見出し画像

4月5日(日)夢を諦める勇気

3月31日はcakesクリエイターコンテストの締め切り日であった。この日は一日中そわそわして、夜の23時半を過ぎた頃にもまだそわそわしていたが、悩み抜いた末、私はどの作品も投稿しなかった。

「とりあえず勢いで書いてしまおうかな」「過去の作品にハッシュタグだけでも付けとこうかな」「もしかしたらってこともあるかもしれんし」「いやいや、ないやろ、そんな甘いもんちゃうわ……」

これぞ自問自答である。一日中自分に問うて、自分で出した答え。それはコンテストに参加しないことであり、作家にならないことであり、夢を諦めることだった。


私はいつの頃からか書く目的を見失っていた。



と言っても、初めの頃の動機は明確だった。あれは二年前、まだ今の病気が正式に発覚したばかりのこと。この病気の悲惨さと、社会保障制度の手薄さ、私たち患者の見捨てられっぷりを、赤裸々に綴って、社会的な関心を高め、願わくば出版などに至り、少しでも医療や福祉が変わってくれること、ただそれだけを願って執筆活動を始めたのだった。

しかしその道は想像していた通りには進まなかった。自ら晒し者になるのは思いの外つらかった。まるでサーカスの見世物のように消費される感覚があり、自分の元々の性格であれば絶対に身を投じないような環境に飛び込んでいくようだった。我慢の限界は早々に訪れ、やがて病気のことは強調しないようになった。


「病気のことを知らせたい」という軸足の目的を失った後も、願わくば出版などに至りたいという欲求だけ残ってしまったのは誤算だった。軸足もないのにボールが真っ直ぐ蹴れるはずがない。伝えたいことが何なのか自分でもよくわからないまま、インターネット上に解き放つ文字数だけが増え、漠然と書く日々が続いた。

楽しみ半分で書いた文章がnoteトップページのおすすめ欄に掲載されると浮き足立って喜んで、次は何を書こうかと考えた。そのうちにトップページのおすすめ欄に掲載されるためには次に何を書けば良いのか考えるようになった。こうなったらもうおしまいだ。


今日のこの日でこそ、体の痛みを和らげたり意識をはっきりさせてくれる薬が見付かり始め、最初の頃より具合が良いが、文章を書くこと自体、多大なる苦痛を伴うことは事実である。そもそも頭が回らない症状があるので、昔の自分のような文章はもう何年も書けていない。それでも書くことが好きだという想い一つで続けてきたのだから、この「好き」はきっと本物なのだが、目的のない夢にいつまでも縛られているのはもう終わりにしたい。

私は文章を書くのが好きなのだ。痛くても、朦朧としても、ずっとしがみついて離れられない。書かなきゃ生きられないような魔力がある。だからこそ諦めたい。何かのために書くことを。何者かになることを。夢を。このあまりにも地味で静かな物語の大きな展開を。


私にとって、コンテストは夢の象徴だった。


これからは自分のために、好きなことを好きなように書いていけたらそれで良い。何かのためにとか、何かになるためにとかを意識しない、混じりっけなしの「好き」の気持ちで書く。書きたいから書く。まるで音楽が聴きたいから音楽を聴くように。歌いたいから歌うように。なんだ、ぜんぶ同じことじゃないか。

この二年間の末に、私の本当の夢はなんだったのかを考える。それは間違いなく「病気平癒」で、こうも神社の絵馬のような言葉で書くとくだらなく簡単に聞こえてしまうけど、これ以上に大切なことなんて一つもない。この夢が叶うなら、他に何もいらない。何者にもなれなくたって良い。何も生み出せなくても良い。

だけど夢は等価交換じゃないから。夢を諦めた分だけ夢が叶うならどんなに良いだろう。病気平癒。言葉にするだけで胸が詰まる。本当は言葉にするのもつらいことだ。心の底から願う夢ほど、叶わなかった時の悲しみは大きく、もしNOTだった時のことを考えるともうどうしていいか分からないのだけど、こうやってNOTの仮定について言えるようになっただけ、少しは体が快方に向きを変えてくれたのかもしれない。もしくは今日だけ、具合が良いだけかもしれない。そんなことは分からない。一分先のことすら分からないのに。


最大の夢が叶う時がきたら、きっとまた小さな夢をいくつでも追うことができるだろう。今は小さな夢の風船をそっと手放して、雄大な空を眺めていたい。元気があればなんでもできる。何者にだってなろうとできる。本はきっと、出したくなったら、いつだって出せる。



〜応援ありがとうございました!
これからは趣味として書きます!
オレたちの冒険はまだまだ続く!〜

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞