見出し画像

不安煽りコンテンツとさようなら。自分の手に負えないことは考えずに生きる

平和的な角度からインターネットを眺めるようにはしているつもりだけど、それにしたって不安を煽るようなコンテンツが安定して閲覧数を稼いでいる世の中に見える。

そりゃあ人間生存本能があるわけで、不安要素には優先順位第1位で対応できなければジャングルで生きていく場合には即死である。だからこそ不安を目の前にすると脊髄反射で親指なり人差し指なりがリンク先をクリックしてしまうわけだけれども、ラッキーなことに我々はジャングルで生きてはいない。基本的にはあったかい家があって、屋根があって、健康保険もあって病院もあって、まあまあ即死からは遠い距離で暮らしてる。

本来のとおりに平穏に過ごしてさえいればわざわざ不安になる必要もない人生だったりするのに、画面越し、街頭広告越しにあらゆる不安を掻き立てられ、その都度反応してつらい気分になっている人のなんと多いことか。そういうお商売のなんと多いことか。

私最近思うんだけど、よくよく考えたら人生において「女だから〜しろ」とか言われたがことない。言われたことがないのに、インターネットやらドラマやらがエピソードとしてやたらと伝えてくるから、自分もそう言われてるような気がしてくる。不思議だ。もちろん言われたことがある人もいるんだろうけど、自分としてはそんなこと言われたこともないのに、架空の敵がどんどん増えてゆく。

で、個人ブログにおいてもやっぱり、何かを敵対視するとか、人生における不安を煽るとか、やたら悲観的とか、そういうものがよく読まれるようになっているらしい。というのは自分のnoteのアクセス解析を見ていて思う。例えばどうしても苦しくて自分の心の中ではせき止めていられなくて、生きるために書かざるを得なかったのと、なんとなくそういう内容の方が世の中的にウケそうだから迎合して書くのは、全然違う気がする。寄せに行ってると自分が消えていく。そして自分のホントの考えも遠くに行ってしまう。

ここ数日noteを書く上で、まあ正直言うとちょっと寂しかったのでアクセス数やらスキがほしくて、そういうウケそうな=悲観的な傾向にある内容のものを書いてみていた。確かに目で見てわかるけどスキの数はやっぱりそういうのが多い。多いけど、なんかだから何?というか、それを読まれたところで嬉しくないというか、自分の意思じゃなくて世論に書かされてる感じがするというか、こんなことやっててもなんていうか誰も幸せにならへんな〜と思った。もっと人が幸せになるようなことを書けたらいいなと思う。

「自分の手に負えないことは考えない」

というのは前に徹子の部屋を見ていたら出てきた言葉で、満州からの引き揚げを体験してきたご高齢のジャズピアニストの女性が言ってらしたんだけど、ほんとこれはその通りだ。自分も病気になって考え方を変えてそういう風にして暮らすようにしてるし、そうするようになってからちょっとだけ肩の荷が下りた。生きるのが楽になった。

今の時分は世界中のあらゆる問題が自分ごとのようにして降り掛かってくるけど、はっきり言って手に負えるのは自分の生活のことだけで、まずはそこを着実に解決していかなければ遠くの世界の問題なんてよくできないような気がする。世界中の問題についてすべて考えていないからって無責任な人間っていうわけでもないわけで。

まずは布団の寝心地を良くするとか、睡眠の質を良くするとか、トイレからベッドの動線を良くするとか、ちょっとかわいいバスケットにセーターを入れるとか、地道なことからやっていって、自分の人生に少しだけ笑顔を増やして、周りの人と笑いあって、それが伝染して笑顔の人が増えることで、結果的に平和な世の中に繋がるんじゃないかなぁ。

まずは自分の手に負えることからやっていきましょう。幸せはまずは身近なところから始まっていくのだと思うから。


適当日記終わり

#音声入力で書きました
#日記

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞