ブラとおばさんと私 〜ロンドンのコインランドリーで起きた珍事〜 (#キナリ杯 応募用)

ロンドンに住んでいた時のことである。私の下宿先には洗濯機が無かった。いや、正確には洗濯機自体は存在していたのだが(それも部屋の目の前にあるバスルームに)、同居する大家さん以外は使えない決まりで、私は仕方なくコインランドリーに通っていたのだった。お風呂やトイレを使うたび、その場に鎮座する洗濯機が視界に入り、こんなにも近いのにこんなにも遠い…と、恨めしげな目をしていたが、それも今となっては良い思い出である。

入居してから気が付いたのだが、近隣にはコインランドリーがなかった。グーグルマップで探すと出てくるのはクリーニング店ばかりで、一番近そうなのは地下鉄で二駅も行ったところだった。近くに良い店がないか大家さんに聞けば良かったのだが、当時の私にはなぜか「洗濯機=使ってはいけないもの=禁忌=この家のタブー!!!」のように感じられてしまい(私はこういうところが狂っている)、なにやら恐ろしくて聞くことができなかった。コミュ力持たざる者、衣類近隣で洗うべからず。仕方がなかった。私は洗濯のためだけに地下鉄に乗ることを選択した。

下宿先のある駅は閑静な住宅街だったが、二つ先の駅はそこそこ大きな街だった。治安が悪いというほどではないものの(日本に比べれば悪いが)、割といろんな国籍の人が行き交っていて、ちょっとごみごみした雰囲気だった。そんな駅前の大通り沿いにコインランドリーはあった。

店内は広く、特にオシャレでもなく、汚すぎるわけでもなく(日本の清潔の基準を当てはめてはいけない)、ごく普通という感じだった。街の人たちが日常的に来る感じのお店で、私はそのコインランドリーに足繁く通った。住んでいた時期が冬から春にかけてだったので、そう洗濯物が多いわけでもなかったが、イケアのショッピングバッグのような素材のランドリーバッグにパンパンになった洗濯物を抱えて数駅通うのはまあまあキツく、「語学留学をしているのか洗濯留学をしているのかもうわからないよ…!」と、途方に暮れる日もあった(完全に誇張しすぎである)。

*

ある日の夕方、私はいつも通りパンパンのランドリーバッグを携え、駅を越え、大通りを越え、コインランドリーへとやってきた。ちょうど閉店まであと一時間くらいのタイミングだっただろうか。

おばさんが話しかけてきた。移民か何かの方で、何を言っているのかよくわからなかったが、物凄いハイテンションで、何やら洗濯機の方を指差している。見ると、洗濯機から水がどんどん流れ出して、床がびしょ濡れになっていた。視線を上げると、扉に何かが挟まっていて、そこから水が溢れ出しているようだ。

…あれはなんだ? 目を凝らすと、それはブラジャーだった。どう見てもあれはブラジャーだ。 Oh, it's a bra! とは言わなかったが、どう見てもブラジャーなそれは、ちょうど真ん中のところで扉にホールドされ、片乳は扉の内、片乳は扉の外という具合に、国境が分断されてしまっていた。どうやらおばさんはブラジャーに気付かずに洗濯機のスイッチを入れてしまったようだ。

ガラス戸の内側では洗濯物のかたまりがブンブン回転し、泡立った水がバシャバシャ波打ち、憐れなブラジャーがバチバチ打ち付けられていた。なんなんだこれは。私はめちゃくちゃ笑った。おばさんもめちゃくちゃ笑っていた。豪傑なおばさんだった。どんどん溢れ出す水、ゴンゴン泡立つ洗剤、ブンブン回るブラジャー。まわれまわれメリーゴーランド、もう決して止まらないように…!

洗濯機は本当に止まらなかった。あまりに止まらないので、掃除にやってきた係の人に訪ねても、「止める方法は無い、終わるまで待て」という雑な回答しか得られなかった(日本のサービスを期待してはいけない)。びしょ濡れの床を申し訳程度に拭くと、係の人は外へと掃き掃除に消えてしまい、おばさんは「どうしようもないわね」と、両手を肩の高さに上げて肩をすくめる「洋画でよく見るあのジェスチャー」をやってみせた。

「楽しいおばさんと出会えてなんだか面白いな…」と内心わくわくしつつ、私は自分の洗濯物をいつもの通り洗いにかかった。衣類を洗濯機へ入れて、洗剤を入れて、スイッチを入れて、その後は、特にやることがなかった。あんなにブラジャーで盛り上がったおばさんと私だったのに、驚くほど話すことがない(私は重度の人見知りなのだ)。ブラジャーをきっかけに出会った私たちに、それ以外の共通項などなかった。私たちは静かに時が来るのを待った。

*

時が来た。おばさんの洗濯物が洗い上がったのだ。おばさん、良かったね。やっと水も止まるし、ブラジャーも救出できるよ…!先ほどまでの沈黙が嘘のように、二人は色めき立った。椅子から立ち上がり、息を呑む私。扉を開けるおばさん。

振り返ったその手にはブラジャーが握られてきた。右手にブラジャー、左手にブラジャー。片手につき、片乳分。そう、おばさんのブラジャーは連続スピンに耐えきれず、真ん中からまっぷたつにちぎれてしまったのだ。

「HAHAHAHAHAHA!!!!!」

おばさんは爆笑していた。からっ風が吹いたような、気持ちの良い笑いっぷりだった。もちろん私も爆笑した。めちゃくちゃ面白かった。イギリスに来てから一、二を争う面白さだった。なんでブラジャーちぎれとんねん。ブラまっぷたつて。ほんで爆笑て。おばさん強すぎるわ。

おばさんの心は強かった。ブラジャーがスピンでブン回されようと、ど真ん中から千切れようと、そんなことは全く、屁でもないのだ。

コインランドリーの在り処すら聞けない臆病な私は、ブラまっぷたつおばさんの生き様に感銘を受けていたが、おばさんはそんなことは意にも介さず、乾燥を終えた洗濯物(奇妙な沈黙があったのは言うまでもない)とブラジャーをランドリーバッグに詰め込み、勢いよく夕暮れの街へと去っていった。やっぱりおばさんは強かった。


(2018/11/20 執筆、2020/5/31 加筆修正)





HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞