
本来お客様をもてなすために生まれた仕出し料理ですが、こうして自分たちだけのためにいただくのもいいものですね。仕出し料理と言うと、黒い漆塗りの松花堂弁当が四つに区切られていて、一部屋ごとにお料理が入っているのが定番というイメージでした(だからこそ盛り付けの形が崩れることなく料理屋さんから一般の食卓までお料理が運べるわけですが)。
今回は料理人さんが盛り付けに来てくださったので、見た目も外でいただくお料理に近づき、より外の世界を感じることができました。温かい心づくしの数々に感動しつつ、夢中でいただいたお料理は本当に美味しかったです。感動しました。ありがとうございました。そして記念日おめでとう、ごちそうさまでした。
#エッセイ
#音声入力で書きました
#edivoice
#写真は色々と制約があるのでうまく撮れませんでした
HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞